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新刊サンプル「♡=?」(ラブイコール?)@5/19文学フリマ東京38

※本記事内の文章・画像の転載はご遠慮ください。ご協力ありがとうございます。


来る2024年5月19日(日)に開催されます、「文学フリマ東京38」にサークル参加します!

【文学フリマ東京38 参加告知】

日時:2024/5/19(日)12:00-17:00(最終入場16:55)
場所:東京流通センター 第一・第二展示場
今回より入場料1,000円が必要です。イープラスから購入できるようなので、公式サイトをご確認ください。

徒然みぞれは「喫茶あわい」という個人サークルで出店します。
場所は第一展示場(F-22)に配置されました。ぜひ遊びに来てくださいね!

Webカタログ公開中です。「気になる」ボタンを押下してくださると励みになりますのでどうぞよしなに…! ぜひポチっとよろしくお願いいたしますっ!

【新刊告知「♡=?」(ラブイコール?)】

「♡=?」A6(文庫判) / 本文64p / 500円

新刊書影

Xで散々弱音吐いておりましたが、何とか新刊間に合いました! やったーーーーー! 見守ってくれた皆さま、本当にありがとうございました……!
徒然はやればできる子! でも、限界前提のスケジュール組むのはもうやめたい!!!(絶対繰り返す)

限界過ぎて表紙が作れず、「同人誌表紙メーカー」さまに命を救っていただきました。イメージにぴったりの素敵な表紙が簡単に作成できて、もう足向けて寝られません……! めちゃくちゃ可愛い(´;ω;`) 本当にありがとうございました!

告知していた通り、新刊のテーマは下記の通りです。

「恋について悶々と悩む女の子のお話です。近づきたいけど近づきたくない。揺れる心の中を、ぜひ覗いてみてください。」

「♡=?」というタイトルは「ラブイコール?」と読みます。思いついた時思わず声を上げてしまいました。我ながら、作品のタイトル付けはうまいなと感じています。私にとって小説を書くという行為は楽しいけれど苦しい行為でもあり、いつも難産になるのですが、完成した作品にタイトルというリボンをかけてあげる時、心からこの小説を書きあげることが出来てよかったなと思うのです。

この作品は中学一年生の主人公「鳥海ゆう」が自分の感情に名前を付けるお話です。「恋」にはなぜか「友情」が付きまといます。ゆうは自分の「好き」と向き合う中で、様々な人物と出逢います。出逢いを通じてゆうが最後に見つける「答え」を一緒に見届けていただけると嬉しいです。

なお、「あとがき」は書きたいことがありすぎてネタバレ満載になってしまったので本には載せずにnoteで公開することにしました。5/20(月)公開予定です。お楽しみに!


【「♡=?」試し読み】

※冒頭部を公開いたします。

「ばいばい、今までありがとう」
「次もまた近くになれたらいいなあ」
近くから切ない別れの会話が聞こえてきて、私は思わず瞼をゆっくりと閉じてしまった。「うーん……」と言いたいところを何とか「ふう……」でごまかすも、大きなため息が漏れる。
たしかにはじめての席替えだけど。でもさ、たかが教室内での移動じゃん。それなのに手をつないで、握手なんかしちゃって、大きく手まで振っちゃって!そんな二人の関係性が羨ましいなとちょっぴり思う。
一方で、ひときわ緊張している子がいた。小田さんだ。彼女の列が呼ばれると皆よりワンテンポ遅く席を立ち、両手で手を合わせてから福原先生お手製のくじを引く。手元の紙と黒板の番号を見比べて、驚いた表情を浮かべ、すぐさま廊下側のほうへ視線を移す。視線の先は……松本さんだ。仲いいもんね。松本さんは彼女に拍手を送っている。「よかったね」と言っているみたいだ。まだ白地図な座席表に「小田」の名前が「青木」の隣に刻まれる。なるほど、と隣の関くんが感嘆してしまうほどの喜びようだった。「よかったね」私もつい小田さんを祝福した。話したこともないのに。
小田さんにつられて、私も黒板をたしかめてしまった。あの人の新しい席は廊下側から二列目の一番前の席だ。彼はさっき大きな声で「まじかあ」と膝から崩れ落ちていた。彼は二回連続で一番前の席を引いてしまっていたのだ。彼の隣の十一番の席は──すでに埋まっている。よかった! これで安心してくじを引くことができる。
緊張しているけど変に期待なんかしていません。そんな空気を取り繕いながら、くじを引く。今朝の占い何位だっけ、と急に不安に駆られながら、運命の一枚を引いた。
二つ折りの紙を恐る恐る開いていくと……くじは四番!「わあ!」思わず声が出てしまい、後ろの席の根津君に怪訝そうな顔をされてしまった。私はすぐに目をそらし、スキップしそうな足取りを何とかとどめて黒板に名前を書きにいく。皆の視線を背中に浴びるのを感じる。皆私がどこの席に行ったのか気になっている。否、残りの席がどこなのか気になっているだけだ。私のことなんて誰も見ていない。だから、大丈夫。早くなる鼓動と震える右手を何とか落ち着かせて、一年三組の座席表に「鳥海」自分の名前を刻む。

私は別に、小田さんみたいに彼の隣の席になりたいわけではない。むしろ嫌だ。だってさ、あくびとかしちゃったら見られるかもしれないんだよ? 消しゴムのカスだって迂闊に払ったりできないじゃん。常に緊張感が伴うの、それはそれできつい気がする。その緊張感よりも、彼の横顔がちらりと見えたりするほうがいいのかなあ……。隣の席になったことないからわからないけど。
それならば私の言う『神席』はどこなのかというと、隣の席ではなくて彼の後ろの席である。だってそのほうがいつでも彼の背中を視界に収めることができる。一日の大半が黒板と手元のタブレットかノートをながめている生活の中で、自然と彼の姿が映りこむなんて、フォトジェニックだと思いませんか? もちろん近くで見れるに越したことはないけれど。
窓際最後列の二人がじゃんけんをして残り二つの席を争った後、くじ引き開始から十五分後、新しい一年三組の地図が誕生した。
「はい、じゃあ埋まったから移って」
先生が言い終わらないうちに、皆が一斉に机を移動しはじめた。ガガガ、ギギギと嫌な音を立てて床に軌跡が刻まれていく。四月に戻ったかのように教室に新しい風が吹く。
ほとんど動かない人もいれば、教室の隅から隅まで移動しなければならない人もいる。二か月間お世話になった後ろの席の根津くんは、先生の号令があった瞬間に立ち上がって机を動かし始めていた。そんなにこの席が嫌だったのかなと、私はちょっと(いやだいぶ)落ち込んだのだけど、どうやら彼は今回同じグループの友達と近くの席になれたらしくて、席替えの途中、埋まっていく座席図を見て「よっしゃラッキー!」と手を叩いているのを背後で聞いた。たしかに彼はいつもつるんでいる友達の中で一人だけ離れた席だった。休み時間になると、つまらなそうにしている根津くんに「元気だせよ」と友達がわらわらと集まってきていたから、私は気を利かせて彼らに席を譲ってあげていたものだった。
「よっしゃラッキー!」
日頃から運が良かったらそんなセリフ出てこないよね。ラッキーの頻度は人それぞれだけど、きっと訪れるべくしてやってくるものだと信じたい。彼が私に話しかけてくれたのも、たまたま運が良かっただけだ。そのラッキーフォーチュンのおかげで、私は今日を、一年三組での日常を過ごすことができているんだ。

彼──島崎くんに出会ったのは中学校に入学して同じクラスになったからだ。同じクラスになれたというのは今年最大の幸運だったのかもと今になって思う。
私の通う中学校は学区域にある三つの小学校から私立などに進学しなかった子たちが自動的に集められる。私は島崎くんとは違う小学校だったから、中学校からの彼のことしか知らない。小学校時代の彼のことを知っていたら、今と同じ気持ちになっていかどうかはわからない。
同じクラスになったからと言って彼の視界に入るわけではない。小学校みたいにクラスレクリエーション行事があるわけでもないし、皆の誕生日を祝ったりしない。名前を知っているだけの他人、として一年を過ごしていく中で。私は皆の──彼の視界にひょんなことから入りこむことになってしまったのだ。
一つ断っておきたいのだけども、私は決して自ら進んで島崎くんの視界に入りたかったわけではない(もちろん島崎くんと友だちになれたらこれ以上の幸せはないけれども!)。あまりにもリスクが高すぎる。だって島崎くんと私では住む世界が違いすぎる。運動も勉強も平均以下な私が関わって良い存在じゃない。私が島崎くんと話すメリットがあっても、島崎くんが私と話すメリットなんてない。考えうる島崎くんが私と話すメリット? 教室の隅っこで目立たないように生きている私──人生で交わる必要のないような人間──と話す島崎くんはやっぱり優しくて明るいクラスのムードメーカーなんだなって、きっと福原先生が通信簿に書いてくれる。
そんな中で、嫌にでも訪れてしまったきっかけ。通信簿に書かれるべき彼の英雄ムーブだって、先生に報告したいくらいだ。もちろんはっきり覚えてる。五月一日水曜日の二時間目の数学の授業。
数学の佐野先生は、数学の先生にしては珍しい(偏見かな?)若い女性の先生だ。鼻筋がキリッと一本まっすぐ伸びていて、全てのパーツが美しい線対称を描いている。チョークで汚れるからかいつもジャージを着ているのだけど、一見ダサく見えるジャージ姿が、かえって佐野先生の素の美しさを演出している。性格も、国語みたいな回りくどさがない数学の良さを体現したサバサバしたカッコいい先生で、あんまり話したことないけれど、好きな先生の一人だった。好きだったのに。あの日までは。
佐野先生の授業は、前半は先生の説明が中心で、後半は前半で習った単元の練習問題を解く、という形式だ。私たちが問題を解いている間に先生が「じゃあ、今日は誰誰に回答書いてもらうから」と今日の公開処刑者を決める。もちろん私たちは当てられた問題を率先して解く。間違えたくないからこそこそ隣の人と答え合わせをしたりするのだけど、先生は「そこで完結してたら前に来て書いてもらう意味ないでしょ!」と目ざとく怒る。間違えた答えを書いても面倒なのに。佐野先生は人気が高いけれど、そこだけは皆から好かれていない。
その日、私は五番の問題を当てられていた。幸いにも比較的簡単な問題で、無事に答えられそうだった。皆の前に行って書くのは緊張するけれど、間違いを指摘されて赤で直されることはなさそうだ。さっさと済ませて席に戻ろう──チョークを握りしめ、黒板と向き合った、その時だった。
(嘘でしょ)
=の続きを書こうと手を伸ばすも、チョークの先が震える。黒板はチョークを持った私の手をガツン、ガツンとはじいてしまう。
チョーク置きに手をついて、=の先を目指して一生懸命背を伸ばす。ペチコートはちゃんと履いてるし、スカートも折ってないから、そこは安心できるけど。皆から見たらどう思うだろう、ああ、そもそも見てすらいないよね。
弓を引くみたいに、肘が張り詰める。あともう少しで届きそうなのに、皆は当たり前に届いているのに、私は届かない。あ、泣きそうだ。両親がくれたこの身体をはじめて恨む。
そんな中、背中越しに佐野先生の明るい声が降ってきた。
「可愛い〜」
(……え?)
黒板をチョークでかすりながらも必死で書いていた右手から力が抜けた。振り向くと、佐野先生と目が合った。佐野先生は前の席の大塚さんに話しかけて、こちらを見ていた。
「ごめん鳥海、高かったね?」
可愛そうな目で私を見ている先生。先生に話しかけられて、適当な相槌を打っている大塚さんの面倒くさそうな目。そして、整列に着席させられて前を見ることしか許されない、三十対の目。明らかに「可愛い」なんて思っているのは先生だけだ。私にはわかる。
「早く書けよ」皆の目がそう言っている。私だってそうしたいよ。でも、無理なんだもん。
「可愛い」か?本当に?黒板に文字を書いているだけで可愛い子認定されるなら、この学校の全校生徒皆、佐野先生の可愛いの対象になるよ。
わざとじゃないの?そう思う人もいるかもしれない。思われても仕方ない。わざとだったらもっとアイドルみたいな可愛い字を書くよ。こんなミミズ文字になるわけない。
佐野先生と皆への当てつけが私の頭を巡る。そんなことを考えていないでさっさと書き終えて去ればいいのに、でももう一度無様な姿を晒すわけにもいかない。どうすればいいのかわからなくなって、頭がグルグルして、すっかり思考が停止してしまった。ああ、今すぐ消えたい。もう一生皆の顔見ないまま卒業してしまいたいな、なんて思っていたときだ。
「鳥海さん、八番の問題と代わって。俺やるから」
「え」
急に自分の名前が呼ばれて戸惑った。淡々とした声が、私の意識を一年三組の教室に連れ戻す。
混乱している私を通り過ぎ、その人は先ほど私が置いたチョークを手に取った。私にとっては長かったチョークの白が、彼の手の中にすっぽり埋まった。彼は地に両足をしっかりとつけたまま、私が目指したイコールの先を迷いなく書いていく。彼が刻んだ答えは、私が用意していたものと同じだった。
カツン。答えを書き終えた彼がチョークを置き、まだ突っ立ったままの私を見てわずかに眉をひそめた。
「ご、ごめん!」
私は慌てて八番の答えを書いた。八番の問題は、私が答えるはずだった五番の直下、一番下だった。肘を直角に折らなければ書けないほど低い位置に「⑤= ?」は設定されていた。
「あ、あの、ありがとう」
妙に緊張してしまって、まともにお礼が言えなかった。でも彼は全く気にしていない様子で──聞こえなかっただけかもしれない──自分の席に戻っていった。少しだけ寂しくなったけれど、すぐに私は彼の態度の意味を知ることになる。
「やるなあ島崎!」
さっきまで私に謝っていた佐野先生は、彼を褒めているというよりも、完全に大塚さんと同じ輝いた目をしていた。なるほどね? 私も彼が足早に退散した理由を察知して、思わず佐野先生をにらみつけた。佐野先生は「ごめんごめん」と笑いながら再び謝った。大塚さんは探るような目で私を見ていた。
その後授業は何事もなかったように続き、彼と共同作業で解いた五番も、バトンを渡された八番も、佐野先生により大きな丸が付けられた。バツが付けられなくて本当に良かった。皆の前でバツを付けられるほど恥ずかしいものはない。実際には佐野先生の気まぐれで辱めを受けたのだけれど──今思えばこれが原因で私が不登校になったとしても、佐野先生は言い逃れできないだろう──記憶がオーバーラップされて、そんなことはどうでもよくなっていた。
佐野先生から、クラスの皆から賞賛を受けていた島崎くん。明らかに彼が何の面識もない私を助けてくれたのは紛れもない事実だ。もちろん島崎くんだけでなく、他にも問題を当てられている人はいた。その中で彼が──悲しくも彼だけが、皆の笑い者になっていた私に手を差し伸べてくれた。これは紛れもなく事実で、私のうぬぼれではないはずだ。一年三組の皆と佐野先生が証人になってくれる。
何よりもうれしかったのは──
「鳥海さん」
島崎くんが、私の名前を呼んでくれたことだ。
友達でもなければ、同じ委員会でも係でもない。私の名前を覚える必要すらないのに。
多分まだ声変わりしていない、アルト寄りの落ち着いたトーン。あの時の質感を思い出すと、身体がぽかぽかと、じんわりと、身体に体温が宿っていくのを感じた。
「鳥海さん」
私の名前を呼んでくれた彼の声を記憶に刻み、お守りのようにずっと大切に、からだの中にしまってある。


(中略)



あの日、黒板の前で突然スポットライトを当てられたように、嵐は突然やってきた。人生本当に何が起こるかわからないね。
授業の合間の十分休み。私は相変わらず四番の席に座って、次の佐野先生の授業に備えていた。ちゃんと家で宿題をやってきたけれど、間違っていたら当てられたとき恥をかくのは自分だ。ものすごい不安に駆られて、見直さずにはいられなかった。六時間目の数学、これほどラスボスな科目ってない。
「……うみさん」
突然外から声が飛んできた。私の名前を呼んでる? そんなまさか。数少ない友達は私のことを「ゆう」と下の名前で呼ぶし、皆中学校に上がってクラスが離れてしまった。気のせいだったら恥ずかしいし、私はしばらく流すことにした。
「鳥海さん!」
ほんの少し苛立ちの混じった声に私はばっと顔を上げた。本当に私を呼んでいたのだ!
「わっ、ごめん! 気づかなかった」
私は誠意を込めて謝る。数学の教科書を開いていてよかった。説得力が増す。
私を呼んでいたのは川野琴さんだった。当然、友達ではない。じゃあなぜ話しかけてくれたんだろう? 彼女が右手に持っているものを見て納得した。
「この前提出だったノート、平泉先生から預かったから渡すね」
「ありがとう」
平泉先生は理科の教科担任で、川野さんはたしか理科係だった。明日の連絡事項を先生に訊きに行ったタイミングで預かったんだろう。せっかく届けてくれた川野さんに、「実はそれプリント不備で再提出になったノートなんです」なんて言えない。
そうだよね、私に話しかけるのは用事があったからだよね。緊張がほぐれて安心感が戻ってきたけれど、妙なさみしさもあった。理科のノートを受け取り、先生からの「確認しました」スタンプを発見すると、再び数学の問題に目を落とした。
はい、終話。私はちゃんとお礼を言ったし、失礼だなんてことはないはず。私たちは友達ではないし、それで終わりのはずだった。
それなのに川野さんはしばらく目の前にいた。どうして? 心臓のバクバクが止まらない。
多分今、川野さんは私を見下ろしている。何か探っているような気配がする。
「ずっと思ってたんだけどさ」
同い年の女の子にしてはやや低めの、ちょっとハスキーな声。これが川野さんの声なんだ。琴って名前だから、もっと明るいのかと思っていたなんて、とてつもなく失礼なことを考えていなければ、私は平生を保っていられなかった。
(「ずっと思ってたんだけど」って、何?)
繰り返すけれど、私と川野さんは友達ではない。川野さんの声を認知したのはさっきの瞬間がはじめてだし。それなのにずっと思われていたって、どういうこと? 私、何か川野さんに悪いことでもしたのだろうか。……再提出のノートのためにわざわざご足労いただいたこと?
いや、自分に非なんてない、見つからない。黙ったままの私に川野さんはため息をついた。
「鳥海さんってさ、」
どんっ。
予想外に大きな音が出て、焦った。
私は両手で数学のノートを押さえつける。音が出る。指先の温度と圧でノートがしわしわになっていくのを感じる。
川野さんは驚いてるかな? 私もびっくりしてる。「逆キレ? 怖っw」とか感じているかもしれない。ごめん、でも、はっきりわかる。これは防衛本能のそれだ。
「……なんか、いやだな」
向き合った先の川野さんは、私の反応が意外だったのか、大きく目を見開いて瞬きをした。
「いやって、何? まだ何も言ってないんだけど」
「わざわざ前置きするってことは、あんまりいい話じゃなさそうだなって思ったの」
棘のある言い方は避けたかったのだけど、私たちは仲良しではないから、仕方ない。川野さんは傷ついた様子も見せず、会話を続けようとする。
「それってつまり、都合の悪いことは聞きたくないってこと?」
え? わる~い空気を作ったのはそっちじゃない?
真っ先に浮かんだのはそれだけど、すぐに打ち消した。腹立つけど、売り言葉に買い言葉だ。何とか飲み込んで、ここは大人な対応を見せよう。
「ごめん、聞かないことには始まらないね。それで?」
意外にも川野さんは嫌味ではなく警戒であることを感じ取ってくれたのか、肩の力をすっと抜いた。
「あー、ごめん。こんな殺伐とした空気で話すことでもなかったんだけど」
川野さんが時計を見やる。六時間目の開始まであと少し。廊下から皆が授業に備えて教室へ戻っていく音が聞こえる。川野さんも席を発つ素振りを見せる。
ちょっと、ここまで来て話さないんかい! そう思った瞬間、川野さんが机に手をつき、前のめりになる体勢をとった。
「ちょっ! え、かわの、」
言い終わる前に遮られた。川野さんの身体がぐん、と私のほうに迫ってきて、耳元に顔をくっつけてきた。
ほのかにせっけんの香りがした。この香り知ってる、体育の後でいつも望月さんが使っているやつだ。たしかオレンジ色のボトルの、
「鳥海さんって、──だよね?」
「……え、待っ」
私が川野さんを呼び止めようとした声は、六時間目の開始を告げるチャイムで遮られた。
「ほら、席につけー」
あと一時間耐えれば放課後という、砕けた空気に包まれた教室を、チャイムの音と佐野先生の声が律していく。川野さんは仕方なく私を解放した。意味ありげな一瞥をくれると、川野さんはおとなしく席へと戻っていった。
「起立、礼、着席」
六時間目を迎え気怠そうな号令にも、従順な私たちの身体は勝手に動く。
着席し、何事もなく授業が始まっても、じんじんとひりつく右耳の感覚は戻っていなかった。
右耳に触れると、まだ耳の中に残っていた川野さんの声が琴の音色みたいに響く。
──鳥海さんって、島崎くんのこと好きだよね?
突然の前傾姿勢は、一応「ここだけの秘密にしておくね」という川野さんなりの優しさなのかもしれない。つまり「ないしょばなし」ってことね。
(『ずっと思っていたんだけど』ってことは、)
ずっと私のことを見ていたってこと?
佐野先生の解説を片耳で流しながら、川野さんの姿を探す。きれいな弧を描くショートボブの川野さんの姿は、私の視線やや左前方の席で授業を受けていた。自然的には私の姿は目に入らない位置だ。意識しなければ絶対に私の姿、ましてや視線なんて気づくはずない。ぶるっと身体が震えた。
「ずっと思わなければいけないほど、私のことを見ていた」って何?
だって、私たち友達でも何でもない。お互いに関わる必要のない存在なのに。

川野さんの登場は、私にとって思った以上に大きな衝撃だった。本当に馬鹿な話だけど、自分が見られている対象だという可能性を一切考えてこなかった。
それは後ろの席だからという優越感から来ているのもあるし、そもそも私に興味を持つ人が現れるわけないと思っていた。
『鳥海さんって、島崎くんのこと好きだよね?』
だよね?という念押しをするということは、川野さんはまだ確証をもっていないはず……だよね?
でも、「いいえ、違います。あなたの勘違いではないですか?」とはっきり断言できるわけでもない。「好き」という言葉を口に含むと、甘さよりも渋酸っぱさのほうが強く出てしまう私だ。うまく言えないけれど、川野さんの言う「好き」と、私の「好き」はたぶん異なる。
検索バーに「好き 意味」と雑に打ち込んでみる。
「心がひかれること。気に入ること。また、そのさま」うん、たしかにそういう意味だったら、あの時いい人だなあって心がひかれたのはたしか。
肉体関係を持ちたい、という解説が出てきて私は思わずブラウザを閉じた。文字だけで顔を真っ赤にしている私、本当に馬鹿みたい。大人になったら「ふーん、そんなものね」と思えるようになるのかなあ。そういえば「恋はセイヨクの言い訳なんだよ」って、昔読んだ漫画のキャラクターが、クールな誰かがまじめな顔をして言っていた気がする。「たしかにそうかもしれないけれど、それだけではさみしいね」と相手が返していたような気がする。それ以降の記憶がない。たぶんそのまま本を閉じたんだと思う。読んでいて何だかむかむかしたんだ。セイヨクなんて言葉ではなくて本能だって言ってほしい。恋という言葉をつかうのではあれば、恋は美しいものであってほしい。
この気持ちに名前を付けるなら「島崎くんのことが好き」が一番ぴったりなのはとてもよく分かる。でも、「好き」という言葉を使ってしまうと、さらに面倒なものになってしまうような気がした。「恋」と言ってしまえば美しいけれど、途端に儚いものの印象がついてしまう。私と島崎くんの間で起こったことは紛れもなく現実なんだ。それだけはたしかなことなんだ。
「三番の問題を──島崎」
「はい」
佐野先生が島崎くんの名前を呼んだ。自分の名前が呼ばれたわけでもないのに、居眠りから覚醒した時のように身体がぶるっと震えた。採点用に持っていたサラサの赤いボールペンがノートにぐちゃぐちゃな線を描いた。赤い糸だなんて一瞬でも考えてしまった自分があまりにも少女漫画思考すぎて苦笑が漏れる。赤い糸なんて可愛いものじゃない。この線は毛糸玉をうっかり落としてしまった時の絶望的なほつれ糸、導火線だ。
たぶんあの出来事以来、島崎くんは佐野先生によく当てられるようになった。数学は週四回あるけど……二週に一度は呼ばれている気がする。もともと島崎くんは数学が得意そうだし(よくノートを見せてあげてるのを見かける)、先生に突っかかってくるタイプじゃないから、困ったときの切り札として先生も認知しているのかな。けれど確実に私のせいだ。先生も例の一件を覚えているのか、ありがたいことに私を当てなくなった気がする。私がトリガーとなってしまったあの出来事が明らかに影響を及ぼしているのだと思うとうれしくてたまらなかった。被害者の島崎くんには悪いけど、悪いとは思っているけれど、やっぱり、うれしかった。
そこまで深く潜って、気づいた。この「うれしい」という感情が、もしかして私にとっての「好き」なのかもしれない。
たぶんこの「うれしい」という感情までは、川野さんだって見抜けていないはず。私はもう一度「好き」という言葉を口に含んでみた。……甘くはなかったけれど、渋みは抜けたような気がした。
私はこの世紀の大発見を忘れないように、ノートに書きこんでみる。『好き=うれしい?』
「あ」
しまった、そのままサラサで書いちゃった! このノート、今度提出しなければいけないのに。
「うるさい」
うっかり出た間抜け声に、お隣さんの関くんがにらみつけた。オーバル型のメガネの奥の黒い瞳が光っている。
「ごめんなさい」
「意外と見てるよ、佐野先生。授業中の私語厳しいから」
「なんでわかるの」
私語に厳しいと教えてもらったばかりなのに、会話を続けようとしてしまった自分を殴りたくなった。意外にも関くんはそれを咎めず、得意げな顔をして言った。厚いガラスのせいか、すこしだけ目元がふやけたように見えた。
「僕も佐野先生のことを見ているからだよ。先生の特徴を知っておいたほうが有利だろう? 何かと、ね」


ここまでお読みいただきありがとうございました!
続きは5/19文学フリマ東京38「喫茶あわい」(第一展示場F-22)にて頒布いたします。
是非お手に取っていただけると嬉しいです。
お取り置きの連絡は徒然みぞれのX(@SsMizore)までお願いいたします。

※前作はありがたいことに早い段階で完売したので、少しでもご興味を持っていただいた方はご連絡いただけますと幸いです……!

文学フリマ東京にて皆様とお会いできるのを楽しみにしております!

徒然みぞれ 拝

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