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#詩
日本語でソネットを書くということ その9 七五調ソネットをつくってみる
次は、韻は踏まずに七五調のソネットをつくってみました。
この詩は、七五調でありながら古臭さをなるだけ感じないように、ということを意識しました。以前述べた令和版新体詩風ソネットというのは、僕の中ではこんな感じです。
つくってみて感じたのですが、音律を揃えると、それはそれで単調さが生まれる気がします。この単調さは、新体詩がかつて批判された単調さと通じるものなのでしょう。
そこで、少し工夫をしてみ
日本語でソネットを書くということ その8 脚韻ソネットをつくってみる
少しおまけ。前回で終わろうと思ったのですが、よく考えたら理屈だけ述べて実作につなげないのは、僕自身にとって何の意味もないと思ったので、あと2回だけ続けます。
ここからは実作編。いくつか自分なりにつくってみたソネットをあげます。まずは、脚韻ソネットから。
今回は、脚韻だけに焦点を絞りました。なぜかというと、脚韻を踏むことで失われがちな物語としての統一感を失わせたくなかったからです。立原道造のよう
日本語でソネットを書くということ その7 まとめ
ということで、ここまでソネットの歴史に始まって、明治から平成まで日本のソネットをばばっと見てきました。
基本的には、ソネットを日本語でやろうとした場合、調子や音韻にこだわれば雰囲気は出るものの意味や物語性が薄れる。一方、調子や音韻を無視すれば文学性は高まるものの、その物語に引っ張られすぎるとソネットである意味が薄れてしまいがちになる、というところでしょうか。
でも、どうなんでしょうね。「お前で
日本語でソネットを書くということ その6 戦後の日本のソネット
では、最後に戦後を見ていきましょう。戦後、ソネットという視点から見てエポックメイキングな出来事といえば、やはりマチネ・ポエティクですよね。
マチネ・ポエティクは加藤周一、中村真一郎、福永武彦らによるグループです。このグループの活動は三好達治らに徹底的に批判されてすぐに終わってしまったそうです。
で、定型詩が好きな側からすると「そんなに批判しなくてもよかったのに」とも思うのですが、でも、色々調べ
日本語でソネットを書くということ その5 大正・昭和初期における日本のソネット
さて、新体詩の時代は終わり、大正時代には象徴詩とそれから発展した口語自由詩が隆盛になりました。この時代に書かれたソネットとしては、村山槐多という画家であり詩人のものがあります。
村山槐多は若くして亡くなり、この詩は死後、大正9年に「槐多の歌へる」の中の一篇として出版されました。この詩はとても分かりやすいし、内容も面白いですよね。構成としてはペトラルカ風の8-6になっています。
そして、昭和の初
日本語でソネットを書くということ その4 明治時代における日本のソネット
さて、それでは日本ではどのようなソネットが書かれてきたのでしょうか。
こちらの論文によると、日本で最初にソネットが書かれたのは明治時代、薄田泣菫によるもののようです。泣菫は自らのソネットを「絶句」と読んでいたのだとか。
https://twcu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=17739&item
日本語でソネットを書くということ その3 ソネットはなぜイギリスで変化したか
さて、イタリアからイギリスに輸入されたソネットは、ミルトンやシェイクスピア、スペンサーらによって、新たな押韻構成で読まれることになりました。
では、そもそもなぜ、イギリスで押韻構成の変更が試みられたのでしょうか。
その答えは、英語とイタリア語は違うからです。当たり前の話ですが。
英語は母音が5つなのですが、イタリア語は母音が7つあります。なので、英語よりもイタリア語の方が韻を踏めるバリエーシ
日本語でソネットを書くということ その2 ソネットの歴史
さて、ではそもそもソネットとは何か、その歴史について考えてみます。
wikipediaによると、実はソネットには発明者がいるそうです。13世紀のイタリアの詩人ジャコモ・ダ・レンティーニという人なのだとか。
この時代には、ほかにも「神曲」のダンテなんかもソネットを書いていたそうです。しかし、もっとも有名なのは14世紀の詩人フランチェスコ・ペトラルカです。
ペトラルカが確立したソネットのスタイル
日本語でソネットを書くということ その1 はじめに
ちょっと最近、日本語でソネットを書くとは一体どういうことか、ということについて考えています。先日ここに挙げた僕のソネットは、言うなればソネットというよりもただの十四行詩にすぎない。
でも、別に、それが悪いと思っているわけではないのです。もしかしたら、日本語でソネットを書こうとしても、どうしたってそのようにしかなり得ないのかもしれない。その可能性はすごくある。でも、もしもそうなのであれば、そうだと