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#4 「過去」という接点

西洋占星術を「ニンゲンと世界の接点を記したデータベース」に見立てて、自分と世界の接点を確認してみようってココロミ。

前回は「水星」をもとに、言葉という接点を覗いてみた。

お次は「月」という接点に触れてみようと思う。

自分らしさの裏側

占星術で「月」の存在感は大きい。表の主役が太陽であるなら、月は裏の主役。性格占いの視点で言うなら、自分らしさの裏と表を象徴しているのが月と太陽に当たる。

さて「自分らしさ」と聞いて、私ならどんな「自分らしさ」を思い浮かべるだろう。外見的特徴?趣味や活動内容?いつもとる行動パターン(せっかち、怒りっぽい、計算高い、etc)?

過去に繰り返されてきた反応パターン、その根拠になっている自分の価値観から思い描く「自分らしさ」を、占星術では「月」と表現する。この「自分らしさ」のイメージもまた、世界との接点のひとつだってこと。

「月」を通して世界に触れるということは、「過去のデータベースを参照して思い描く自分らしさ」を通して世界を感じるということ。

ちなみに月と対になる太陽は、月の「過去」に対して「未来」の自分らしさについて表現している。それについてはまた後日。

最初に出会う、世界との接点

「月」という接点を通してどんな風に世界を感じているか、を探ってみる前に、この接点がどんな風に自分と世界のあいだに登場したのかを振り返ってみたい。

占星術の曼荼羅で描かれる世界では、母の身体の一部分だった胎児期が終わり赤ちゃんとして生まれ、母とは別々の身体になった瞬間から、「自分」が始まっている。

「自分」が始まった瞬間に我が身は世界に投げ出されるわけだけど、ニンゲンはシマウマの赤ちゃんと違って最初からタッタカ走り出したり草をはむはむ食べたりできないのがオモシロイところ。

だから母(養育者)の存在が必要になる。

占星術では年齢に応じた成長ポイントとして天体が順にあてがわれているんだけど、最初のステージ(幼児期、0~7歳前後)が「月」にあたる。出生後、最初に開発される接点が、月だってこと。

「生き延びる」ための接点

言語や知性を象徴する「水星」は月の次の段階になる。

「月」という接点は、思い出せない記憶、言葉になる前のコトバで出来ているってこと。言葉とは違う視点で、世界を捉える接点のひとつ。

この接点で動くエネルギー(自分と世界の接点で起こる動きそのものを、エネルギーと表現する)は、感情。快・不快で始まる、本能的なフィーリングだ。

未熟な状態で生まれた直後の赤ちゃんの最優先課題は、生命の維持。生き延びること、生き延びるための安全圏を確保すること。

地球上での生きていくための最低限のルールをとにかく覚えないといけない。そこに「冷静で客観的な状況判断」や「美意識」「理想的な未来像」は挟まれちゃいない。

生きていく安心感と自己価値感(セルフイメージ)

どうすれば不快をなくし快適で安全な状態を維持できるのか。どうすれば養育者の気を引いて、欲しいものを提供してもらえるのか。どんな振る舞いが求められて、どんな自分でいることが必要とされるのか。

「月」を通した世界との接点は、全ての世界との接点は、ここからスタートする。

どうしたら母に愛してもらえるのか。自分はその愛される条件を満たせているのか。生まれてから6~7年かけて、ニンゲンは最初のデータベースを母を通して構築していく。

水星が発達する以前につくるデータベースは、言語化されずに沈殿する。それが自己肯定感や、無意識の価値観、安全圏を確保しようとする本能的なクセという「世界との接点」になる。

ニンゲンには安全圏に留まろうとする本能(ホメオタシス、恒常性)がある。本能ってのは「よし、こうしよう!」として発動する者じゃなく、自動的に身体が反応する働きのこと。

だから月のデータベースは、自動的に繰り返される習慣やパターンでもある。例え最初に作り上げたセルフイメージが「ダメなヤツ」だったとしても、そのダメなヤツのイメージに留まろうとしてしまう。そこから離れることは、安全圏から離れることになる。安全圏を離れることは、言語化できない不安を伴う。

無意識という影響力

言語化されずに沈殿したデータベースは、「潜在意識」とか「無意識」と呼ばれる。自分でも気付いていない心の動き。

それに対して自覚できる心の動きは、無意識に対して「顕在意識」と言ったりする。顕在意識と潜在意識(無意識)の関係は、よく氷山に例えられる。

氷山の一角。海上に見えている氷の山は、ほんの一部にすぎない。潜在意識(無意識)は全体の9割近く(もしくはそれ以上!)を占めている。

私たちは日々世界に反応しているわけだけど、そのリアクションのうち自覚できているものは1割あるかないか、ってこと。言語化できない感情の揺れ動きってのは、ほとんど意識にのぼってこない。

気付いていないだけで、感情というエネルギーで触れる世界も、確かにあるのだ。占星術の曼荼羅はそれを教えてくれる。そしていかにその接点の影響力が大きいとしても、それが数ある接点のひとつにすぎないということも。

しかしワレワレは生き延びた

セルフイメージはどうあれ、それは数ある接点のひとつにすぎないということ。それから、その接点は「過去」だということ、そこに注目したい。

月のデータベースは、生き延びるために取り急ぎこしらえたものだった。客観的な判断も美意識も挟んでいない、本能的で素直な欲求のカタチ。それは母の価値観をなぞったもの。自分の外側にいる誰かを模倣したもの。

それを否定する必要はないけど、過剰反応する必要もない。だって、私たちはもう生き延びたから。これを読んでいる人はもう7歳以上だと思う。ワレワレは生き延びたのだ。

世界との接点は、他にもたくさんある。

「過去」を自分のものに

「過去」は世界との接点の始まり。その接点に流れるエネルギーは、言語化される前の感情、快・不快から分岐してふくらんだ感情。

目に見えている世界、言語化できる世界が全てではないように、「過去」もまた接点の一つ。そう思った時、「月」を通してどんな世界が立ち上がってくるのか?

自分はどんな世界を「感じ」取っている?どんなセルフイメージに「安心」する?自分に「やっぱりね」といいたくなるのはどんなとき?

「月」という世界との接点を確認することで、「過去」を自分のものにしよう。自分以外のだれのものでもない、自分の「月」。

ホロスコープという地図を片手に、世界の接点を巡るオトナの遠足。今回は「月」の接点でした。スタンプラリーのようにひとつひとつ巡りながら、これからも遠足を一緒に楽しんでもらえたら嬉しいな。

もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!