見出し画像

#5 辛いなら、みんなに待って貰えばいい。0から積みあげればいい。鬱病編

 私は鬱病だった。と、過去系で言えるまで8年はかかっただろうか。

メンタルの問題は複雑でケースバイケースだ。私は病院に通う事と薬を飲む事がどうしても嫌だったので、自分で日記を書いたり、人に相談したりしながら時間をかけて回復していった。

これは誰もが出来る事ではない。私が復活できたのは良き友人、良き両親、そして親友であり今は人生の伴侶となった妻に支えられたからこそだ。病状によっては周りが病院に連れ出し、抗うつ薬が必要な場合もあるだろう。

今回書くのはアドバイスとまでいかなくても私が私に言い聞かせてた励ましや、私が鬱を通して学んだ事だ。

誰かの枠や形にはめられて、苦しい人、生き方が分からなくなった人に一人でもフィットすばいいなという気持ちで書こうと思う。

そして、人とは今しか感じれない都合の良い生き物で、一生続くと感じていた絶望感も今では忘れているし、私の記憶が風化する前に記しておきたかった。

私の場合。鬱と貧乏。

私の鬱の原因から話そう。もちろん自分自身の性格や育った環境にもよる為、シンプルな因果関係では表す事は出来ないし、説明し尽くせないので、簡単な直接的原因から話そう。

私が大学1年の終わりから2年半程働いたインターン先は怒号が飛び交うとんでもない場所だった。所謂、ブラックインターンというやつだ。今はそこまで前時代的な事はないようだが、私が働いていた頃は無給かつ授業を休んでも来いと言われ、行けば怒られるという頭の可笑しい会社だった。

社会が何たるかも知らず無垢だった私は、その会社が憧れの場所だったという事もあり、とにかく一生懸命”組織”に合わせようと頑張った。その後、期待されていたのに成果を出せない自分にどんどん自信を失っていき、ただ怒られないようにする能力だけが身についていった。実際、私は周りと比べて怒られる事も少なかったし、リーダーを任せられ先輩や社内の友人からは上手くやっているように見えたようだった。

しかし、今思えば私の心の中で起きていた事は自分を殺し続ける行為だった。色んな理想を持ってインターンに挑んだ私には私なりのビジョンがあった。しかし、例えやり方に疑問を持っていたとしても、組織においては"正しさ"と”先輩”がイコールの場合が多い為、先輩の考えに意見するなんて事は出来なかった。

疑問に思ったとしても、自分の考え何て大した事ない、自分が間違っているだろうと気持ちを殺し続けた。中には私が何をしたいかを見抜いて「お前は思った事があるなら言った方がいいし、それが会社の為になる」と言ってくれる方もいたが、日々の業務と同調圧力に殺された。

この経験から今ではどこの組織に行っても、最初のインスピレーションや疑問を大切にしている。抱いた疑問は大切にした方がいい、疑問は自分の価値観に直結しているからだ。

鬱病当時の私は昔からの友人から見ると非常に疲れている様子で、以前に比べて笑顔を見なくなっていたそうだ。朝起きてまず会社からの電話履歴が無いかびくびくしながら確認し、(どんな状況だよ)昼夜は逆転、食欲は無く、日ごろの生活に必要な事さえ行動するのに苦労する有様になのだから笑顔なんて消えて当然だった。ただ、圧倒的な圧力を前にインターンを辞める事も出来なかった。辞める事が人生の不正解のように洗脳されていたからだ。

大学4年生になり、自分を誤魔化しながら頑張った就職活動では、流石にインターン先の会社ではなく行きたいと思える会社に内定を貰う事ができた。しかし、いよいよ心が壊れかけていた私は内定者研修中に自分の異変に気付いた。何を聞かれても言葉が出なかったのだ。

そうなってしまうのも今振り返ると理由がよく分かる。自分を殺し続けたのだから、自分の考えなんか消え失せる。何を聞かれても、心が"無"で何も意見が出ない。

自分が無いから先輩の顔ばかり見てしまうようになる。

自信が無いから周りの評価、周りの意見が自分の評価になる。

もう泣く感情さえ無くなり、気晴らしに見た映画はただの静止画のように見えた。

悪い事は続くもので、一度だけ行った病院でうつ病の診断を受けた私は大学を一度休学、内定を辞退し自営業を営む実家に帰るも、父親に最大の取引先である会社が倒産したと告げられた。父親まで疲労困憊状態になってしまったのだ。さらに兄も難病を抱えており、所謂サラリーマンにはなる事が出来なかった。そんなストレスフルな環境下の我が家では兄と母親はしょっちゅう喧嘩をしているという最悪の状況だった。

一人一人は優しい人間でも、経済的に追い込まれると余裕が無くなる。

はっきり言おう。カオスだった!!!

ここからの復活劇はもちろん生半可では無かった。ドラマのような劇的な変化なんかある訳もなく、一つ一つ解決していったのだ。父親の仕事とバイトのダブルワークをしながら、兄と二人で金融トレードの勉強。必死にクソみたいな状況を抜け出す努力をした。

もちろん、これも他の人から見たら少し頑張ってる程度かも知れないが、私は心の葛藤で毎日疲れ果てていた。何が辛いかは本人次第だ。

そんな死にたいと思った毎日も、コンビニで好きな物が買えない生活も最終的には幸せとは何かを教えてくれたし、今では家族も仲良く過ごしている。そして何より、どん底だった分、コーヒー1杯で最強に幸せを感じられる私は無敵になった。

人生はドラマのように綺麗じゃない。

今、生きるのが辛い方へ。
人生はカッコよくはいかないよ。
思い描いていた通りにはいかない。それを今知れた事は良い事じゃないだろうか。

周りの人は順調なのにと思う気持ちもよく分かる。私も自尊心がズタボロで、自分だけが出来損ないのように感じ、孤独感と虚無感でもう幸せになれない気がした。しかし、ずっと綺麗に進む人生なんて無い。いや、綺麗に進まない方がいいともいえる。遠回りをする事で見える景色がある。安心していい、人生の順調さと最終的な幸福は別だ。

それに、キラキラ見えるあの人も苦労した時代があったり、偉そうな人も偉そうにされた経験があったりする。アヒルのようにスイスイ優雅に泳いでいるように見える友人も、水面下ではジタバタしていたりする。そして、明日にはどうなるかも分からない。それはみんな一緒だ。

最終的に40歳、50歳、もっと言えば死ぬ時になってみないと人生は分からないと思って私は生きている。

そう、だから少しくらい休んだっていい。周りに説明し休める環境を作ろう。場合によっては環境を捨てる事だって必要だ。

みんなには待ってもらえばいい。
出来ない事があってもいつか恩返しすればいい。

もう一度スタートラインに立って、トライ&エラーを繰り返しながら自分を取り戻そう。一つ一つ確かめながら、あー自分はこれが好きだったなとか、本当はあの時嫌な気持ちだったとか、ゆっくり自分を確かめればいい。

鬱病はこれまでの生活を変えてくれという、心からのサインだ。今まで通りに戻る事が正解だと思ってはいけない。

自分の事をよく知らずに形ばっかり相手に合わせると、自分で自分の首を絞める事になる。
会社や他人は常識やルールという名の形にあなたをはめ込もうとするし、勝手な正解をあなたに押し付けてくるが、多様化する現代において絶対的な正解なんか無いから安心していい。

だから、まずは自分が何を何処まで出来て、どんな事がNOなのか、という土台を作り上げないといけない。土台が無いとどんな家を作ってもすぐに壊れてしまう。ゼロからゆっくり積み上げよう。時間が掛かってもいい。待って貰えばいい。

本屋に行けば、ある人にとっての”正解”が沢山おいてあるが、同じ経験、同じ視点、同じ性格、同じ人間関係を持ってない自分には大して役に立たなかったりする。責任の伴わないアドバイスをしてくる人は今のあなたには必要ない。

私も含めて他人に惑わされちゃ駄目だ。今、苦しいあなたに必要なのは近道のアドバイスではなく、あなたが自分自身で土台を築く時間と、それを待ってくれる身近な人だ。

あなたが大切にしたい事を、素敵だねと言ってくれる人。趣味でも、人でも、価値観であっても、自分にとって大切なものを一緒に大切にしてくれる人が必要だ。

もちろん、私が提案している道は決して楽じゃない。けれど、確かな土台が出来る。

私も何回もアルバイトしては辞めて、休んだらバイトして。そんな生活だった。惨めで仕方なかった。でも、それを繰り返した結果、今では一応5〜8千人規模のイベントを回すイベントディレクターだ。もちろん、水面下では相変わらず足をバタバタさせている。

もしかしたら、あなたには体を動かす仕事の方がいいのかも知れない。プライドも要らないし、かっこつける必要も無い。正解なんか無いからだ。

私は鬱症状が酷い時は楽な仕事をしたくて、誰とも話したくなくて、駐車場の監視業務をしたが結局合わなかった。楽であれば良いわけではないようだ。

あなたにとって大事な事は人と接する仕事かも知れないし、自然と触れる事かも知れない。自分を見つめて、試して、休んで、また試して。
その繰り返しが大切だ。失敗は存在しない。

そしてこれは一生続く作業だ。出来る事を確認し、出来る作業を増やす。私は2020年の9月末で今の職場を退職する。"考えるイベントディレクター"が"考える無職"になってしまう。けれど、これも何が何処まで出来るかの確認作業の延長なのだ。

不安が無いと言えば嘘になるが、今日飯が食えて風呂に入れたら最高に幸せだし、それはバイトでも可能だから大丈夫だろう。

身体が健康で飯が食えたら何て幸せなだろうか。生まれた息子に飯を食わす為に頑張る必要はあるが笑

1人2万円近くするお寿司を食べたり、高級な焼肉も食べたりもしたが、大丈夫。幸福とは関係なさそうだ。元気になって稼いで、お世話になった人と食べる飯には敵わない。友達から流れてくるInstagramの写真も見なくていい。

手に届く幸せを、着実に手に入れていこう。
そしてふと振り返ったら、鬱はどこかに消えている。そんなものだ。

最後にアドバイスをさせて貰うなら、
栄養のあるものを食べて、たまには散歩して、生活リズム良く生活しよう!
あなたがいい人に出会えますように。

以上。

何か相談はTwitterのDMまで。

前回記事:良い物を良いと言いたい。正直な広告と素直な人が好きだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?