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【答案の始末】クスクスとは最大の栄養サプリメント

時間がある、ということに嬉しさと罪悪感があります。

時間というものは100%使い切らなくてはいけないという思いがあり、持て余してしまうと「時間さんごめんなさいない」とちょっとした自己嫌悪というか、悔しさというか、そんな感情を抱いてしまうのです。

時間は有限、とはよく聞く言葉ですが、だからこそ対象が誰であろうと、もちろん自分であろうと、有効的に使うことに最大の達成感を感じています。

たとえば、休日の夕方なんかがそうです。夜ご飯にはまだ早い、どこか出かけるには遅い、そんな時、時間を有効活用できていない自分に苛立つのです。

だからでしょうか、昔からサクセスストーリーが大好きで、汗水流して働いている人=時間を120%使い切っている=かっこいい、と思いがち。

最近では、時間があれば読書をするようにしているのですが「すぐ読書に走ってしまうのもどうなのか?」と、結局シンキングタイムになってしまう時間の使い方にも疑問を持つのです。

何かをしていないと怠惰な自分になってしまうと恐れているのでしょうか、常にインプットアウトプットを意識してしまう生活がここ最近続いています。

ただ、この世の中にはどうでも良いことが誰かのクスクス(笑い)につながることを知り、何もしていない1秒さえも愛しいものなのでは?と考えられるようになり、いや、なりたいと思っている最中。

それを教えてくれたのが、さくらももこさんの「たいのおかしら ''答案の始末''」です。
※ネタバレ避けます

とにかく日常生活を面白おかしく綴るさくらももこさん。この人の右に出るものはいないのではないかと、1ファンとして評価させていただいております。

もものかんづめ、さるのこしかけなどのシリーズが有名ですが、その中でも私のお気に入りがたいのおかしらの「答案の始末」。

ある日テストを受けていた彼女は、びっくりするほど答えがわからないという恐ろしい経験をします。

毎日授業を受けているのだから、少しくらいぼんやりとでも答えが出てきてもおかしくないのに、1ミリも回答らしい回答が出てこない。

結局、テストの点数はおそろしいほど低く「これはお母さんに見せられん!バレたら大変だ!」といって、答案用紙を隠す術を考えます。

そこで思いついたのが、ビリビリに破いてトイレに流すというなんとも馬鹿げたやり方なのですが、ここからがおもしろいところ。

今でいう水洗トイレではなく、いわゆるぼっとんトイレだったため、そのまま答案用紙を丸めて便所の穴に落としてしまえばバレてしまいます。

小さく破いて底に落としているその姿を想像するだけでもクスクス笑えてくるのですが、その後の思いもよらぬアクシデントによって、彼女はトイレの中で1人慌てることになります。

答案用紙を破る彼女の時間も、何もすることがないからと手に取った本で時間を潰している私も、本来の...といいますか、こうありたいと思い描く時間の使い方とは別の方法で時間を使っていることでしょう。

しかし、時間を有効活用せねば!と思っているときには得られないクスクス笑いという心の栄誉を私は得たのです。

時間を余すこなく使いたいと思っている私のところに、しょうもないほどクスクス笑えるさくらももこさんのエッセイは舞い降りてきたのです。

きっとクスクス笑いは、時間という縛りで制限された人生を120%生き抜くために、必須の時間の使い方なのでしょう。

だから私も、晴れた休日の午前中からこのエッセイを読んでいるのかもしれませんね。

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