見出し画像

STAND運営者 鈴木将斗 自己紹介

こんにちは!鈴木将斗です!

早速ですがこれまで自分がどんな人生を歩みそして何を感じて今に至るかを赤裸々にお伝えしたいと思います!

まずは人生を振り返る前に簡単に自己紹介させてもらいます。

・1992年9月6日生まれ
・北海道小樽市出身/住まいは東京
・25歳で結婚
・20代で転職を2回経験
・現在は人材業界のベンチャー企業勤務

地元北海道で生まれ家族構成は父、母、兄の4人家族の末っ子として育ちました。

特別裕福でもないが、正直に貧乏でもなかったので生活に困るような感覚を感じることもなく大学卒業まで実家で暮らします。

親のお陰もあり平和に生活ができたので何かに対して強い不満や苦労もなかったが反面的に人生の目標や成し遂げたいことを考えることもありませんでした。

ただ、過去を振り返ると『逃げ』や『劣等感』の繰り返しをしてしまっていました。

<LINE友達登録はこちら>

※LINE友達登録で『自分の才能や強みがわかる』コーチング体験を無料でプレゼント!



小学校時代


僕の家族はちょっと特別な家族です。

父は北海道の番組で約30年間テレビの生放送に出演しており地元ではちょっとした有名人的な存在です。

兄は根っこからの兄貴肌でクラスでも常に中心的な人物。
バスケで活躍しており、勉強もできる、かつヤンチャな面もあり何かと目立つ存在でした。

母は天真爛漫で常に明るく前向きで『我が道を行く』を貫き通した強い母です。

一言で言うと鈴木家は『キャラが濃い』家族でした。

ただ、たまに親から言われる言葉として

『将斗は感情がわかりにくい』

『あまり表に出さない』

『本当はどうしたい?』

こんな言葉をかけられることもありました。

自分の中では『そんなことはない』と思っていましたが、1番身近な家族からそのようにみられている事実があります。

本音ベースで振り返ると

『まーくんのお父さんはテレビに出て凄いね!』

『お兄ちゃんはバスケ上手いし凄いね!』

『お母さんは明るくて元気もらえるね!』

このように家族に対しての言葉を周りから言われることに対して『自分はなんだろう?』と考えることもあり何もない自分に対して劣等感を感じることもありました。

そんな劣等感にまみれた感情を表に出さず自分の意見を強く言えない幼少期でしたが一つだけ感情をだせる場面がありました。

小3から始めたバスケットをしている時です。

結果的に小中高バスケを続けずっとキャプテンも務めてきたことから唯一自己開示ができる場がありました。

中学時代 〜最初の逃げ〜


小学校から始めたバスケットに熱中することができ、中学校でも当たり前のように入部をしました。

入学して1年生からスタメンとして使ってもらい自信もついてきます。

そして初めて将来のことを少し考え始めます。

『どこの高校でバスケしようかな。。』

候補として出てきたのは2つ、地元の高校とは違い札幌にある高校です。

思いは単純でした。

『強いとこでやってみたい』

ただ、公立の高校だったので受験が必要です。

親に頼み塾に通わせてもらい部屋の勉強机にも志望校への入学目標を書いた紙を貼り意気込みだけはあったと思います。

ただ『本気で目指していたかどうか』

そう問われると

答えはNOです。

僕は口と姿だけの目標は立てたが、行動をすることはなく目標の為にやらなければいけない勉強から逃げの選択をしました。

心の中で

『本当に諦めていいのか?』

『目標で終わっていいのか?』

このように自問自答することもありましたが


『誰かに宣言したわけではないし』


『諦めても怒られる訳ではないし』


逃げの思考から結果的に本気で目指すことはせず地元の普通科の高校へ進学する決断をしていました。

高校時代 〜目標の重要性〜


高校でも当たり前のようにバスケに没頭します。

中学と高校ではフィジカル、スキルに圧倒的な違いがあり最初はギャップを感じますが2〜3ヶ月もすれば慣れるもので自然と溶け込み高校でも入部して4ヶ月経過したあたりでスタメンとして使ってくれる程になりました。

そして上級生が引退し、自分達の代でキャプテンになり更に気合が入っていた時にとある経験から目標の大切さを感じさせられる出来事がありました。

バスケ部では毎年恒例の夏合宿があります。

合宿では親御さん、そしてOBの先輩方もサポートに駆けつけて朝練から夜練までバスケ漬けになるかなりキツい合宿です。

そこでOBではないが高校時代に全国大会も経験している先輩も練習相手としてサポートに来てくれて一つの質問をされました。



『君たちの目標はなに?』



『・・・・・』



(キャプテンである自分が答えないと、でも目標って決めてたっけ?)


(何か答えないと・・・・)



『全道大会でベスト4になることです!!』


とっさにその場で決めた目標を僕は答えました。



『そうだね、、その目標で今の感じなら良いところベスト8ぐらいかな』


そう言われました。


結果的にこの読みが正しかったかどうかは結果論に過ぎないが3年生最後の大会では全道大会でベスト8の結果でした。


この時の一言は今でも鮮明に残っており目標を決めること、その目標を仲間に宣言しなければいけないこと、自分だけではなく目標の認識を合わせること。

その重要性を学ぶきっかけになりました。


高校時代 〜2回目の逃げ〜


バスケも引退し大学への進学のタイミングになります。

特に理由はないが漠然と大学には行くものだと思っており『どこの大学が良いかな』と考え始めます。

友達とも相談しながら『せっかくなら一緒の大学に行くか!』という軽いノリで志望校を決めます。

今振り返ると友達との間には温度差があったかもしれません。

僕は志望校として行き先は決めるもあくまで『志望校』と位置づけしているだけで本気で入学したいとは思っていませんでした。

結局、受験勉強からは逃げ担任との最終の進路面談で志望校を変更し指定校推薦で入学できる大学を選び自分にとって楽な道を選ぶことになります。

新しく選択した大学に行きたい理由もなく、強いて言えば仲の良い先輩が進学していて『先輩も楽しそうだな〜』と思うぐらいの視点しかありません。

ここでも人生を左右する大きな選択で自分が楽になる方向性で決断してしまい『逃げの選択』を当たり前のように取る自分がいました。


大学時代 〜就職活動〜


大学生活でも特に大きな変化はなく『バイト』『飲み会』『サークル』を繰り返すような生活で無難に大学生活を楽しんでいました。

ただ、就職活動で将来の仕事考え『どんな自分でありたいか』『何を仕事にすれば納得出来るか』初めて自分なりの答えを求め逃げずに自分と向き合いました。


『過去に1番感情的になったことはなんだろう、、、』


人生で唯一感動泣きをした経験がありました。


兄の結婚式でした。


その経験から仕事への求めるものとして

自分が本気で良いと感じたサービスを提供側に周り人を喜ばせれるようになりたい。

そう強く思いブライダル業界を軸に転職活動を進めました。

過去の小さな体験から自分の明確な意思を持って選択をした初めての経験かもしれません。

最終的にブライダルジュエリー業界の会社へ就職を決めます。

更にもう一つの決断として

北海道に残るか、全国転勤を希望するか。

入社前の面談で希望を出す機会がありました。

僕の中で自ら意思をもって逃げずに選択したことでもあり『成長したい』という思いが強く生まれてきていました。


『道外でかつ厳しい環境に配属して欲しい』


このようなオーダーを人事に出すことで地元を離れてのキャリアがスタートしていきます。


仕事への熱中


キャリアのスタートとして環境を変えたことは非常に正解でした。

地元にいると常に誰かとの比較目線での声を気にしてしまう自分から身内が誰1人のいない環境でフラットな評価がもらえることが心地よく感じることもありました。

そんな状況もあり新卒2年目のタイミングで店長職となり、その後店長としても転勤を重ね3店舗の運営に携わるキャリアを歩むことができました。

当時26歳で会社の中では役職者としてのポジション、収入、やりがいも得て大きな不満はなく『ずっとこの会社で働いていたいな』とも思うほどでした。

ただ、目の前の環境に刺激を感じれてなくなっている感覚があるのも事実でした。

会社も好きだし、環境も良いし、働いている仲間も誇れるし

ただ、自分はこの後どうなっていきたいのか・・・

もう一度自分の人生に向き合う思考が深まっていました。


そして僕が出した決断としては

『満足しているからこそ捨てる』

『そして違う環境で勝負する』

そう意気込み初めての転職をします。


苦痛との向き合い


2社目では人材業界の営業職として150名程の会社へ入社しました。

決め手としては

・成果主義である社風
・昇進昇格のスピード感
・会社として成長していく意思が感じられたこと

特に成果主義であることに自分を試してみたいという思いが掻き立てられた思いが強くありました。

そして入社後も僕自身かなり気合が入っており感覚的には鼻息荒く『こいつら全員倒してやる』ぐらいまで思っていました。

入社スピーチでも全社に対して正直に覚悟の気持ちを伝えました。

『僕は前職の仕事が好きでした。でも辞めました。新しい環境で挑戦して必ず成果を出します』

苦笑いと力強い拍手の両方が入り混じった反応でした。

実際に売上達成、賞の受賞、昇進昇格をしていくことが出来たので自分でも満足できると思っていました。


しかし本音では苦痛と違和感を感じていました。


『全然今の仕事に誇りを感じれない、、』


ここで再度自分が仕事をする上での大切な価値観に気付きます。

簡単にいうと2社目の会社では売上を取る為なら何しても良いという風土が強くありました。

もちろん売上が大事なのはビジネスとして当たり前のことではありますが、お客様を騙すこと、クレームにも対応しないこと、お客様はカモだという声、そんな環境に耐えきれない気持ちでした。

お客様に対するスタンスで許せない範囲を超えている環境に対しての怒りと苦痛が生まれていたのです。

ただ、成果を出すためには今の方針の方が確かに売上は上がる構造。

その方針で部下に対してもマネジメントもしなければいけない違和感。

成果は出ているも感情的には不安定な時期が一年程続きました。


覚悟を決める


とある日に上司からプライベートの相談を受けます。

『奥さんに婚約指輪を渡しそうと思ってて、、どうやって選べば良いかな?』

僕は素直に力になってあげたいと思い婚約指輪の選び方、ダイヤモンドの知識、各社ブランドの違いについて説明していました。

そして上司から『鈴木くんの前職の会社から買いたいから紹介して欲しい』と言ってくれ後日一緒に店舗へ行くことになります。

そこで覚悟を決める一つのきっかけがありました。

婚約指輪は一生に一度の大きな買い物でもあるので2〜3時間悩むのは当然です。また、1日で決めることなく数日に渡って検討する方もいらっしゃる程です。

やはり上司も非常に悩んでいました。

そんな悩んでいる姿に対して既に退職している身にも関わらず半分自分が接客するような形でヒアリングや提案をしていました。

その結果上司も1日で決断することができ感謝と同時にこんな言葉をもらいました。

『今の環境とは違って鈴木くんは素敵な環境で働いていたんだね』

この時に改めて自分が仕事をする上で大切にしていきたいと思える価値観として『友人や家族に対しても自信をもって提供できる仕事に携わっていたい』という軸に気づくことが出来ました。

そして今の環境から離れる決断をします。


これからについて


これまでの人生経験から20代で得る経験は人生にとって大きく影響するものだと感じました。

早いうちに多くのことを学び行動に移していくことで挑戦が生まれます。

そんな環境を作り特に20代〜30代の方の成長をサポートするような良いことを行っていきたいです。

そして、その思いを全て詰め込み心から納得できると確信しているのがSTANDです。

もちろん現状に満足しているということではないがより多くの人がSTANDに興味を持ってもらうこと。

実際に活用もして頂くことで自立に向かい人生が少しでも前進していく人が増えていけば心から嬉しいですし、その機会提供の場を創出し続けることが今の目標です。

最後まで読んで下さりありがとうございました。


STANDコミュニティオーナー  鈴木 将斗

<LINE友達登録はこちら>

※LINE友達登録で『自分の才能や強みがわかる』コーチング体験を無料でプレゼント!


※STANDの紹介


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?