日本語でソネットを書くということ その6 戦後の日本のソネット
では、最後に戦後を見ていきましょう。戦後、ソネットという視点から見てエポックメイキングな出来事といえば、やはりマチネ・ポエティクですよね。
マチネ・ポエティクは加藤周一、中村真一郎、福永武彦らによるグループです。このグループの活動は三好達治らに徹底的に批判されてすぐに終わってしまったそうです。
で、定型詩が好きな側からすると「そんなに批判しなくてもよかったのに」とも思うのですが、でも、色々調べてみると、この人たちもこの人たちで「詩ってのは定型であるべきなんだよ。なのに自由詩とかやってる奴ら何なの?」みたいな感じで、かなり喧嘩腰で出てきたところがあるようなので、まあ、どっちもどっちだったんでしょうね。
そんな彼らの「マチネ・ポエティク詩集」が刊行されたのは、戦後すぐの昭和23年だそうです。そこで、この詩集から福永武彦の「詩法」というソネットの冒頭を見てみましょう。
終わりの3行は、こんな感じです。
韻を踏んでるのもそうですが、全体を交互七八調で整えています。その分調子はよいのですが、でも、何言ってるか分からない、みたいなとこもあります。僕は好きですけどね。
内容としては、詩をつくることを詠んだ詩、といえるのでしょう。ただ、このソネットもまた、いわゆる構成の面からすると前半と後半の展開があまりないという点でソネットらしくないのかもしれません。
あと、戦後のソネットといえば、谷川俊太郎も外すことはできません。「62のソネット」の最初の詩は、昭和27年の春から28年の秋にかけて書かれたものだそうです。
この詩も、最後を引用しておきます。
谷川俊太郎のソネットは、やっぱり今の日本の詩のスタンダード、という感じがします。こちらはマチネ・ポエティクと違って調子を整えたり韻を踏んだりはしていません。でも、韻も踏んでないし調子も整えていないのに、なぜか定型詩と同じくらいの読み心地の良さがあるのがすごい。内容的には、ペトラルカ風に前の8行と後ろの6行で大きな展開が見られます。
その後、1990年代には飯島耕一による「定型論争」というのもあったそうです。僕は彼が編纂した「中庭詩集」という定型詩のアンソロジーを読んだことがあるのですが、正直あまりピンときませんでした。詩人じゃない和田誠の詩が一番良かったです。僕が何も読めてないだけかもしれませんが。
ということで、次回が最後、ここまでをまとめます。
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