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嫌いなものを認めて、寄り添ってみる。

私は、スポーツ観戦が苦手だった。

オリンピックとかワールドカップとかも全部。そして、今まさにバレーボールの試合がテレビで流れている。

なんでみんなそんなに応援するの?
応援して何になるの?

勝ったところで、私たちの生活が潤うわけでもないじゃない。ずっと思っていた。

日本人という自覚とか、そういう心持ちがないのかもしれない。どこか冷めている自分が嫌だ。と思っていたのだけれど…


実はスポーツ観戦が嫌いなわけじゃなかったのだ。

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その嫌いの正体は、中学生まで遡ると気づいた。

中学生の頃、新入生歓迎球技大会という名の、先輩が後輩を威圧するためのイベントがあった。

大体男女に分かれてサッカーとかバスケットボールをするのだけれど、それと同時に応援合戦というのがあり、応援合戦の練習が地獄だった。

授業が終わった後、中庭に集められ、応援合戦に使う歌詞が書かれた紙が配られて、ひたすら大声を張り上げさせられる。

声が小さいと理不尽にキレまくり、みんなの前に立たされてギャグをさせられる。先輩からの容赦ない制裁は、自分に向けられなくとも毎日毎日その時間になるとお腹が痛くなった。

さらに、中体連と呼ばれる各部活の地区大会の日は、部活に入ってない帰宅部員も集められ、参加しなければ欠席扱いになり、無理矢理興味のない部活の知らない人たちを応援させられるということもあった。


応援って、自分がしたくてするものじゃないの。こんなの拷問じゃない。応援したくないのに、こんな理不尽にさせられるなんて。そんな疑問を抱き、無理矢理応援させられたという体験がスポーツ観戦に直結して、私は嫌いになったのだ。

私はスポーツが嫌いなわけじゃなかったのだ。昔のことがトラウマになり、「応援しなくちゃいけない。」という考えに苦しんでいたのだと気づいたのだった。

「頑張れ!ニッポン」の掛け声にもまだ少し、ウッと身構えてしまう。

でもアニメや漫画の中ではスポーツも普通にみることができる。きっと架空だとわかっているから。

彼はスポーツ観戦が好きだ。この夏も、甲子園まで高校野球を観に行ったくらい。私一緒に楽しみたいと思っている。だから少しずつ、苦手じゃないものから身始めてみようと思った。

お仕事中のドリンク代にさせていただきます。ちょっといい紅茶を買いたいです。