ルカの福音書24章13~32節 新しい朝に④「失望では終わらない」 2022.5.8 守谷キリスト教会礼拝説教
神に対してがっかりしたこと、失望した経験はありますか?
信じていた道が閉ざされたこと。
いくら祈っても答えが与えられないこと。
なぜこのような、という理不尽な出来事に巻き込まれる時、
私たちは神様に目を上げます。
ところが、どうしても脱出の道を見いだせない時があるのです。
エルサレムからエマオへ行く道の途中で、
二人の弟子たちはイエス様に出会いました。
彼らもまた、深い失望感の中にいた人たちです。
自分たちが望みをかけたナザレのイエスは十字架にかけられ、
しかもその遺体が失くなってしまった。
彼らは議論し考え続けましたが、わかりません。
何を話しているのか問われると、暗い顔をして答えるほどに、
彼らは失望していました。
同時に、自分たちの心も慰めようともしていました。
私たちはそれぞれ、
自分なりの神についてのイメージをもっています。
それはしばしば聖書に出てくる神に、
自分なりの経験や常識、理想といったものを
かけ合わせたり差し引いたりしたイメージです。
弟子たちの望みは、
祭司長や議員といったイスラエルコミュニティのリーダーたちによって
打ち砕かれました。
世の権威者たちは
「イエスは救い主ではない」と判断しました。
しかし神は、
イエスを死の苦しみから解き放って、
よみがえらせ、
イエスが本当に救い主であることを証詞されたのです(使徒2:24)。
私たちが抱く信仰の失望感や窮屈感は、
不十分な神イメージが要因になることがあります。
必ずしも大きく間違っているのではありません。
ただ、部分的な納得感を全体であるかのように理解してしまい、神
を小さくしてしまうことがあるのです。
弟子たちにイエス様は近づいて来られ、
聖書全体から説き明かしてくださいました。
このイエス様がしてくださったことを、
聖霊なる神様は私たちにしてくださいます。
納得のいかない事柄についての
自分なりの考えを聞いて下さり、
聖書を通して
私たちを救い出してくださったイエス様がどのような方か、
真理を理解させてくださるのです。
【思い巡らしのために】
1.信仰生活の中で失望していること、失望した経験はありますか?
2.聖書を読むときに、聖霊様が理解を助けてくださるように祈ることはありますか?
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