日本語でソネットを書くということ その5 大正・昭和初期における日本のソネット
さて、新体詩の時代は終わり、大正時代には象徴詩とそれから発展した口語自由詩が隆盛になりました。この時代に書かれたソネットとしては、村山槐多という画家であり詩人のものがあります。
村山槐多は若くして亡くなり、この詩は死後、大正9年に「槐多の歌へる」の中の一篇として出版されました。この詩はとても分かりやすいし、内容も面白いですよね。構成としてはペトラルカ風の8-6になっています。
そして、昭和の初期には今でもファンの多い有名な二人の詩人がソネットを残しています。
まずは、この詩が特に好き、という人も多いのでしょうね。中原中也の「六月の雨」。
この詩は昭和11年の雑誌「文学界」が初出だそうです。その後「山羊の歌」にも収められました。
このソネットも、構成的にはペトラルカ風ですね。前半の8行と後半の6行をはっきり分けることができるし、また、そのことが効果的な仕掛けとなっている。ただ詩としてだけ見ても良い詩だと思いますが、ソネットとしても良いソネットだなあ、と思います。そして、七五調に整えているところが、多くの人にこの詩が愛されている理由のひとつなんじゃないか、と僕は思います。
中原中也は他にもたくさんソネットを書いていますよね。この人は破天荒なようでいて、実は定型や伝統というものを強く意識していた人だったんじゃないでしょうか。
それから、立原道造ですね。立原道造は昭和12年、自費出版で「萱草に寄す」という詩集を出版しました。
中也のソネットは歌、という感じですが、道造のソネットは物語、という感じがします。道造のソネットもペトラルカ風、といえなくもないですが、でも、この詩がソネットという形式であることに意味があるかと考えると、ちょっとどうなのだろうという気もします。詩としては好きですけど。
ちなみに、そのほかにも、この時期には熊田精華という詩人がいて、ちゃんと韻も調も揃えた素晴らしいソネットを書いているそうですが、僕はまだ読んだことがありません。いつか読んでみたいなあ。
ということで、戦後に続く。
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