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安部公房「燃えつきた地図」感想

 都会——閉ざされた無限。けっして
迷うことのない迷路。すべての区画に、
そっくり同じ番地がふられた、君だけ
の地図。
 だから君は、道を見失っても、迷う
ことは出来ないのだ。
(安部公房「燃えつきた地図」)

   ※

 興信所の調査員が、失踪した男を追い始めるところから物語は始まる。依頼人であるアルコール中毒の女性、怪しげな組織に所属するその弟、失踪人の元同僚に、喫茶店「つばき」の関係者たち……。
 人間は、その存在を、自身ではなく居場所によって保証される。会社、家族……あるいはもっと物理的に、いつも通る商店街や、毎朝目覚める湿っぽい布団……。それぞれが、自分の存在を確信するため、現在地を——自己の帰属すべき場所がどういった地形になっているのか——紙にしっかりと書き留める。それがすなわち、地図である。しかしこの紙切れが、「すべての区画に、そっくり同じ番地がふられた」ものにしか思えない時、我々は一体どうなるだろう? あらゆる場所が均質で、全く区別のつかないものであった時、自分はどこにいれば良いのか?
 主人公の同僚であった調査員。大変な失敗を犯してしまい、とうとう病院に送られてしまった「内なるあいつ」。そんな仲間の喪失を皮切りに、主人公の……そして現代人の「孤独」が示されていく。それは依頼人の弟の死であり、関心を惹こうと何重にも虚をつく田代であり、別居している妻であり、無機質な自販機の列にまで見出せるだろう。
 物語の終盤で、主人公は興信所を辞職する。彼はここで、完全に存在の根拠を……いるべき場所を失った。どこにもいない男と、いるはずの人間を失った(依頼者の)家。両者は互いを引き合って、本来あるべき形へと向かう。主人公が、依頼人の女性を(失踪人と同じように)くすぐった瞬間、その運命は決定されたように思われる。
 本作の結末を理解するには、主人公が失踪人と同じ存在(代替物)になったのだ、という前提が必要である。依頼人は妻となり、以前の言葉通り喫茶店で働き始める。そして代替物たる主人公は、失踪人の運命をなぞり始める。
 自らの存在が、居場所によって保証される空虚なものにすぎないこと、それにふと気がついた時。街を歩く人々が、存在しないも同然な、儚いものであると知った時。……きっかけは、記憶喪失でも何でも良い、人間はそこで、地図を見る。自らが自らを確信するため、現在地をメモしていた紙切れである。ところがそれは、「すべての区画に、そっくり同じ番地がふられた」役立たず。そんな地図の示す現在地など、一体どれほど信用できるか? 失踪人も、主人公も、自分の意思で、自分の居場所を見つけようと、かつての場所から逃走するのだ。

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