いつか自分が死体になったら、叩かれるのか。
「家族が死んだら、その死体を一緒に叩こうね」
(叩こうではなく、叩こうね。圧がすごい)
この約束が繰り返される日が終わってから
だいぶ経つ。
そして
そのターゲットにされていた家族たちの中には
既に亡くなった方もいる。
ちなみに私は
彼等のお通夜・お葬式に参列していない。
家族のお葬式=その死体を叩くイメージがあまりにも強すぎて
ほとんど一緒に住んでない、
それも虐待の加害者だった家族が亡くなったとき
私は何も感じないし、参列する気にもなれなかった。
実際に指定していた道具を使って、
死体を叩きにいったのかは分からないが
あの人が面白半分で参列しにいく、その様子だけは分かった。
私はもう、
あの人の求める「いい子」ではない。
私が死ぬことを願っているかは分からないが
死ぬかもしれない状況になったとき、
「葬式代あるなら死んでいいよ」
「迷惑かけないでね」
「さよなら」
笑いながら言われた。
私はもう、とうの昔に
実の親(母)から、死ぬ許可をもらっているのだ。
”かろうじて生き延びた”
この表現に間違いはなく
あのまま死んでいたら、
私は動かなくなった身体を、母に叩かれていたのだろうか。
かつて強引に約束された、
あの道具を使って。
執筆で利用するカフェ代など、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。