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逃走の青春を、後悔しない。

両親が教師なので、物心ついた頃には「いい子」の仮面を被って生活していたと思います。特に高校までは、何か母の機嫌を損ねるものなら容赦なく平手が飛んできたし、幼少時にはその折檻が恐ろしく、震えながら彼女の顔を伺っていました。無理矢理連れて行かれた夏休みのプールが本当に辛くて、泳げるようになった10歳までは毎日憂鬱だった記憶しかありません。そうするうちに「叱られるくらいなら最初から嘘をついて逃げればいい」という処世術が身につき、分かっていない問題に関して、理解したふりをするのが得意になりました。いまだにこの悪癖が抜けきらないですね。

「PTAを務める先生の娘」だったのでご近所受けも好調、学校の先生から文化祭の司会を頼まれたり。問題を起こさない子供は、大人からの干渉を色々な意味ですり抜けられます。そこそこ成績が良い「いい子」もそんなに悪くはなかったです。でも高校に入った頃から、「いい子」のお面が息苦しくなりました。

郊外にある偏差値65枠の中間一貫女子校は、名門の受験先を落ちて鬱屈している大人びた少女達の溜まり場。親御さんも大手銀行の上役だったり、お茶の師範や税理士、教師も多かった。そこそこ裕福なのでスレた子もいなくて、幼稚な地元の同級生に煩わされていた日々が嘘のように入れ替わりました。

美大受験を目的に、水道橋や御茶ノ水の予備校に夜遅くまで通うクラスメートはサッパリしていて、小学生のように普段から密接にしていないと仲間外れにされることも無い。優しく油絵や漫画イラストの描き方を教えてくれたりして、中学生のようにグループ内での派閥争いや陰湿ないじめもありせん。彼女達のように気ままに授業を休んだりはしなかったけれど、とにかく毎日が楽しかった。

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何故、その頃は母の監視が緩くなったのか。今になって振り返ると単純に教職が多忙になり、教え子と同じ年齢の娘に気を配る余裕が減ったのでしょう。家庭内のしつけが緩んで、一気に私の精神面はマイペース化。勉強はおざなりになって、毎日漫画の腕を磨くべく鍛錬が始まります。

授業も聞かずに漫画作品のプロットを切ったり徹夜で原稿を仕上げたりして、塾では疲れ切って寝ていました。好きだった英語は特進クラスでしたが数学や物理は最低点。追試を受けても隣には飄々とした仲良しのメンバーがいたので、それほど気にはならなかった。

私達第三次ベビーブーム時代は、令和の深刻な少子化からは想像できないくらい受験は狭き門。特に私は強引に服飾科がある私立大学を受けたので、やっと引っかかったのはFランク底辺の短大。いわゆる「都落ち」学生として、何の希望も持てずに通学を始めます。

「軍隊みたいだよね」と言われた学校には制服があるので服選びは助かったけど、強制的に放課後の音楽会に出席しないと単位にならず、クラスにどうしても馴染めなかった私には地獄。高齢な女の先生はとにかく冷たくて、真面目に授業を受けている生徒の提出物も難癖をつけて受け取らない。そんないじめをする教師の圧力を受けてクラス全体がとにかく暗かったですね。廊下で泣いている子たちをたくさん見ました。

どうせ「一応の学歴」なら、誘ってくれた高校からの友達と同じ短大に行けば良かったと、そこだけは本当に後悔しました。今なら授業の様子を動画に撮影して、YouTubeにでも上げたら大炎上する案件でしょうね。少子化で学校がどんどん潰れそうな今でも、あの学校は変わらない体質なのかな……。

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「今夜、学校が燃えればもう行かなくていいのに」

そこから生まれて初めての「登校拒否」に陥り、二年間の中でトータル一年間も通学しなかったはず。朝は登校時間に家を出て、両親が仕事に出かけてから戻る。ファミレスでモーニングを食べながら漫画を描いたり、自暴自棄になって鎌倉に海を見に行ったりも……。

もちろん卒業はできずに、専門学校に進学しつつ一年間は週一のみ短大にも通っていました。新入生に囲まれた土曜日は恥ずかしい気持ちも多少はあったけど、それでも嫌で仕方なかった学校や同級生、「冷淡なオールドミス」の教師達と、もうこれ以降二度と会わずに済むと考えれば気楽。何よりこの時期、自分の同人誌がそこそこ売れてきたので、コミケに行けばたくさんの仲間がいて本当に救われていましたね。ここを抜ければ目指す道が先に明るく見えていたから。

母が何も言わなかったのは、私が受験前にパニック症になりかなり苦しんだ姿を見たからでしょう。この病気には後々も長く悩まされました。今でも疲労すると足が震え動悸がして、電車の途中下車を余儀なくされます。現在では「メンタルクリニック」という窓口がいつでも開いていますが、当時は大学病院の内科で六時間以上待たされなければ発作止めの薬が貰えませんでした。

登校拒否していた二年間に、全く後悔はない。

振り返れば、8月31日が死にたくなるくらい辛かったのはあの短大での学生生活がピーク。冷えきっていたクラスや先生に私自身が周囲に心を許さずこう着状態だった事と、他の同級生のように理不尽な老人に対し屈したり服従したりできなかった。今の自分を結果とすると、漫画の技術を磨いた高校時代や登校拒否をした二年間に後悔はありません。

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大人になると信じられない程、自由になれる。

三年制服飾の専門学校を卒業してからは、本当に生きるのが楽しくてラクになりました。地元のコンビニバイトも店長やパートさんは優しく、短大の授業のように頭ごなしに否定したり怒られたりもしない。頑張れば必ず結果に結びつくし、何せお金も貰えるんですから。

特に土日祝日やクリスマス、年末年始にシフトを入れられるアルバイトとして大切にしてもらえました。社会人としてのルールを守れば、学校組織よりも経済的関係で結ばれた会社の方がずっと親切です。何より授業料を支払う必要もなく、辞めたい時に簡単に縁が切れる便利さがあります。

今は登校拒否やうつ病、アレルギーや喘息に社会的理解が増えましたが、私の時代には「学校に行かないのは恥」「絶対に許されないこと」「修学旅行や課外授業は必須」として、重い枷のような支配力を持っていました。授業中に薬を飲む為の水筒を持ち込んだだけで、後ろ指を刺されてしまう。高校の頃に一人だけ、馴染めないままに転校した子がいたけれど、そんな例外を除くととにかく生徒達には逃げ場がどこにも無かった。

無理に通学しても、何も意味はない。

もし学校に行きたくない理由があるのなら、まずは家族に相談して理解を得るのが安らぎへの近道だと思います。

あなたを生み出した家族にはあなたと苦しみを分かち合う義務があるし、あなたもこれから先、まだまだ家族の経済的支援や精神的フォローが必要です。経験上、分かり合える親との縁はなるべく切らない方が後々良い。

もしいじめを受けていたり理不尽な扱いをされているのならば、あなたには抵抗すべき正義があるし、嫌気がさしているなら重荷を肩から捨てて自由に生きる権利がある。

無理して卒業証書をもらっても余程の学歴でもない限り、履歴書を一応埋める小さな字面にしかなりません。これは毎回バイトや派遣を申し込む時に痛感します。あなたが死ぬ思いで通学した経験は簡素な一行にしか並べられず、その苦労を紙一枚から察してくれる人は誰もいません。

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馬鹿らしいと感じたら、手放して捨ててみる。

これは社会人になってからも言える事ですが、とにかく「楽しくない」「苦しい」「辛い」と三つのネガティブを感じたら、果たして何が、誰があなたにそう思わせているのか一度冷静に考えてみましょう。そしてそれらが人間なり時間なりと原因を突き詰めたら、こちらから縁切りして捨て置いてみる。

休学したり退学する事で、おそらくあなたの周囲は色々な無責任を言葉にして浴びせてきます。だけどその人達の誰もあなたの人生に寄り添ってくれていないし、そもそも本当に思いやっているわけではありません。心からの理解者なら、苦悩している時こそ背中を押してくれるものです。

私自身は、大人になってから勉強して得られた知識や学びが本当に多いので、これから残りの人生に経済的余裕ができたら、短期間の講習やキャンバスに通う普通の大学生活をやり直してみたいです。今なら論文を細かくまとめたり、語学を落ち着いて学ぶ忍耐もついたと思うので。学校の勉強をやり直すことは何度でも可能です。

最近は先行きに不安を感じても「取り敢えず明日は、私が好きに生きてやりたいことを真剣に進められる時間だ」と思って生活をしています。新しい未来に向かって、一日少しずつ自分を磨く就活。そろそろ加齢を痛感し始めたので、今度は無駄な回り道をせずラストスパートを駆け抜けていきたいです。




#8月31日の夜に

マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。