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憂える刀、彼の名は秋の心ぞ知る。


地球人類が太陽系全土を掌握し、巨大探索衛星にてついに第二の太陽ファボスを発見してから200年。

温暖化が急激に進み北極の氷の大半が溶解した地球では、北半球の多くの土地が水に浸かり、一部の富裕層や選ばれた優生人種、絶滅危惧種の動物や植物までもが多々、低重力の月面基地や火星居住地へと保護され子孫を残していった。

過酷な地球外での生活に馴染めるように、人間と動物、猛禽類を掛け合わせたハイブリッドクローンなども生み出され、そのほとんどは屋外での危険な労働や居住コロニーの増築などに使役され続けている。彼ら彼女らは強い繁殖力を持って、すぐに創造主である人間の数を圧倒的に上回り、西暦2300年頃には既に人類はその生存数を把握しきれず、放逐するしか無くなったのである。

特に宇宙空域では健康的な女性は現存する人類のほぼ1%未満であり、妻帯者など子孫に自分の遺伝子を残せる人間種は、一部の支配階級のみ。
クローン化やハイブリッドに失敗したD6-1587のような半獣半人の「D級ブリッダー」は、高値のアンドロイドに代わり労働者や宇宙移民に家畜化され、奴隷としていきる者が増えるのみ。子供ではその多くが身体や臓器を売り、日々の食べ物や寝床にありついていた。

取り敢えず、安物でも商品としての価値があるまでは、木星や土星の厳しい気候や飢餓に怯える必要はなくなる。

彼、いや彼女とも呼べるD6-1587はそんな使い捨ての愛玩人形として生きてきたが、20歳の時に偶然、木星に降り立ったピンキーダッシュ・ファミリーと宇宙モーテルで知り合い、一晩だけ、リーダーのアルマンゾ、通称「マンジー」に買われた。

当時のマンジーはまだ幼さが残る15歳の少年で、かつて獣人民族の長だった男の息子だと聞いた。人間に対して反乱を起こし鎮圧され処刑された父に代わり、若くして一族郎党を引き連れ辺境小惑星に逃げ延びたのだと。

ピンキーダッシュのチームメンバーもその頃はまだ少なく、扱っている仕事もギャングの後処理や、下級捜査団の使いっ走りのような稚拙なレベルばかり。大多数が獣性キメラで占められた空気感もアットホーム、悪く言えば雑多そのもの。

マンジーはヤスミンの口数の少なさを好んだらしく、男性と女性の区別がほぼつかない未完成配合の愛玩動物体にも何も文句を溢さなかった。酒も少量嗜む程度でタバコも吸わなければ、いかがわしい薬物には明らかな嫌悪感を持っている。
そんな男は、それまで知ってきた荒くれ者な客には皆無で意表をつかれたものだ。

今から考えれば、あれはマンジーが自分に対して、性欲以外の興味がまるで
湧かなかったのだろうと思えるのだが、魅力的な年下の少年に自分ものぼせていた。まだまだ、二人とも幼く若かったと思う。

無関心の証拠に、彼はD6-1587の源氏名「ヤスミン」を度々忘れていて、そのうち聞き返しもしなくなったからだ。

だがそれで良かった。マンジーは少なくとも暴力を振るったり声を荒げたりもせず、まるで従順な犬や猫に対するように「ヤスミン」を扱った。
気分が出ると身体を抱いて、基本料金に加えかなりのチップを羽振り良くくれたものだ。おそらくもっと要求すれば、それだけ欲しい額を渡してくれたに違いない。

しかし「ヤスミン」は、過剰な請求をするような低脳なコールハーフとは違った。
もし彼が少しでも自分に愛想を尽かし飽きれば、この安定した生活の全ては一瞬で終わる。

ボスであるマンジーの舎弟の中には、ヤスミンの売春仲間を内縁の妻にする者もいて、ささやかな挙式を上げて自らの家庭をと小さな船を持って独立する姿には、やはり強い羨望を感じざるえなかった。
彼は穏やかに情婦を扱ったが、その視線はいつも冷めていて一瞬の熱も見出せずに、気が付けば三年の月日が経過していたから。


人間年齢25歳になったヤスミンは焦り始めた。いよいよ自分にも等しく、売春婦にとって致命的とも言える残酷な老いが近付き、そしてまたマンジーは誰か高貴な人物の直属配下に収まったらしく、更に気風堂々と美しい青年に成長していたからだ。

その頃から、「マンジー」ではなく「アルマンゾ・愁」と呼ばれるようになった彼は、目に見えて優しく、凛と変化していったと思う。
ヤスミンに「おはよう」と挨拶をして、「欲しい物はないか」「行きたい場所はないのか」と聞いてきた。

その明らかな変貌に、ヤスミンはまさかと都合の良い想像を膨らませ、落ち着かずに過ごすようになる。
もしかしたらファミリーのボスの、決まった愛妾になれるのではないかと。

妻になどとは思い上がってはいない。


ただ、ずっと彼の隣に自分が確固たる場所を作れるのではないかと、胸を高鳴らせたのだ。


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「悪いが、お前にはチームから離れてもらう」

感情の乗らない声でそう告げられるまでは。


「あたしに飽きたの?」
「少し前から考えていた。お前もこの商売を続けるのもしんどくなってきたろうし、俺はこれからもっと忙しくなる。カタギの世界に入った方がラクだろ?」

飽きたのかという質問には答えず、18歳のアルマンゾはこの3年で183cmに届いた長身をかがめて、彼女に一枚の紹介状を見せた。
液晶タブレットには、高級レストランのウェイトレス応募への履歴書が浮かんでいる。
書かれているキャリアは明らかに全て、偽物。


生まれ故郷や卒業した高校、短大の学校名まで細やかに記されていて、しかし一番驚いたのは、自分にアルファベットの名前がついているのだ。

番号ではなく、しかも綴りのある苗字も。

この世界でファミリーネームを持てる者は少ない。「アルマンゾ」でさえ、現在の名前は先代ファミリーのボスから代々受け継がれた称号に過ぎないのだ。そして真っ白な「過去」を買い揃えるにもかなりの金がいる。

「困ったらここに連絡を。俺らの仲介をしてくれてる弁護士と司法書士だ。オモテの連中だから安心していい」

「…………アンタは、どこへ行くの?」

「俺はずっと自分が生まれてきた理由を探し続けてきた。それを見つけた気がする。だから重荷を捨てて身軽にならなきゃいけねぇ。チームの家族も、残りたい奴らは自由にしていく。これから派手な戦がおっ始まる。ついて来れねぇ連中とは、ここが別れだ」


それまでの無口が信じられない程に饒舌にそう語った、かつて「マンジー」と呼ばれた青年は、アドレスの入ったタブレットを彼女にそのまま手渡す。そうか、もう二度と自分からは接触をしないし、彼にもするなという話だ。

「二千万、入れておいた。足らないか?」

無言で首を振る。まるで実感が湧かないくらいの破格の値段、つまりは手切金である。驚きはしない。この何年間ずっとシミュレーションしてきたリアルが訪れただけだ。
旅立とうとする男の瞳の色は冷めてはいたが、幼かった昔と違い、自分をまるで競争レースから引退した老馬のように労って眺めていた。

彼を変えたのは誰だろう。こんな風に優しく、残酷な温情を与えられる程に成長させたのは。

「達者でな」
「……アンタもね、マンジー。さよなら、色々たくさんありがとう」




それから五年が流れ、ヤスミン・フォーリナーは働いていたレストランの
清掃係と結婚した。彼女の過去を知らない半獣人の彼は、無教養だが真面目に働く善人で、ヤスミンをとても愛してくれている。
小さかった子宮に新しい命が宿り、隠し口座へ貯金し続けてきた二千万ドルの中から人工出産費用を出す事も出来た。

夫はその金を、妻の実家から送られてきた持参金と信じて疑ってはいない。

家に中古のテレビが入った朝は、偶然にも天王星からの中継が初めてニュースに流れた日。
宇宙生まれの人々にとっては、王族にも等しいツタンカーメン家の若き後継者が成人の儀式を迎え、初めて領地内の人々にメッセージを伝える映像が映った。

その人物は、褐色の肌を持つツタンカーメン一族の中では異彩を放つカスタード・クリームの頬をしていて、髪は月明かりの様な上品なブロンド。
まだ顎のラインには赤ん坊のようなふくよかさが見える。

血色が良く唇は瑞々しくふわりと微笑み、昼間に空へ浮かぶ星の瞬きのような瞳は、紫とも蒼とも知れない色合いを輝かせ殿上人とはこのような生き物なのかと、夫婦にため息をつかせた。

「皆様、ご機嫌よう。ソーヴィ・憂・ツタンカーメンと申します。本日、成人の式典を迎えご挨拶させて頂く次第となりました」

声は澄み切って、マイクを通しても心地良さが失われない美しさだ。何よりゆっくりと上品に紡がれる言葉の端々から、不思議な神聖さが伝わってくる。

挨拶が終わり、桜貝の爪が小粒に並ぶ手のひらを振って歓声に応え、壇上から降りようとしたその人に、臣下らしき長身の体格が腕を伸ばして支える。

ヤスミンは息を呑んで震えた。銀色の癖毛はかなり伸びて上品に結い上げられていたが、血のように染まる真紅の瞳は変わらない、あの懐かしい。

「……マンジー」

漆黒と純白のカラーリングに包まれた礼装軍服を纏ったその男は、あれから更に大きく成長していた。
人生に焦り荒んでいた顔つきはすっかり静謐に大人びて、そしてささやかに微笑んでいる。

「ツタンカーメンの姫王子」と呼ばれるその人の腰にそっと逞しい手を回し、小柄で細い存在を宝物のようにエスコートしていた。
腰には素人にも分かるくらいの見事な太刀、ハーフローブのマントが肩から流れて、階級章には三つの星。

ツタンカーメン王家の血族には、代々「字」を主人から与えられた騎士がひざまづく。
生涯、その名を与えてくれた主君に尽くして命を捧げ戦い、護るべきには自らの骨が砕かれ、肉が抉られ血が溢れ流れても惜しまない。猛禽の王家に連なる名誉と共に。

彼は一言二言、腕の中の人と言葉を交わしている。視線には尊敬と、間違いようもない愛情が滲んでいた。

「はああ、こりゃまた綺麗なお姫様と騎士様だねえ。ツタンカーメン公も一安心だろうなあ」
「……そうね、本当に」
「あの一族には血縁の子供がおらんて話だけども、あんだけ立派な跡継ぎがおるんじゃ、ますます先が楽しみやろうて」

気がつくと手の震えは止まっていて、辛いていた口の中に唾が溢れている。
中継は終わって、木星周辺の宇宙嵐速報に切り替えられていた。

「……嵐が来るみたいよ。うちも備えないとね」
「ほうかい、俺は庭木を見てくるけ。お前も無理せんとな」

夫が玄関から消えて、ヤスミンは色褪せたソファに深く座る。どうしてか頬に涙が溢れた。自分は今ここで、満ち溢れる幸せを手に入れたはずなのに。もう鎖に繋がれず自由にどこへでも行かれるというのに、何故か自ら進んで、あの綺麗な人間の首輪に縛られた「マンジー」がまばゆくて仕方ない。


出会った頃のあの手負いの野生を思わせる荒れた視線を、険しかった目元も、静かに赤く燻っていた面差しを、もう自分はほとんど思い出せなかった。まだ少年だったあの狼は、どんな声をしていただろうか……。
自分に触れた男達の手を忘れ、既に夫の温もりしか知らなくなって長くなる。そしてD6-1587と呼ばれていた生物も、もうどこにもいない。

「……アンタは見つけたのね……」

ずっと探していた、生まれてきた理由と戦い続ける情熱を。

「良かったね……。おめでとう……」

外から自分を呼ぶ声が聞こえる。彼女は涙を拭い、半年後には父親になる夫を追って、庭へ出た。

#創作大賞2022




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