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新天地にて


新しい環境に慣れるため。
新しく出会う人たちに馴染むため。
やるべきことはたくさんある。

私は新天地に異動となった。
とはいえ、そんなに大きなものではなく、同じ県内のグループ会社。しかも半年だけの期間限定。
一緒に働くことになる人たちとは、多少電話で話したことがある程度で会ったことはない。
新たな環境に身を置くこの時間を、どのように過ごすかは自分次第。
期間が短いから業務命令に沿って淡々と過ごすこともできる。
逆に業務以外の活動にも精を出し、新しい人間関係や新しい経験を積んで成長することもできる。
私が選んだのはもちろん後者。せっかく新天地で成長するチャンスをもらったんだから、色々挑戦しなきゃ。

そんな気持ちを抱いていたけれど、現実はそう甘くない。なにせ自分は人付き合いが苦手な、元人見知り。「元」なので最低限の対応はできるけど、苦手意識はある。普段のコミュニケーションでは「4人以上集まると話せなくなる病」が発症する。
私の胸には希望と不安が同居していた。

初出勤の朝。
いつもとは違う時間帯。
いつもとは違う電車。
いつもとは違う人たち。
見るものすべてが新しく、心を踊らせる。
会社の最寄り駅は意外と大きくて、カフェやファストフード店、高級スーパーなどいろいろなテナントが入っていた。一つのお店を発見をするたびに、一つ気持ちが高鳴る。さながら子どものようだった。

駅からバスに乗り、バス停から徒歩10分。
いよいよ会社に近づいてきたところで、大切なことを改めて頭の中で繰り返す。
「まずは元気よく、全員に挨拶しよう」
そんな事を考えていた。

会社に着き、扉に手をかける。
一呼吸おいて扉を開く。
「ガタガタ」
開かない?扉が重い?
いや鍵がかかっている。
どうやら早く来すぎたみたいで、誰も来ていない模様。初めてだからと思って、時間に余裕を持ってきたからだね。少し会社の周りを歩いてまた来よう。

会社は国道の近くにあって、車通りが多く朝の時間帯は騒がしい。片側一車線の両側にはお店がズラリとならんでいる。
「なぜだかチェーンのラーメン屋さんが多いけど、力仕事をする男性が多いのかな」
「あっ、スタバの看板が見える!朝からスタバなんてオシャレだよなぁ」
そんな小さな発見を積み重ねる。

少し時間を過ごして会社に戻ると今度は大丈夫、鍵が開いていた。
恐るおそる扉を開け建物の中へ入り、事前に教えてもらったフロアまで階段を登る。フロア前にも重厚な鉄の扉があり、そこで小さく気合を入れる。

「よしっ!」

扉に手をかける。

「えいやぁ!」

勢いのまま中へ。
まだほとんど人がいなかったけど、いた人たちに向けて元気よく挨拶

「おはようございますっ!」

「何者!」といった視線を感じたけど気にしない。
さて、今日からここで働くんだ。
新たな気持ちとともに、やる気が湧いてくる。

同じ部署の人はまだおらず、デスクも決まっていなかったみたいなので、なんとなく端にあった空いてる席に座る。
ほどなくしてひとり、またひとりと出社してくる。
初めて対面する人たち。
電話では話したことがあるけど、差し障りのない対外的な対応なのでいい印象を持っていた。
でもその中に一人だけ電話で語気の強い人がいて、その人に苦手な印象があった。でも会ってみたら、自分の中で勝手に作り上げられた印象は崩れ去った。苦手だと思っていたその人に、まったく悪気はなくて、ただ自分に素直な人だった。

他の人たちもみんな協力的な人たちで、全員が助け合って仕事をしていた。
私もそんな人たちの仲間入り。
「なんでも積極的に協力して、期間が終わりを迎える頃には本気で惜しまれるくらいになってやる。そして、同じグループ会社であるがゆえ、その架け橋となる。どちらにとってもいなくてはならないくらいになってやる」
これが私の個人的な目標だった。

そして毎日の業務が始まった

ある日、任意の仕事が発生した。
それは会社のお店で行われるイベントのチラシを、近隣地域へポスティングするというもの。
元の会社でも行っていたが、私が苦手としていた業務でできればやりたくない。
どうやら私には声をかけず、既存の社員の人たちのみに声を掛けているようだった。このままやり過ごして回避することもできるし、その行為が悪いことでもない。しかし、私には目標がある。ここはやらねばならない。そう考えて手を挙げた。
「私やります!」

ポスティング当日は快晴。
動かなければ寒いけど、陽射しに当たれば暖かい。
小さな社用車に大人4人が乗り込み出発。
後部座席の左に乗った私は、左の車窓から外を眺めていた。
はじめのうちは道を覚えようと頑張っていたけど、途中からそんなこと忘れてた。
「こんなところに柿の木が!たくさんなってるなぁ」
「こんなところに神社が!小さな神社だけど社はどうなっているんだろう」
車窓から見える景色は新鮮で、目に映るあらゆるものが楽しかった。

会社の近くは、飲食店がひしめき合っている。でも少し外れてしまえば、お店は急に少なくなり民家が増えてくる。
マンションなどの集合住宅はあまりなく、一軒家がほとんど。進むほどに様子は変わっていき、畑が増え、家も大きくなってくる。
新しい発見にさらに楽しさが加速する。

車で30分ほど移動して、対象となるお店に到着した。
ポスティングはお店を中心に、北から西方面に4人で手分けして行う。
A〜Dのエリアが書かれた地図を渡されて各自出発。チラシを配り終わったら、このお店に戻って来るルール。
私が渡されたのはお店から北西方面。お店のすぐ近くは他の担当者のエリアで、そのさらに先にある奥まった地域だった。少し距離があるけれど、普段から歩くことにはなれているので大丈夫。
区割りした人は、この近辺に詳しいわけではなく、ただ地図の雰囲気からエリア分けしたらしい。だから実際にどんなエリアなのかは、行ってみないと分からない。そんなこともあって、ワクワク感が増加した。

空は澄み渡り、散歩気分で気持ちがいい。
お店周りの住宅街をゆっくり歩く。
とても気分が良かった、この時までは。

5分ほど歩いて、担当者エリアに到着した。
私の担当エリアは、別担当者のエリアの向こう。
片側一車線の道路を挟んだ向こう側。
目の前には広大な「大地」が広がっていた。

住宅街でもなければ民家でもない。
感じるのは人の営みではなく、地球がつくりだす自然の息吹。
「♪あ~あ~〜、あ、あ、あ、あ、あ~」
頭の中では、「北の国から」のテーマ曲が流れ出す。「♪る〜る〜〜、る、る、る、る、る〜」

「雄大だなぁ……」

北の大地でひとり、広がる大地に圧倒されていた。
足元に広がる草原から草を一つかみし、胸いっぱいに空気を吸い込む。醸成された土とさわやかな新緑の香り高い匂いを感じる。
「本物は違うなぁ……」
摘んだ草をそよ風にのせて散らしたはるか先に、雄大な山々がそびえていた。
日本の原風景が残されていた。

いや、そうじゃない。
圧倒されていたんじゃない。チラシ片手に、あ然としていただけ。
広がっているのは大地じゃない。ごく普通の畑。
はるか遠くにみえるのは山々じゃない。ごくごく普通の住宅。

住宅街はあるけれど、歩いていく距離じゃない。
「やられた!はめられた!」
と思ったものの、時すでに遅し。

はるかなるポスティング
まさかポスティングで「北の国から」が流れるとは思わなかった。
はるかなる新天地
でも知らない土地を知れるし、旅行みたいなもの。最高!

彼方にかすむ住宅街へ向けて歩く姿は会社員でも、旅行者でもなく、冒険者。
背中が語るのは
「どんなことにも恐れず、前向きに挑戦することの大切さ」
でも涙目の本人が思うのは
「配り終わったら、担当エリア決めた人に文句を言ってやる!」

新天地の冒険者。
目標達成は遥かなる険しい道のよう。

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