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電車に揺られながら書いた独白⑧・現実は自分の内面の現世(うつしよ)である

会社の通勤電車に揺られながら、
ただスマホでひたすら書き連ねた独白です。

今回は「現実は自分の内面のうつしよである」のお話。

意識高き者たちとの別れ


「俺、Facebookやめることにしました。
 アカウント削除の連絡したので、日が経てばこのアカウントは削除されます。
 長らくの間、お世話様でした。」

4年前にFacebookをやめた時、正確な本文を
覚えちゃいないんだがこんな感じだったっけ。

東京にいた時、「地元に帰りたい」という気持ちが強くなって
賃貸の契約期間が終わるやいなや、
俺は500人超とつながったFacebookも辞め、東京を去った。
東京での俺は数多くの出会いと別れを経験した。

「誰かに言われるままの人生が楽」なことに気づいてしまったこと


デスマーチを連打しやがるブラック企業を抜けたい一心で、
その抜けたい一心でやった取り組みが
どれもこれも空回りに終わってばっかりで、
東京に住んでた時はどっちかというと辛いことの方が多い2年間だった。

辛いことは多かったが、得たものも多かった。
特に、俺自身が、自分が自分らしく自由に生きていたいようでいて、

実は「誰かに言われるがままの人生が楽」
だと思ってたことに気付かされたのは大きかった。

俺が思ってた自分と、本質的な自分って、こんなに違うんだなって。
自分が自分自身のことを一番わかってなかった、それが大きな収穫だった。

代償として、出て行った金も多かった。
徳になる出来事が限りなく少なく、苦難ばかりをぶつけられてきた事実は
今にしてみれば、光のハイアラーキーとか銀河連盟とかやらだとか、
運命がぶん投げてきた「予定調和」なんだろう。

ま、その当時の俺からすれば、
そんな奴らが勝手に決めた「予定調和」なんぞ
クソ喰らえだと思っていたがね。

自分の心の中を反映したものが「現実」


よく「現実は自分の鏡」というが、
東京にいて意識高い系だった時と
地元に戻った今と心境が違いすぎて、

目の前に見えるものが全く違うのでそれを体感している。

ブラック企業という暗黒宮殿を抜け出したら、
今度はもぬけの殻な現実を見せられた。

周りに誰もいない。信頼できる同僚もいなければ友人もいない。
家と会社を行ったり来たりするだけ。

毎日仕事して、土日祝日はハメを外さない程度に過ごしていた。
どこかで安定した人生を生きることが目的になっていた。

お金は貯まるし安定した仕事をしながら生活すれば
旅行だって行き放題なわけなのだが
どういうわけか、どこかしら虚しい日々が続く。

こんな現実というのは、真っ白なキャンパスである自分自身を投影したものだ。

以前のブラック企業から抜け出して就職してるのだが、
そこからどうやって自分の生きる意味を見出すのか、
ってのもまた辛い作業だった。

ある時「あなたの生まれたきた意味ってなんだと思いますか?」
そう聞かれた時はマジで意味わからんと思った。

「それがわかりゃあ苦労しねーよ」と。

「自分の部屋」という自分の内面を体現したもの

「現実は自分の鏡」の最たる例で、
「自分の部屋」というものが、自分の内面を体現しているといえる。

もっと言えば、人の外見と部屋の良し悪しが比例しているように俺には思える。

部屋を見れば内面が知れるというもの。

自分の部屋って、自分を男神・女神とするなら、
その男神女神がおわす祭壇なんだよ。

部屋とか自分が使ってる物を綺麗にするって、
自分の内面を磨くってことなんだよな。

部屋の雑然ぶりをそのままにして、
いくら良いリチュアルをたくさん唱えたりしたって意味がない。

どんなに崇高なる形而上学を学んだって、
どんなに自分を気高く崇高な存在として振る舞ったって
汚部屋のまんまじゃあ意味がない。

いざ表に出れば、自分の家の汚部屋同様、薄っぺらなのだと馬脚を表す。


「人生の意味」が見えずに悶々とする日々


東京にいたころの起業失敗は今の肥やしになっている。

当時学んでいた自己啓発は
「自己完結」で終わっていたので
文字通り「自己啓発」に終わってしまっていた。

「誰かがためになることで自分のためになる」
そう起業塾の開祖がよくいっていたのだが、その意味がわかるようになる。

受け取る相手のためにならなきゃならないし、
受け取る相手の幸せになることを全く思い浮かべられてない
そんな現状では、新しいことをやるとかやってる場合じゃないだろう。

自分の人生の意味が「マルクト(現実)」にあると思ってるうちは何もわからない。

そしてお金や人間関係を充足させる「勝利」は本当の意味での勝利でない。

大体が年収7桁とか、いい人と結婚して子供を作る、
とかそういうのがすごいゴールになりがち。

「人生の意味」はわからないが、少なくとも
お金や人間関係を充足させることじゃないのは理解していた。

会社を辞めても一本立ちして食っていけるようになることが
勝利ではないはずだ。俺にとって本当の勝利とは何か??

自分の「生きる意味」が見えずに悶々していたが、
その答えが見えたのは、遠い未来の話ではなかったー。

「誰にだって苦しみはある。その苦しみを乗り越え、自分に打ち勝つところに栄光がある」

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