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ボーナスを、貰ったことはないけれど。


「あんた、正社員にもならずにこれからどうするの?」


私が23歳になった春、一回り年上の知人から言われた言葉。短大を卒業してから、文化服装学院のファッションデザイン専門課程3年間を終了した時です。バブルが弾けた直後で、私達第三次ベビーブーム世代は就職超氷河期の真っ只中にいました。

第三次ベビーブームと就職超氷河期。



その頃の服飾業界は、新卒求人が会社一件につき二人くらい。ショップ店員ならもう少し多かったのかな。正直デザイナーやプランナー求人欄も全然確認しなかったし、正社員で働く気持ちが全く無かったので覚えていません。

子供の頃からひたすら漫画を描き続けていてコミケで二次創作の同人誌もそこそこ売れ、さあ壁大手サークルを目指してこれから人生スタート!と、胸のハイオクがんがん満タンに燃えてた青春。


人生最初のアルバイトは、短大の夏休みに二ヶ月だけ就労した老舗デパートお中元の事務。学生を卒業してからは家のすぐ近くのローソン。それぞれに良くも悪くも社会勉強になりました。意地悪な人もいたけど、私の非正規社員生活において大半は良い人に囲まれて充実していました。




私は一度も正社員になっておらず、有給休暇や社員旅行など経験したことはありません。一度だけ社会保険を受けたけど、結局転職して現在も国民保険加入者です。


派遣勤務を始めたキッカケ。



派遣生活が始まったのは36歳の時。肺がん末期を宣告された父が亡くなり、お通夜から小さな建築会社の解体までなんとか終わらせた後に、脱力感が酷くて丸々一年間何も手に付きませんでした。

でもリハビリ方々、年末商店街のくじ引き係のバイトを三週間体験した時にサポートしてくれた幼馴染みが、「世の中には派遣会社ってのがあって、登録すればもっと良いお給料もらえるよ」と教えてくれたんですね。


半身のような父親がいなくなってしまった空虚さと、家の中で沈んでいた時間に飽きてしまっていた私は、ネットで色々調べ面接へ。思えばあれも、父の導きだったのかもしれません。

最初に登録したのは西新宿にあった小さな派遣会社で、すぐ近くにフレッシュネスバーガーがあるのでお気に入りでした。まずは軽い事務作業からと紹介してもらったのは、御茶ノ水オフィスでの送付物作り。初心者には実に最適な内容で、午前10時から昼15時終業の四日間というもの。

交通費込みで時給1200円。順天堂大学の隣のデザイナーズビルが快適で、小休憩には地下のミニストップにお菓子を買いに行ったり。周囲の正社員さんも優しくて個室トイレも広くて綺麗だし、「こんな場所でずっと勤務出来たら良いな」と思いました。

毎日のように帰りは真っ直ぐ秋葉原アニメイトに通い、何の為に働いているか分からなくなったり。

そんな私の好き好きオーラ好感度が高かったのか、一ヶ月程してから次は「アナログデータをエクセルに打ち込む」お仕事に呼ばれました。本格的な派遣キャリアの始まりです。


二種類の派遣を掛け持ちした思い出。



担当部署はたった三人しかいないコンパクトさで、初日に先輩が綺麗なワンピース姿なのにも関わらず、丁寧に古いデスクとチェアを雑巾で拭き掃除してくれたのは忘れられません。

彼女のお誘いでランチはずっと年上のお姉様方と食べるように。会社内で結婚している人が多く、違うフロアに旦那さんがいらっしゃいました。

勤務している女性達に余裕があって毎日着ている服が違うし、セミブランドのスカートやワンピース着用が多かった。私も父が亡くなってから初めて服を色々買いました。1200円が自分の最高時給だったそれまでと違い、一時間1400円×6時間の週5生活は私の中に「もっと稼ぎたい」という欲望へ。

派遣担当者さんに相談して、土曜日は常磐線快速に乗り巨大量販店の掃除機売り子さんになりました。オフィス事務と立ち仕事の二ヶ月間限定の兼業は、若かったからこなせたんだと思います。

月曜から金曜日の10時から17時、ちょうどラッシュアワーもひと段落する通勤環境が特に好条件。これ以降、私は10時開始のお仕事しかしていません。何せ地獄の埼京線に乗らねばならんので。

男性のリーダーさんは16:45になると「帰る準備をしてね。残業代は出せないから」と必ず教えてくれて、一度軽い熱中症を起こした時は「おや大変だ。ハンコ押すからシフト表を持ってきて。気をつけてね」と。

印象的だったのは一ヶ月を過ぎた頃に、帰宅時にエレベーターで偶然一緒になった高級スーツのおじ様に「もう慣れたかな?頑張ってるね、お疲れ様」と声を掛けてもらったことですね。いまだに思い出すとホワホワします。

掃除機の販売員も売り上げをそこそこ出して好調、そのお陰で派遣会社からの紹介レベルはどんどん上昇。次は赤坂見附での電話対応の仕事でした。この二か所での経験値は非常に大きかったです。

体質が古いグループ系の空気感を知った事やお洒落な高めランチ、神社のたくさんある街が楽しかった。量販店では千葉と茨城間にある住民層の違いも見えたり、オフィス街では大手町と赤坂見附、虎ノ門それぞれの女性達の服装の違いも発見。

仕事も繁忙期が過ぎれば暇で、誰もいない狭い小部屋にてブログに掲載するイラストを描き、Macで文章更新もしていました。

四人全員が短期パートだったのでサラッとした人間関係もラク。通勤前に稲荷神社にお参りしたり、昼休みに有名なケーキ屋に並んだり面白くて一年間あっという間に終わってしまったなあ。誕生日には同年代の女性にドトールケーキをご馳走になりました。


短期だからこそ、揉め事が少ない。


期間が短い仕事だと勤務している仲間も「空気を悪くしたくない」と考えるようで、どこでも円滑なチームを作っていました。

Excel技術を専門学校で勉強した壮年女性からも「貴方ならどんな所でも働けるから、大丈夫」と励まされ、更に自信が積み重なり、特に電話の仕事には手応えを覚えましたね。くじ引きバイトに続いてお客さんから感謝のFAXを貰ったりして……。


母は奨学金を借りて大学を卒業し英語教師になった人で、いわゆるフルタイムバリバリのキャリアウーマン。そんな彼女は、漫画ばかり描いてきたインドア一人娘がとても外でまともに働けないと思っていたようですが、そこは全くの正反対。

私は高校生の頃から自分のサークルを立ち上げて、32歳の時には集客数2000人の小さな同人誌即売会も主催していました。在庫の委託を頼んだり頼まれたり大量の郵便物も一人で梱包発送し、コミックマーケットでは色々なお客さんと対話を交わしタイトな時間中に作品を配布します。その接客生活を18歳からずっと重ねてきたので、人への応対は苦手ではなくむしろ楽しんでいたんですね。


漫画や小説創作にも言えますが、小さな積み重ねは本当に大切なのだなと派遣生活の中で痛感しました。学生時代からの様々な体験にはわずかな無駄もありません。必ず活かせるフィールドに立つ日が訪れます。


自分にはコールセンターや電話の仕事が向いていると知って、その後もサプリメント販売のアウトバウンドや、定期的にお中元&お歳暮事務電話スタッフを兼業。デパートは年末にスタッフへのセールがあり、記念品としてハロッズの熊人形さんを購入して今でも大切に飾っています。

時々地下食品売り場からの差し入れでおにぎりを頂いたり、指導や親切にフォローしてくれた壮年女性達と楽しく過ごせて、デパートの裏方は二年間とても楽しかったです。会社合併後で風通しが良くなった時代なのも良かった。

実は、最初の御茶ノ水オフィスでのデータ打ち込みの時に、派遣担当さんから「上司からこのまま正社員として残らないかと話があります。週五日フルタイムでいかがですか」と打診されていました。

綺麗なオフィス環境を惜しんで一瞬考えましたが、やはり創作の本業を諦められず。あの時にすぐ了承の返事をしていたら、私はここでnote発信もせずネットで知り合った地方の友人宅にも行かず、たくさんの思い出を滑り落として過ごしていたはず。後悔はありません。


色々な仕事にそれぞれの長所と欠点がある。


おそらく私が派遣の季節労働者暮らしに悪い体験がほぼ無いのは、就労期間が短い職場において陰湿な人間関係に遭遇しなかったことが大きい。また大手会社直下の有名な派遣ソリューションを通じて勤務していた過程もあるでしょう。


ただし、日雇いの工場や長期契約の小さなコールセンターはこれに当てはまりません。体験者のほとんどが「立ちっぱなしの当日給料受け取り作業系では、「馴染みのオバさん集団や男性リーダーに怒鳴られ虐められた」と話していて、私も実際に体験しました。

取り敢えず経験値を得られたので早々に引き上げて、ライフラインコールセンターに復帰。工場には二度と戻らないでしょう。

それから業界で知られる派遣企業でも、営業のアウトバウンドコールでは一部強引な契約を迫ったり、高齢者に何度もしつこく説得するような所もあるので要注意。


もうこの仕事は無理だ、給料が全く見合わない。人間関係疲れた、職場の誰とも会いたくない。別に私がいなくても会社は全然回っていくよね……、そんなことを思って眠れなくなる夜が誰にでもあると思います。だって生きていくのには、どうしてもお金が必要だから。

我慢できないなら、思い切って転職してみる!



何を無責任なと怒られちゃうかもしれないけど、今の会社に定年までいられます?退職金は勤務に相応しいか、人生100年時代に身体が動く限りまで、その毎日のサイクルを続けても本当に後悔はないかな?


若い世代に特にお勧めする理由は、やはり40歳過ぎてから新しい職種を探したり経験したりはかなり大変ですよ。確かに色々な著名人の言う通りに「何歳からでも遅くない」は正論かもしれないけど、加齢してからは物覚えも悪くなるし体も重くなるし、どうしてもフットワークが鈍りますから。

好きでどうしても挑戦したいやる気と覚悟が有ればそれは別です。でも違う職種を「なんとなく始めたい」「ラクそうだから」みたいな意気込みで四十路でスタートさせると、若い頃と違って深い火傷をおって終わる確率がかなり高い。


この経済も行政システムもひっくり返ってしまった世界で、今までの「正社員は無敵!」な常識が崩壊しました。だからこそ親や他人にとやかく言われない挑戦がたくさん出来る思うんです。

50年近く生きてみて「創作活動」「派遣の季節勤労」の二足のわらじを履き続け、体感したこと。


● 転職にてたくさんの経験を積めることは絶対に損ではない。

● 自分の得意を探し、見つけたら突き詰めてみる。

● 我慢出来ないと思い始めたら、転職の準備を早く始める。

● 大切な派遣会社には恩義を通す。紹介期間中さえ頑張れば、次も親身になってくれる。

● どんなに嫌になっても遅刻や無断欠勤をしない。

● 辞めると決めたら、速攻で「この頃に辞めたい」と担当者に話す。

● メンタルを病んでまでしがみ付くべく場所は、世界のどこにもない。


もっと色々あるはずですが、ケースバイケースの職種もあるので。冷静に職場の環境や空気感を察して転職や辞職準備をしましょう。可能な限り、揉め事は避けた方が精神的にも良いです。私は派遣先で良いお友達と知り合えたので、その辺には気を付けました。

コロナ禍が明けてからこの三年、かつて勤務した場所を色々と歩いて来ました。知らなかった季節の花や新しく完成していた駅ビル、設置されたエスカレーターがとても眩しかったです。そしてあの頃、お世話になっていたお店がまだ元気だったのは懐かしく嬉しい。


人生100年としたら残り後半で、また新しい出会いや自分を試せる機会に向かい合いたいです。





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