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「雪国」は「柔道」である 〜川端康成著「雪国」のこと

柄谷行人がその著書「日本近代文学の起源」で述べていることですが、日本にとって「文学」というものは実は輸入品です。 

もちろん日本にもそれまでに和歌や俳句、絵巻物、戯作のような言葉を使った「文芸(あえて文学と区別するためにそう呼びます)」作品はありました。しかし、それは明治以降の「文学」とは実際には異なるものなのです。


「文学」とは

では、そもそも「文学」とは何ぞや、と思うかもしれません。「文学」は西洋で生まれ、19世紀にピークを迎えた言葉を用いる表現手段の一つとしましょう。

なぜ19世紀の西洋でピークを迎えたのかといえば、西洋において近代科学を中心とした「合理主義」がその時期に一般化されたからです。

これはつまり、たとえばある作品に描かれた「風景」というのは、それを見ている「私」や、あるいはその物語の登場人物とは切り離されたものだ、ということ。彼らの目に映る「対象」として。

なんていっても、「おいおい、じゃあ源氏物語や枕草子はどうなんだよ」と思う人もいるかもしれません。

そこで、なぜ明治以前の日本の「文芸」作品が「文学」ではないのかを説明しましょう。

たとえば「平家物語」はどうでしょうか。その冒頭の一節はとても有名ですね。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

さて、ここで問題です。この「諸行無常の響き」を感じているのは「誰」なのでしょう? 

一体「誰」が祇園精舎の鐘の声を聞いて諸行無常の響きを感じているのでしょうか? 

分かりませんよね。分かるはずがないのです。

答えは「平家物語」をどれだけ深く読み込んでも分かりません。なぜなら、そもそも西洋の価値観の外の世界では、別に「私」と「対象」を分けて考えなければいけない、という前提自体が存在しないからです。 

昔の日本人からしたら、「誰が感じてるかって、そんなこと、どーでもいいじゃん。なんでそんなこと気にするのさ?」ってことなんですね。 

だからこそ、和歌や俳句でも、作者は自然を描写しながらそこに自分の気持ちを込めていたりするわけです。 

小野小町の有名な和歌 

花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に

の「ふる(降る)(経る)」、「ながめ(長雨)(眺め)」という掛詞が成立するのも、「長い雨が降り続いて花が色あせてしまった」という自然の状況と「長い時間をただいたずらに過ごしている間に、もう若くはなくなったのだなあ」という自分の状況を重ね合わしているからこそ成立しているのです。 

でもそれは逆に西洋の人からしたら、「なるほど、長雨と眺めをかけているのですね。うん。……で、だからなんなの? ダジャレですか?」となるわけです。 

でも、日本人からしたら「いや、そうじゃなくてさ」ってなるわけじゃないですか。

「風景は風景、私は私」というのではなく、「風景の中に私がいて、私の中に風景がある」というような「自分」と「対象」を分けない考え方、というのが西洋の、あるいは明治以降の「文学」と明治以前の日本の「文芸」との間の明らかな違いなわけです。 

要するに、それが「日本文学」であれ、あるいは「ロシア文学」であれ、「ラテンアメリカ文学」であれ、それが「文学」であるということは、19世紀のヨーロッパ的なものの見方、彼らの科学的な合理主義を受容するということ。 

言い換えるならば、「文学」とは「批評性をもった物語」であるということ。「批評」というものは、自分を一歩離れたところに置くことでなしうることですから。 

ドストエフスキーもカフカも、彼らの「文学作品」というのは、物語を通して「人間とは何ぞや」ということを一歩離れたところから「観察」して「批評」しているわけです。 

だからこそ夏目漱石は「近代的自我(日本古来の自我ではなく19世紀のヨーロッパ的な自我)」について考えざるをえなかったし、そこから始まった「日本文学」はその「近代的自我」を通しての「観察」や「批評」の対象を外の世界(自然主義)や自分自身(私小説)に求めてゆくことになるわけです。 


「雪国」の冒頭について

この物語の冒頭にとても印象的な場面が描かれています。それはこんな場面。

主人公の島村が汽車に乗っていて、その車窓を鏡にして向かい側に座っている男女の様子を「観察」している。 

このシーンはまさに、主人公である島村の西洋的な価値観、科学的なものの見方だったり合理的なものの見方を表しているといえます。そして同時にこのシーンは、そういったものの見方に対する痛烈な皮肉でもあるのです。 

島村はなぜ車窓越しに向かいの男女を見るのでしょうか。もちろん、直にジロジロ見るのは相手に対して失礼ですが、でも、だったら見なければいい。見るのは失礼だと分かっているなら、見ないのが礼儀でしょう。でも、彼は車窓越しに彼らを「観察」しているのです。

ここに、作者の「観察」という「文学」を「文学」たらしめているものそれ自体に対する批判が表現されているわけです。

そういうものの見方(西洋的な、合理的な、科学的なものの見方)って、まるで鏡を通して世界を見るようなものだよね、と。 

だからこそ主人公の島村の言葉は、筋は通っているのだけれどどこか「冷たい」ものだったり「傲慢」だったりする。この作品を読んだことのある人は、主人公である島村に対してそんな感じを抱いたのではないでしょうか。とりわけ女性はこの主人公のことがあまり好きにはなれないかもしれません。

この作品が世界中で読まれることになることを、執筆時に作者川端康成が想定していたかどうかはともかく、作者が島村という人物を通して描こうとしているのは、そういった「観察する西洋人」なのですね。

そして「観察する西洋人」というのは、別にヨーロッパ人だけではありません。日本人だって、その多くが「観察する西洋人」なわけです。なぜなら、日本という国は明治以降ずっと西洋化してきているわけですから。


「雪国」というオリエンタリズム

ところで、この物語の風景となる「雪国」という場所、あるいはその言葉は、なんとオリエンタリズムにあふれていることでしょうか。 

でも、それって滑稽なことだと思いませんか。だって僕たち自身がそもそも「オリエント(東洋)」の文化に属しているというのに。僕たちは西洋人ではないのです。

なのに、なぜ僕たちは「雪国」という言葉にオリエンタリズムを感じるのでしょう。「日本」という文化の中にいながら、まるで外から「日本」を眺めているように。 

オリエンタリズムとは、「上から目線の西洋から見た東洋の異質性」です。そう考えるとこの作品に描かれている異質性とは、「西洋化していく日本」という国の中での「東洋としての雪国」だといえるでしょう。 

つまり、この物語は「雪国(東洋)」という「対象」を「観察」し、「批評」する主人公島村の視点を描いているわけです。でも、実はそうすることによって、僕たち読者はその島村の視点そのものを「観察」し「批評」することができる。 

そこでこの作品の主題が浮かび上がってくるわけです。この作品はただ男女の恋愛を描いているだけではなく、西洋、あるいは西洋化する日本が東洋としての日本、日本の中の東洋である「雪国」をまるで鏡を通して見るようにしか見ていないぞ、ということが。 

島村は駒子と初めて会った時に言うのです。「君のことが好きだけれども、寝てしまうと色々と面倒臭いことになるから、代わりに誰か別の女を紹介してくれないか」と。 

これはなかなかエグイ台詞ですよね。普通に考えたら、よくもそんなことが言えるなあ、という感じです。

でも、それは快適な都会に住んでいる日本人がテレビを見ながら「田舎っていいよねー。守らなきゃいけないよねー。でも住むのはごめんだけどw」と能天気に言うのと同じなんですよね。 向き合っていない。

ちょっと話が逸れますが、僕は昔ニュージーランドにホームステイしていたことがあって、そのころホストシスターに言ったことがあるんです。 

「ニュージーランドは日本人の観光客が多いから、彼らのために日本語の看板をつけてる店が多くて、異国に来た感じがしなくてつまらないな」と。 

そしたら、彼女に言われたんです。「はあ? 何言ってんのよ。日本だって英語の看板ばっかりだろーが」と。 

その通りなんですよね。僕は勝手に自分の国のことを棚に上げて、僕の中での異国のイメージみたいなものをニュージーランドに押し付けようとしていたんです。 

こういうの、「逆オリエンタリズム」ですよね。 

島村と駒子の関係は最初から少し悲劇めいたものです。きっと長くは続かないのだろう、という。なぜならそれは、「雪国」という鏡に映った世界でしか築きあえない関係だから。たとえ現実をちゃんと見詰め合おうとしたところで、その瞬間に終わってしまう関係だということが最初から分かってしまっているから。 

西洋と日本の関係も、もしかしたら同じものなのかもしれません。もしもそれが鏡に映った世界であったとしたら。 


「雪国」の重層性

この作品にはいくつかのレイヤーがあります。

ひとつ目の層は、島村と駒子という男女の恋物語。両者はどちらもある種の弱さを抱えており、その弱さゆえに二人は惹かれ合い、別れることになる。

ふたつ目の層は、日本と西洋という話。日本の中の雪国という場所を描くことは西洋における日本という国を描くことでもあるということ。

この作品の主要な風景は「雪景色」です。もしもテレビの画面からその画像が流れてきたら、それが美しいということを否定する人はいないでしょう。 

でも、実際に豪雪地帯に住んでいる人からしたら、それがただ美しいだけのものではないということは言うまでもないことです。 

もしもあなたが豪雪地帯に住んでいたら、雪が降ってきたときにまず頭に浮かぶのは、その美しさよりもむしろ、雪かきのことでしょう。 

旅先で出会った異性や自国とは異なる文化を持つ国というものは、確かに自分というものを「対象」の外において、客観的に「観察」しているだけなら美しい。でも実際に自分が中にいるとしたら、自分自身と「対象」が同じだとしたら、それはただ美しいとだけは言っていられません。

客観的な立場から風景や対象を「観察」するのではなく、自分自身もまた風景の中の一人だとしたら、どうでしょうか。 

合理的なものの見方をするということは、その冷たさや傲慢さと向かい合うということなのです。   


「文学」であると同時に「文芸」でもある「雪国」

さて、ここまではいわばこの作品を「文学」としてみた場合の話です。そこに何が描かれているのかを「観察」した結果です。

でも本当にこの作品がすごいのは、それだけではないから。

この作品の第三の層、それは、文学を受容するとはどういうことか、日本という非西洋の文化圏で文学するとはどういうことか、という話です。

先に挙げたふたつの主題を表現するためには、別に舞台が雪国である必要はないでしょう。

でも、この作品の舞台は雪国でなければならない。なぜなら、作者は「雪景色」を描くことで先に挙げたふたつの主題を描いているから。

先に小野小町の和歌を引用しました。「花の色」を自分と重ね合わせることによって、彼女の歌はまさに「文芸」的な価値を持っているのでした。 

川端康成がこの作品でやっていることも、それと同じなのです。

つまり風景に「雪景色」を選んでいることによって、この作品の先に挙げた「文学」的主題は、男女のすれ違いは、西洋から見た東洋のオリエンタリズムは、西洋的で合理的で科学的なものの見方は、すべて「雪国」という美しく、だけど冷たく、そして儚い景色の中に同化されていく。

川端康成にとっての「雪国」は、小野小町にとっての「花」と同じ。だからこの作品は「文学」作品であると同時に日本古来の「文芸」作品でもある。

それは言うなれば、日本という非西洋文化圏における西洋文化の相対化です。西洋文化は、合理主義は、文学は、決して絶対的なものではないということを、この作品は西洋的な、合理的な、文学的な形でもって表現しているのです。 

ここでね、西洋に対して、あるいは文学というものに対して「お前らの方が間違っている! 文学よりも文芸が正しいのだ!」なんて言ってしまったら、それはニュージーランドで僕が犯してしまった「逆オリエンタリズム」でしかありません。 

オリエンタリズムが「上から目線の西洋から見た東洋の異質性」だとしても、それをいったん引き受けたうえで、西洋とは別の意味で東洋もすごいんだよ、と。それを西洋人、あるいは西洋人になりたがっている日本人が納得せざるをえないかたち(観察と批評)で描いてみせたのです。 

つまりこの作品を合理的に、文学的に評価するということは、合理性や文学性とは別の価値観を認めることになるということ。 

オリエンタリズムのかたまりのようなこの作品ですが、むしろこの作品を読むと西洋の「オリエンタリズム」自体が成立しなくなるのです。 

「日本人も文学やるんだね。すごいすごい。君たちほんとに猿マネうまいよねーw」なんて上から目線丸出しで本書を読む西洋人や、あるいはそうなりたい日本人がもしもいたとするならば、この作品は正に日本古来の神器である鏡となって彼らの姿を映し出すでしょう。

そして彼らは床にたたきつけられたような衝撃を感じることになる。

なぜなら、その鏡に映し出されているものは嘲笑うべきイエローモンキーなんかではなく、島村や駒子という、自分自身の顔なのですから。 

川端康成には、自惚れではなく自覚があったのだと思うのです。自分がこの作品で分断されていた「文芸」と「文学」をつなぐことができた、と。だから彼は愛弟子ともいえる三島由紀夫を蹴落としてまでノーベル賞受賞にこだわったのではないか。   


「雪国」は「柔道」である

そこで僕は思い出したのです。日本の伝統文化は「文芸」だけではないということを。 

たとえば、日本の武術である柔術。その真髄は相手の力を受け入れて利用する、柔は剛を制すということ。

それはまさにこの作品がしようとしていることと同じだといえるでしょう。

「文学」とか「合理性」とか、そういった西洋文化こそが優れていると思っている人ほど、この作品を読むと己の浅はかさを思い知らされることになる。背負い投げを喰らうわけです。  

でも、作者である川端康成だってもちろん分かってる。だからといって、西洋文化の優越性は変わらない。今更受け入れた合理的な西洋文化を捨てることなんてできない。

だからこの作品を仕上げたことによって最も痛烈な痛みを負ったのは、実は川端康成自身だったのかもしれない。  


雪の色は 移りにけりな いたづらに

この作品は「どうです! 日本はすごいでしょう!」というようなものじゃない。むしろ、伝統的な日本の文化は失われてしまってやがて消えてなくなってしまう、だから美しい、といっているのだから。未来につながるものではないのです。雪景色がいつまでも残るわけではないのと同じように。

そう考えると切ないし、悲しいですね。もう仕方のないことだとしても。だから美しいのだけれど。

だから、最後はやっぱり小野小町のこの歌で終わるのがいいのかな、なんて思います。

花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に

取り留めのない長文でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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