創世記3章1〜13節 御国を来らせたまえ④「他者と共に生きる成熟さ」 2022.7.10 守谷キリスト教会礼拝説教

神の国としてのエデンでは、
大きく3つのものが
人に与えられていました。

①生きる使命としての仕事(エデンの園を耕し守る)、

②神との関係を保つルール(中央の木の実は食べてはならない)、

そして
③他者との交わり(エバが与えられた)です(創世記2:15-18)。


しかし罪が入ってきたことによって、
これらの3つは破壊されました。

この神の国を、
この地にあって再び回復させるために神が働かれたというのが、
聖書全体のストーリーです。

ですから

イエス・キリストを信じた人に与えられる祝福とは、

エデンの園に見られる人間性の回復ともいえます。

生きる目的、
神との関係の回復、
他者と共に生きる成熟さ。

これらが祝福として、私たちには与えられるのです。


私たちの生涯において、
人間関係の悩みは尽きることがありません。

聖書が記録した
世界で最初の人間関係は、
性格の不一致や、
発言の誤解によって
破綻したのではありません。

関係の破綻は、
サタンという悪の力によってもたらされたのです。

誘惑した蛇の背後に
どのような力があったのかは、
イザヤ14:12-15、エゼキエル28:13-16から
垣間見ることができます。


私たちを日々悩ます課題も、
そこに見えない悪の力が影響をもたらしていることを認識し、
私たちの目線を上げることは大切です。


アダムは、
「この女が私を惑わした」
と言いました。

問題はこの人の側にあって、
自分を善とする図式は
私たちを安心させます。


その構図は
日々のニュースの中にも、
そして福音書の宗教家たち(マルコ2:16)や
弟子たち(マルコ9:38-40)にも
見られるものです。


しかしそのわかりやすさは、
背後にある悪の力を
ますます見えにくくします。

そして
私たちは
「あの人は変わらない」と
考えることをやめ、
祈らなくなります。


悪の力は、どこにでも及びます。
教会に来る「私」でさえも、
例外ではありません。

神の恵みもどこにでも及びます。
教会に来ない「あの人」も、
例外ではありません。

そして神の愛は
多くの罪を覆うことを、
私たちは知っています。


「神の国が来ますように」という祈りは、
見えない悪の力、
その領域に対する戦いの宣言です。


イエスは十字架によって、
この悪の力にすでに打ち勝たれました。

そして、
やがてくる最終的な戦いにあっても
イエス様は勝利をとられるのです。

隔ての壁を打ち壊し、

私たちの間に平和をもたらされたイエスの御名を崇め、

この救いの御名によってあらゆることを祈りましょう。

【本日の説教を振り返るために】

① 神が与えてくださる祝福を、日々受け取っていますか?

② 諦めているあの人のために祈ることで、何が変わるのでしょうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?