陽香/ haruka

𓂃心地よさの先に生まれるルーティンが強固な心と身体の結びをつくる𓂃身体感覚を感じるセル…

陽香/ haruka

𓂃心地よさの先に生まれるルーティンが強固な心と身体の結びをつくる𓂃身体感覚を感じるセルフケアヨガをしています。元 看護師・保健師のヨガインストラクター https://lit.link/sharespaceyoga

最近の記事

何の為に生まれて 何をして生きるのか

先日、Instagramのストーリーズにこんなことを投稿しました。 . . ー何の為に生まれて 何をして生きるのか  答えられないなんてそんなのは嫌だ!ー 人のため、家族のため、誰かのため。 結局皆んなそこに行き着くのかもしれない。 でもその前に、 ただ身体があって、身体自身が生きている喜びを味わう経験を自覚したことがある人ってとっても少数な気がするんです。 言語化まで辿り着かない、身体が身体で感じる感覚。 何もなくてもただじわっと身体がある喜びみたいところ。 

    • 超人になる。

      価値なんて時代と共に移り変わるものだし、 文化が違えば全く別物になったりする。 価値とはそういうものだとした時、 あなたはどういう気持ちになるだろうか? ① 自分の価値を置いていたことが絶対的なものではないと気づき、気持ちが楽になるだろうか? そして、絶対的なものがないのならば、自分で価値観を作り上げても良い。作り上げていこう!と積極的に願うようになるだろうか? ② はたまた、本当は全てに価値がないと感じ、生きる意味が見出せず、苦しみの中に入っていくだろうか? . .

      • まだ身体がある。

        家の裏口を出て 離れのワンルームまで 外の澄んだ空気を吸い込みながら 歩いている。 車を降りて コーヒーを買いに セブンの自動ドアまで 歩いている。 見よう見まねで覚えた神楽を舞う甥4歳を ソファに座って 眺めている。 . . ときどき 「まだ身体がある」 と思う時がある。 その時間を身体全体で捉えている感覚。 「まだ身体がある(よかった、まだいける)」 という雰囲気が身体の方から漂ってくる。 身体があるから、 今知覚できている全てのこと、 今思考できている全

        • 自分と状況の分離。

          瞑想をしていると とても良いなあと思うことの一つに 「自分と状況を分離して捉えることができる」 という側面がある。 何かについて考えたり思考している時、 私たちはその思考(考えている内容:状況や物事)から 感情や身体感覚への影響を受けている。 例えば、 終えなければならないタスクを思い出し、 焦りの感情から心臓がドキドキしてくる、など。 外部の状況や物事に 頭・感情・身体が飲み込まれてしまっているのだ。 そこで、 瞑想の話に戻るのだけれど、 自分がただここで 呼吸

        何の為に生まれて 何をして生きるのか

          没頭できることを可視化してみる。

          最近、 もっと何か没頭できることに時間を使えば、 更に有意義に楽しく自分らしく 生きられるんじゃないかと思っていて、 今日はつい没頭してしまうことを 書きながら見つけていきたいと思います。 (※自発的であるというのをポイントに) ✴︎誰かとの対話(相互のやりとり必須) ✴︎ヨガをしているとき(インストラクションする側) ✴︎スライドや告知画像をデザインし作っている時 ✴︎時代に沿った自分の在り方について  どう在るのがいいのか、心地良いのか、  思考し整理している

          没頭できることを可視化してみる。

          普遍で不変な身体の価値。

          価値なんて時代と共に移り変わるものだし、 文化が違えば全く別物になったりする。 それに気づいた頃から、 じゃあ私にとって価値あるものとは? を考えながら日々過ごしている。 何か行動を起こすことも (結婚したり、子をもったり、就職したり、旅をしたり) 100%純粋な自分だけの価値観と欲求に基づいたものというのは とっても稀有なんじゃないかと思っている。 . 私たちは「望むこと」を 生きる糧や行動の原動力にしていて その望みは無限で制限がなく ノールールである。 い

          普遍で不変な身体の価値。

          心地よさや楽しさの先にルーティンが生まれる。

          私のヨガを受けてくださった方の中で、 「運動なんてきついし苦手だし全然やろうと思わなかった」 「ヨガはきついから続かない」 と言っていた方々が 長期にわたってヨガを続けてくれている といったことがよくあることに気づきました。 (私のヨガクラスをご自身の都合により受けられなくなった後でも、YouTubeや以前お渡しした動画を見たりして続けていらっしゃるようです) 私においても、そうです。 自分に合った身体を動かす方法(ヨガ)を見つけたから7年も続いています。 . .

          心地よさや楽しさの先にルーティンが生まれる。

          自分だけにしか分からない身体感覚を自覚する。

          意識が身体に向く瞬間、 入る瞬間、 戻ってくる瞬間。 その時いろんなことに気づく。 脚があること。 その上に胴体があること。 胴から手が伸びていること。 頭が頚椎の上でストンと収まっていること。 意識が身体に入る瞬間というのは、 本当に “スイッチが切り替わった”みたいな瞬間で、 「今入ったな。」って 思考に上げるまでもなく感覚でわかる。 目を閉じ外界の情報を遮断する。 深い呼吸をして、 呼吸から得られる何かしらの感覚を感じていく。 確かに身体がここにあることが 身

          自分だけにしか分からない身体感覚を自覚する。

          身体があるから大丈夫。私がいるから大丈夫。

          新卒で看護師として就職した病院をきっちり2年で辞めた私は、その後すぐにカナダはトロントへ一年間ワーキングホリデーに行っていたことがあります。 . . 九州のど田舎に生まれ、まだ県外にも住んだことがない、そんな当時の私にとって海外移住(一年間と短期でしたが)は、かなり勇気のいる行為でした。まず英語も話せない。誰一人知り合いがなく、友人や家族ともしばらく会えない。仕事も辞めた。もう本当にまっさらになって、未知の場所に身一つで飛び込む経験。 だからせめて、向こうで住む場所はギ

          身体があるから大丈夫。私がいるから大丈夫。

          励まされること。

          最近、皆さんにすっごく励ましてもらっています。 それがそのまま言葉としてということもあるし、 行動やプレゼントでということもあるし、 一緒に過ごす時間でということもあるし、 推しからはライブで励ましてもらうということもある。(サイコー!) 時折、励ましに見合わない自分なんじゃないかということが脳裏によぎったり、 期待に応えないと!なんてちょっとしたプレッシャーを感じてしまう自分も一瞬現れたりして、 励ましによってせっかくぽかぽかに温まった心を、自らの思考で冷ましにかかっ

          励まされること。

          とりあえず、踊ろうか。

          問題を熟考し討論し解決していくことの限界。 強さの証明とその強さを持たない人の口封じ。 考えることを放棄したりなんて絶対にしないけど、 とりあえずみんなで音に合わせて踊ってみたい。 問題が作り出す境界線とその壁の上空で踊ってみたい。 境界線も壁も一生あるかもしれないけど、 上空で踊れば関係ない。 たまに足が当たって壁が崩れるかもしれないし。 なんて机上の空論、理想を今日も書いてみる。 でもイメージできないことは叶わないから。 もっと具体的により精密に この日常で自分

          とりあえず、踊ろうか。

          ある時からしなくなったこと。

          よくInstagramのストーリーズで「エモつぶ」と題して、 ちょっと自分の中にあるエモい観念や思想をつぶやくみたいなことをしばらくやっていた時期がありました。 振り返るともう半年以上そういう発信をしていなかったのに気づき「ああ自分も進化したんだなあ」と善きように最近は自分の変化を捉えてみたりしています。 そもそもエモつぶってどんなことを言ってたの? というと、 例えば「環境保護は人間のエゴという視点が抜けてやしないか?地球のためにではなく自分のためにというニュアンス

          ある時からしなくなったこと。

          呼吸で今を繋ぐ。

          “呼吸ができるのはなんと気持ち良いのだろう〜!” 今日もヨガにてそんな体感を味わっていたら、呼吸について改めて書きたくなったので今日は私の解釈で呼吸の話しをしていきたいと思います。 . . 「ヨガは呼吸ができてこそのもので、 呼吸が止まったらそれはもはやヨガではない」 と私は思っています。 (厳密にいうと呼吸がコントロールできなくなったら) ヨガでは呼吸のことを “プラーナヤーマ”と呼び、ヨガの大事な概念の一つであり実践であると考えられています。 プラーナは “生

          呼吸で今を繋ぐ。

          ただ一人私だけの好きを。

          好きだけど、人に言うのは恥ずかしいやらどう思われるかやらで、内緒にしておきたいことって誰でも一つくらいはあると思うのですが、今日はそんな “本当は内緒にしておきたい私だけの好き” をこっそり発表したいと思います。 . . 私はヨガのインストラクターを始めて今年で7年目になるのですが、現在はオンラインでの活動がメインで(お呼びがかかればリアルでも飛んでいきますが)ZOOMでヨガクラスや自主練の様子をほぼ毎回録画しています。 録画の理由は、参加者さんに後で動画をお渡し

          ただ一人私だけの好きを。

          違うからって嫌いにならない勇気と、好きだからって妄信しない強さ。

          この情報社会。 絶賛、情報の波に翻弄され中です。 と書くと大袈裟でちょっとやられている感があるので名誉のためにもうちょっと良き言葉を探すとすると、 情報の波に対峙する自分を 色濃く感じている最近です。 . . 特にThreadsとかXの話なのですが、今年になって「あ、私とは違う価値観だ」と思う頻度がとってもとっても多くなってきました。例えば、それが追ってみているインフルエンサーの方だという場合もあるし、知らない誰かという場合もあります。 私の場合、そういった意味で

          違うからって嫌いにならない勇気と、好きだからって妄信しない強さ。

          誰かの時間の中の私の時間。

          こうやって文章を書いて公開するということは、少なからず誰かに時間を使ってもらいたいということで、誰かの時間に私が登場することを望んでいるのだと自覚する。 私はただ一人で自分の自分だけの時間で過ごすことがとても好きだけれど、 "誰かの時間の中で私の時間(私が登場している時間)”が増えることもとても好きである。 総じて “私の時間”が増えた気がするからだ。 とはいえ “誰かの中の私の時間” は、今ここにある私とは別の場所にある切り離されたものであり、そしてそもそもは他人の

          誰かの時間の中の私の時間。