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「博士に進学する」選択の先にあった未来。一気に駆け抜けたのはよかったか?

早いもので2024年2月も終わろうとしており、あっという間に年度末です。そうすると、博士を取ってからもう5年が経とうとしています。こんなに早く時間が過ぎ去ってしまうなんて全然思っていなかったよ…

たぶん、そう感じるのは毎日を忙しく過ごしているからではないかと思うのです。日々の生活の大部分を占める仕事に対して少ないストレスで打ち込めているからこそ、そう感じるのではないかと。

その仕事は、これまでに自分が築いてきたキャリアの上に成り立っています。

僕のキャリアを説明する上で重要なピースのひとつは「博士課程への進学」であったことは間違いありません。そして、社会人博士ではなく学生として一気に駆け抜ける選択をしました。その先にあった5年後の未来が「今」なのです。

もし進学を考えている人がいれば、修了して5年後の事例のひとつとして参考になるかなと思い、こうして記事にしているところ。以下のようなコンテンツでお届けします。


どうやってキャリアを築く?

まずは前提から。

そもそもキャリアとは「これまで自分が最適だと思う選択をしてきた先にあった結果論」でしかありません。自分のやりたいことを選択できない場合だってあるし、ときにはメンタルと向き合いながら取らざるを得ない選択肢だってあるはずです。

それでも、その時点の自分にとって最適な選択を繰り返して繰り返して……ある時点で振り返ってきたときに形成された「これまでの自分の道のり」、これこそがキャリアなのだと思います。

だからこそ、僕が語れるのは「博士を取った先にあった未来」だけです。だから、博士に行った方がよかったか?行かなくてもよかったか?という問いに対する答えは持ち合わせていません。なぜなら、「博士を取らなかった未来」を知らずに比較のしようがないからです。

だけどまあ、そういうかなりバイアスがかかった意見のひとつということで、温かく読んでみてください。


僕が博士課程に進学した理由

上述しましたが、僕は社会人博士ではなく学生の身分のままで進学しました。6年制薬学部の上にある博士課程なので期間は4年。合計10年間も学生として大学・大学院に通ったことになります。

もちろん、6年制の学部を卒業して就職する選択肢もありました。大多数の人はそうするのだけど、僕の場合はこの時点にあった選択肢がどれもしっくりこなかったんです。

薬剤師免許を取れる学部だから、ほとんどの人は病院や薬局で薬剤師として働きます。でも、5年生のときに実務実習をやっても、今後の仕事として全然やりたいと思わなかったんですよね。現場ではなく、もう少し上流で広く社会貢献できる仕事をしたかった。

とはいえ、薬剤師としての仕事に興味がなかったにもかかわらず、製薬企業の研究職・開発職に採用されるだけの実力もありませんでした。そのへんにいる普通の大学生で、何も尖ったものを持ち合わせていなかったのです。

そう感じるのは、きっと自分が何も突き詰めていない(すなわち、大きな専門性がない)からだと。だから、進学すると何か見えてくるものがあるのかもしれない。そう思って進学することにしたのです。

幸い、大学も実家から通っていたし、大学院もそうなるので、経済的に困ることがなさそうでした。これも進学という選択ができた大きな要因のひとつです。


博士課程でやってきたこと

薬物送達に関する研究

2015年の春。進学することを決めたけれど、4年間で何をしようか。

所属していた研究室は僕が学部5年生のときに教授が代わり、研究テーマががらっと変わってしまいました。具体的には、物質の分析法の開発に関する研究から薬物送達に関する研究に軸足が移ったのです。

僕の配属当時は分析系の研究室だったから卒論までそのテーマで走り抜けた。でも、博士課程でちゃんと論文を出すためには薬物送達にテーマを変えないといけないと。教授と話して、それまで身につけてきた手技も活かせる「脳に対する薬物送達に関する研究」になったのでした。

このテーマだと、僕が使ってきた分析機器のひとつである「HPLC(高速液体クロマトグラフィー)」をそのまま使えるし、研究室にあった「脳マイクロダイアリシス法」「超音波応答性の薬物送達」の技術を組み合わせて進めることができそうだと。

最初の時点で周囲にも恵まれいたし、偶然かもしれないけれど論文にできるデータが集まりました。その結果、First Authorで論文2報、First以外も含めると5報の執筆に貢献できました(もちろん査読ありの英文原著論文)。

今思うと、もっと全力疾走すればさらなる高みを目指すことができたかもしれないけど、自分の限界はこのくらいだったのかもしれません。大学院で研究だけに打ち込むのも危うい気がしたから、ブログの成長にもエネルギーを使っていたからと言い訳してみる。


就活という人生で大きめの選択

そして就活です。

僕の学部生時代の実力では到底辿り着くことができなかった大手製薬メーカーの研究職に書類が通過しまくってびっくりしました。面接でご縁がなかった会社も多かったけれど、研究所は郊外にあることが多いし、東京に住みたかった僕としてはあまり熱心ではなかったのが見破られたのかもしれない。

結果的には霞が関にあるPMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)から内定を頂き、博士修了後のファーストキャリアとしては悪くないかなと思って承諾した次第。東京にも住めるし。

アカデミアに残る選択肢もあった(僕がやっていた「脳マイクロダイアリシス法」の手技を持っている人が欲しいと別の大学から声がかかった)けれど、PMDA内定承諾後に話が来たから辞退しました。こっちに行っていたらきっと全然違う未来が待っていましたね。


博士課程修了後にやってきたこと

PMDAで新薬審査に携わる

2019年春、博士課程修了後にまずはPMDAで働き始めました。入社初日に配属先が発表されて、僕は新薬審査部への配属となりました。薬学系の人がPMDAと聞いて真っ先に思い浮かべるようなメインの業務を行っている部署です。

新薬審査部も取り扱う薬の領域ごとにいくつかの部署に分かれているのですが、おそらく博士課程での研究テーマが反映されて、中枢神経系用薬を扱う部署になりました。その他にも麻酔薬とか眼科用薬とかを扱っている部署でもあります。

新人はまず治験届調査や治験相談への対応から始まり、治験に関する造詣を深めていきます。

入社した当初は治験って3相でやるんでしょ?くらいの認識しかなかったけれど、近年は国際共同治験が主流であることとか、治験の目的に応じたデザイン(対照群の設定、対象患者、評価項目など)の仕方、どのようなデータパッケージで承認申請に向かえばいいのかなど、科学的かつ俯瞰的な視点で製薬企業と規制当局が一緒にプロジェクトを進めるものだということを知りました。

PMDAの審査員は、それぞれがプロジェクトマネージャーであり、メディカルライターでもあり、製薬企業側との調整役でもあるという、マルチなスキルが求められます。国の機関であるから特に「文書」に対して並々ならぬこだわりを持っていて、相手に対して誤解させないような文章を書くのが必須のスキルです。

僕は博士課程やブログを通じて文章力には一定の自信があったけれど、PMDAの仕事の中でさらに磨きがかかったような気がします。このスキルは今でも十分に活かすことができていて、大いに感謝している部分です。


もっと楽しい仕事に転職

でも、大きい組織だからこそ一人一人の業務範囲が細分化されていて、同じような仕事の繰り返しの毎日に嫌気が差してきました。そして同業他社と比較して給料が上がる見込みもないと。

高圧的な人が謎に評価されて上に立ちやすい職場だったから、正直に言うと結構メンタルを病んでいて、1週間くらい仕事ができないこともあったりして。僕にとっては2年が限界だった。

仕事は日々の生活を豊かにするためのツールのひとつであり、そこで自己実現しようと思っていません。だから給料は高ければ高いほどいいし、自分を押し殺しながらやりたくないことを続ける必要もない。

このまま続けたら本当に心が壊れてしまうと思い、もっと楽しくできる仕事に転職しようと画策し始めました。


ヘルステック業界へ

転職エージェントを通じて転職活動を行った結果、割とすんなりと今の会社に拾ってもらいました。これが2021年の夏。当時はまだ規模の小さなベンチャー企業だったけれど、IT技術を使って全ての人に公平な医療福祉を実現するという理念に共感して入社を決めたのでした。

入ってみるとベンチャーらしく中身は混沌としていたけれど(今でもそうかもしれない)、国と一緒に事業を進めていたり、研究開発を惜しまない真面目な会社だなという印象を抱きました。

もともとはPMDAでの経験を活かして臨床研究を進める人材として採用されたのだけれど、いつの間にかいろんな案件に手を広げることになり、新機能開発に関する要件定義・開発リード・薬事認証取得とか、公共事業案件に対する提案・案件獲得後の進め方に関するアドバイザリーなどもやってきました。

大きな会社に買収されて規模も大きくなり、カルチャーが変わることもあるかなと思ったけれど全然そんなこともなく。いい会社の仲間に入れてもらえたなと思いつつ、実は博士課程で就活していたときに話を聞いていた会社だったから、ご縁を感じていたりもしています。


5年後の未来から振り返ったとき

博士課程は重要なピースのひとつなのか?

これまでの経験を踏まえて考えてみます。

今いる場所、つまり「博士課程を修了して5年後」から振り返ったとき、博士課程は重要なピースのひとつだったのか?

——答えはYesです。重要なピースであることに間違いありません。


では、どのような観点から重要だと思っているのか。このセクションではそういう話をしたいと思います。

結論から言うと、博士課程で訓練してきた「論理的思考力」と「文章力」が、今でも仕事を進める上で重要なスキルとなっているからです。今思えばたったの4年間だったけれど、それが今の仕事の(ひいては人生の)礎になっている気がします。


論理的思考を大切にする

「論理的思考力」とは、僕の解釈では、複雑な物事の本質を見抜きながら単純化・体系化して理解しやすくした上で、順序立てて丁寧に論理を積み上げながら説明する力のことです。

博士課程においては仮説を立てて研究計画を立てるときにも、論文を書くときにも使う大切なスキル。科学の全ては「論理」という共通言語のもとに成り立っているから、その言語をマスターしないと土俵にすら立つことができません。

博士課程で繰り返してきた「論文を書く」ということ自体、あらゆる角度から見ても破綻のないように論理を突き詰める作業そのものなのです。しっかりとした仮説があってそれを証明していくための道筋が定まっていれば、実験する前でもexpected resultsを並べることで論文は先に書ける。このような作業自体が論理を作っていく工程そのものだということです。

このような考え方が大切になるのは、何も研究だけでなく、普段の仕事で誰かを認識を合わせながら進める上では必須なわけで。論理は目の前に勝手に存在しているわけでも、誰かに与えられるものでもなく、(ある程度は自分に都合よく)作り出すものだからです。

そのような意味で、博士課程で訓練した論理的思考力は今でも活かすことができています。これがないと始まらないですね。

さらに言うと、PMDAで治験相談を繰り返す中でさらに深みに辿り着いたような気がします。

例えば、製薬企業から提示された治験デザインで、疾患に対する標準的な評価指標を使わない提案がされた場合。その理由が適切でなければ、他の薬の治験との横並びという観点からも、ちゃんと突っぱねないといけません。相手もちゃんと考えて指標を設定してきているから、ただ突っぱねるだけなら議論が紛糾するのは明らかです。だからこそ、事前にみんなで突っぱねるための論理を考えて相手に提示しないといけない。

PMDAでは論理的思考が徹底的に叩き込まれるし、たとえ会議の中で同僚相手に説明するときも論理が重要。それくらい大切にされているものだから、こういうことを繰り返しているうちに、自然と自分の中に落とし込まれたような気がします。

今の会社で臨床研究をやるときは、主にPMDAで身につけた治験に関する知識を活かしながら、博士課程から継続して磨いてきた論理的思考力を駆使して進めています。PMDAで身につけた知識は博士課程でやってきたことの上に乗っかっているから、それ無しでは語れませんね。


文章力を身につけるきっかけとなった

文章力は研究を進める上で重要なキーワードです。

研究者は自身が行った研究を論文という形にしないと成果として認められないので、全ての研究者にとって文章力は極めて重要です。論理的思考力が備わっていてもそれを適切にアウトプットできないと意味がないので、文章力もセットで必要。

そのため、教授に「論文を書くための訓練をするのが博士課程で大事なこと」と言われたことを覚えています。

学部生時代の卒論の文章を読むと本当にひどいので、博士課程の中で文章力が大きく向上したのは確かです。博士課程ではブログを立ち上げて注力していたから、文章力の向上は論文のおかげかブログのおかげかはっきりしないですが。

そして、PMDAの審査員はメディカルライター的な側面もあると上で書きましたが、PMDAで文書を大量に作ったことも文章力の向上に寄与してくれています。

例えば製薬企業に対して文書ベースでやりとりをして効率よく議論を深めるためには、相手の反応を想像して先回りしておくことが重要です。こういうことも「文章を書く」スキルに含まれているし、このスキルは明らかにPMDAで鍛えられました。

文章力の向上に寄与した割合としては、博士課程での論文執筆:ブログ:PMDAでの文書作成=1:2:2くらいかな。

博士課程の割合が少ないように思えますが、文章力は大事だと気づかされたのは博士課程に進学したおかげなので、そういう意味では大切なピースのひとつです。今は文章力で飯を食ってると言っても過言ではありませんからね。

というのは、今年度に入ってからは国に対していろいろと提案して案件を進めているのですが、それは当然文書という形で提示します。チームのみんなで議論した内容を丁寧に落とし込みながら文書を作成し、体裁を整えて提出した結果、ちゃんと採択してもらえました。

僕の文章力を買われて(上司からは特殊能力だと言われた)こういう重要な役割を任せてもらえているので、文章力で飯を食ってると言えるかなと。もちろん、ここで満足せずにもっと磨かないといけないけれども、方向性としては間違っていないと思います。


アカデミア以外でどう活かす?

博士課程とその後のキャリアの中で訓練してきた「論理的思考力」と「文章力」が今の仕事でも活きており、そのきっかけは博士課程でした。

当然ながら、このようなスキルはアカデミアに残って研究を続ける場面で大変重要になるものです。しかし、ここまで読んでいただいて分かるとおり、アカデミア以外においてもチームで仕事をする上で大いに活用できるスキルなのです。

例えばシステム開発だって、要件定義するときはユーザー視点に立って「ユーザーはこういう使い方をするはずだ」「だから階層構造はこうなっていて、ここにボタンがある方が使いやすいはず」といった仮説を立てて作業を進めます。この仮説が立たないとその後の工程が進まないので、論理的思考力を駆使しながら仮説を立てられる能力は非常に重要です。その礎は博士課程でのTry & Errorの中で築いてきました。

そして、文章を書くことなんてアカデミア以外でもいくらでもあります。日々のSlackでのやりとりだってそうだし、報告書や計画書を作るときだってそう。そういうときに、最小限の工数で良質なのアウトプットを行うことができれば、かなり重宝される人材になります。もちろん、「文章力が必要とされている場所においては」という前提のもとではありますが。

また、今でも実際に論文を書くことだってあります。先日は(日本語だったけれども)仕事でやった研究に関する論文を書きました。僕以外に書ける人はいないので、重宝されたといえばそうかもしれません。

——と、こうやって書き出すときりがなくて、博士課程におけるいろんな物事がいろんな形で今に活かされているのです。

あとは肩書きも重要ですね。博士持ってます、元PMDAです、と言ったりメールの署名に書いていたりすると、自動的に「そういう人」として認定してもらえるから、仕事がとても進めやすい。こういう感じでアカデミア以外でも博士持ちのメリットは地味にあります。


一気に駆け抜けたのはよかったか?

さて、ここでこの記事の一番深いところに踏み込んでいきます。

テーマは「一気に駆け抜けたのはよかったか?」です。すなわち、「6年制の学部を卒業した後に就職せずにそのまま学生としての身分のままで博士課程まで修了したのはよかったか?」ということについて。

逆説的ですが、これを語るためには「一気に駆け抜けなかった場合」を想像して比較するという思考実験が必要になります。考えやすくするために、「博士課程に進学する選択は適切な判断だったか?」と「社会人博士ではなく学生としての身分で打ち込むメリットはあったか?」という2つの問いに因数分解してみます。


博士課程に進学する選択は適切な判断だったか?

つまり「博士課程に進学してよかったか?」ということです。

ここまで書いてきたとおり、進学するメリットがあったと思っています。学部生時代に持っていなかったスキルや経験を身につけることができたし、そのおかげで自分をさらに高みに押し上げることができたからです。

研究に限らず、ひとつのテーマを突き詰めて打ち込む経験はなかなかないし、学部生時代までは僕はそうしてこなかったから、今後の人生観にまで影響を及ぼすような経験をできたと思っています。自分だけでなく家族(子どもができたら、進路選択の相談とか)にもいい影響を与えることができたらいいなと。

また、学部生はどうしても大学名で評価されがちだけど、博士まで持っていたらその傾向は薄れる点も個人的には助かっています。僕は長崎大学の出身だけど、やっぱり医学部だろうと薬学部だろうと長崎大学は長崎大学でしかないのです。就活で東大や京大ブランドの人がいたら勝てないけれど、博士持ちなら「何かを突き詰めて科学の発展に貢献してきた人」という括りで見てもらえます。これまでの経験上そんな気がするのです。


社会人博士ではなく学生としての身分で打ち込むメリットはあったか?

6年制薬学部を卒業したあとで薬剤師として働きながら博士課程で研究する選択もあったはずですが、僕はそうしませんでした。なぜならちゃんと成果を上げてしっかりと期間を絞って修了したかったから。

この判断を下すときには、「時間」と「お金」という2つの側面から考えました。当時も最適な判断を下したと思っているけれど、5年後の未来である今の視点からも考えてみましょう。


時間という観点から

当然ですが、修了して博士号を取るためには成果を出さないといけません。そして、アウトプットの質は試行回数に比例すると思うので、時間をかけて何度も試行を繰り返した方がいい成果は出やすいはずです。

社会人博士は通常業務をこなしながら研究を進めないといけないから、学生の身分で進学し時間をかけて研究に打ち込んでいる人に勝てるわけがないし、そもそも修了まで辿り着けるか怪しい場合もあると思います。

また、学生の身分で研究に打ち込むとしても、人生のうちの貴重な3〜4年間を費やすことになります。今になって振り返ってみると、修行のような感じで時間をかけることに意味はあったと思います。

僕は2浪の後で6年制薬学部に進学し4年制博士だったので、大学院在学中に30歳を迎えることになりました。だから当時は本当にこれで大丈夫なのだろうかと思っていたけど、別に生き遅れることはなかったと思います。結局33歳で結婚したし。


お金という観点から

お金に関しては当然社会人博士の方が困らないと思うし、学生として専念することに対して大きな足枷となるのは経済的な問題ですね。

僕の場合は実家から通っていたから家賃や光熱費などの固定費はゼロだったし、奨学金、大学からのリサーチアシスタントの給与、授業料免除などを通してなんとか工面しました。DCは通らない気がしたので出しませんでしたが。そして、ある程度研究成果を上げることができたので、結果的には奨学金は半額免除になりました(600万円のうち300万円免除)。

今の視点から振り返ると、多少苦しくても進学するメリットはあったかなと思います。学生時代もなんとか工面できたし、修了後もがんばって働いて給料を上げ、今では分譲マンションや車を維持できるほどの収入を得られているからです。

そして、新卒の就職のときも転職のときも博士号を持っていることが評価されているし、そのおかげで転職時に年収を上げられたので、自分にとって博士号は大切な武器のひとつですね。


要するに、僕は博士課程で将来の飛躍のためにひたすら耐えながら修行していたのです。それが「何かを突き詰める」ということだし、得られた経験や肩書きが血となり肉となり、乗り越えた先には明るい何かが待っているはず。

修行みたいな辛いことは早めに終わらせておいた方がいいじゃないですか。博士号以上の学位は存在しないんだし、3〜4年耐えただけで手に入るのだから、一気に駆け抜けるのも現実的な選択な気がするのです。その先の人生がとっても楽になります。


博士課程への進学を勧めるか?

これはね、本当に難しい。個人的には進学した方がその後のキャリアが広がったんだけど、誰しもそうとは限らないし、時代背景やタイミングのような要素もあるから、本当に何とも言えない。

少なくとも、自分の事例だけしか知らないのに無責任に一般化できるわけありません。なので、僕に言えることは「貴重な時間とお金をかけてやることなので慎重に」ということだけです。

「進学しなかった先の未来」も見てみたかった気もするけど(そして自分ならなんやかんや上手くやってた気がするけど)、今満足しているからそれでいいのです。


まとめ

気がつけば1万字も長々と書いてきましたが、「僕としてはキャリアが広がったから一気に駆け抜けてよかったと思っている」というのが、一応の結論なのかな。ただしそれをみんなに勧めるつもりは毛頭ないけれど、数ある選択肢のひとつとして考えてみるのはいいのではなかろうか。

10年後、20年後に振り返ったときに必ずしも同じ結論でない可能性だってあるけれど、少なくとも「5年後の未来である今」の視点で考えると、意味があったように思います。こんなに貴重な時間とお金をかけて進学したのに、意味がなかったという結論になるのも悲しいから、とりあえずは結果オーライだったのか…?


在学中に教授に言われたんだけど、博士号とは研究を行うためのライセンスであると。だからそれを取って終わりではなく、その上で何をやるかが重要だよと。これがずっと脳裏に焼き付いていて、事あるごとに今の自分はライセンスを活かしながら社会貢献できているだろうかと考えるわけです。

まあ、アカデミアに残って論文を出しまくっているわけではないけれど、それなりに世のためになる仕事をしていると思っているし、国とのプロジェクトも足並みを揃えて進めているから、一応社会貢献できているのかな。そう思っておいた方が精神衛生上よろしいので、そうすることにします。

次に振り返るのはさらに5年後かな。「博士号を取って10年後の未来」には、果たしてどんなことが待っているでしょうか。ブログが続いているのか分かりませんが、もし続いていなかったら個人的に振り返ることにしよう。

この先のことなんて自分でも全く想像がつかないけれど、常に先を見据えながらいちばんいいと思う選択を繰り返し、それが正しいと信じて生きていくだけですね。まだまだ前進するよ!


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