とあるコミュ障の現在。一切合切の疑問を感じない人生に、生気はあるのか??

前回
https://note.com/starfalcon/n/nf158b7ee843a

何にもまして、疑問を持つことが大事。
人間世界の文明というものは「もっとこうすればいいんじゃないか?」
という疑問の積み重ねのうちに生まれたもの。

疑問を持たないものに生産性は生まれない。

東京で仲間と飲んだり会話したりした、あの新人時代を今振り返って思うに。
若い頃はたくさんの疑問を持って、葛藤に頭を抱えた結果
外に一歩出よう、といった感じで行動して。

今なんかより全然行動力があるなと思いながら振り返ってます。

今の自分に、何の疑問を持たない人生から、外に踏み出せないのはなぜ?

あのスクール時代からだんだん社会人のキャリアを重ねるにあたって
仕事にだんだん慣れてきて、環境に対して「慣れ」というものが生まれ。
あの新人の時の葛藤がまるで嘘のように、無かったことになっていきました。

あの時は危機感を感じて「このままじゃダメだ」と思って一歩外に踏み出したのに
その危機感すら感じなくなった。

仕事で結果を出して「優秀」と言われることに、いい気になっていた。
まぁそりゃあ誰しも「いい気になる」ってあるかもしれないが
日々同じ人と同じ仕事をやって、何の疑問も持たなくなって、

長時間残業も当たり前のようにするし、
ストレス解消のために暴飲暴食が日々の常。
ただただ機械的に、今の会社でのキャリアアップだけを目指すようになって
新人時代の葛藤を黒歴史で片付けました。

日々日々ルーティンに飲み込まれ、一切合切疑問を挟む余地がなくなる。

あの新人時代みたいに、若さと共に外に出る勇気というものを段々失ってしまい
いつの間にか「社畜」「会社の奴隷」としての人生を良しとした。

「本当に今の自分は、このままでいいのだろうか」

そんな疑問を持ったのは、人生もっと後の方でした。
会社辞めた同僚に触発されて、「転職しよう」という意志が出るまでは。

コミュニケーションスクール通っていた時は
会社を辞めるという発想にならなかったが。

かつての同僚に焚き付けられてようやく、
1日も早く会社を辞めたいと思うようになり
ようやく重い腰を上げて外の世界に出よう、と思ったのです。

「考えない方が楽」は罠

自分の人生について深刻に考えるとキリがないし、
深刻になってどうにもならないので
確かに何も考えない方が楽です。

結果がわかる同じ仕事をやってた方が明らかに楽。
そのルーティンを重ねると、だんだん外に一歩踏み出すための行動が億劫になる。
変わるための行動をすることが辛くなってしまう。

目の前のことに疑問を挟む余地がなくなったら、
それは進化成長を押しとどめるものでしかない。

だから日々のやることなすことにおいて、疑問を持っていくことが大事。

疑問を持ち、それに対して行動することの積み重ねが、
間違ったことをやめるのを加速する、早道です。

人類の歴史を振り返ると、飛行機や電球、自動車とか、
疑問なしには生まれなかっただろう。

ルーティンに飲み込まれるばかりで
疑問を持たない人生というのは屍人同然といえばそうだろう。
家と会社を往復するだけの仕事人間になる。

ちょっとしたことでも疑問を持てるのがいい。
疑問を持たないのであれば、それは本当に正しいことなのか、
それとも間違ったことを信じて突っ切ってるかどっちか。

疑問を持たない人生などゾンビと同じ。
「考えない方が楽」という罠に陥る。
それは、人々を都合よくコントロールしたい側の思う壺だったりする。

自然と「自分を殺す」人生になってしまう。

終わりに


どうすれば自分で悩みを抱え込まずに済むか
自己開示をする努力をすること。
それは考えて唸ってるだけではダメで、
意志表示をしなくてはならない。

そうしないと現実は何も変わらない。悩みを開示すること。

時たまに私は、あの時のように誰にも相談できず、
自力じゃ当然どうにもならない、さあどうしようって
本当に困ったことを思い出します。

「このままじゃダメだ、何かを変えねば」と。


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