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#2 とにかくなんでもやってみた結果、専業主婦の偉大さに気づく【2024/3/16】

専業主婦への葛藤はまだまだ続く。
1日中予定のない生活が続くことが不安で徐々にメンタルを蝕まれてしまった私は「なにか生産的なことをしたい!」という思いが強く、仕事や趣味などジャンルを問わず、1年間でただひたらすらいろいろなことに挑戦した。

その中でけっきょく今でも続いているのはほんの少しだけど、これらを通して自分がどんな人間なのかがはっきりと形作られたので、「やらずに後悔よりもやって後悔」がモットーの私にはとても貴重な時間だったなと思う。


この記事では、とにかく生産性のある時間を過ごしたかった私が最優先した仕事について書こうと思う。

仕事を探す上で私がこだわった条件は2つ、在宅勤務が可能なことと、日本語で働けること。だいぶ仕事は狭まるが、自分の英語力や今後の生活を考えた上ではこれがベストだと思った。

とにかくやったこと時系列で

塾講師(2023.1~)→唯一の継続

まず始めたのはオンラインの塾講師。掲示板のようなところで見つけてから、比較的早い段階で始めた仕事であり、かなり情緒の安定に役立っていた。これについては今も続いているので、またどこかで詳しく書きたい。

プログラミング(2023.4~7)→挫折

厳密に言うとプログラミングは実際仕事にまではいっていないが、かなり没頭したのでここに記載させてもらう。

リモートワークかつ日本語ということでまず思い浮かんだのがIT。以前、HTMLやCSSというwebデザインの部分は学んだことがあったが、そちらはあまり興味を惹かれなかったので、今回はPythonというプログラミング言語を学んだ。

元々新しいことを学ぶのが好きで好奇心は旺盛な方なので、すっかりハマって四六時中パソコンを動かしていた。その甲斐あって、手前味噌ながらかなりのスピードで習得したと思っている。

学習サイトである一定のレベルに合格すると、転職エージェントの方から面接の機会をいただけるらしい。私にもオファーが来たためさっそく申し込んだところ、思わぬ事実を知ることとなる。なんと、プログラミング業界において、初心者がいきなりリモートワークというのは現実的ではないというのだ。

冷静に考えるとそれもそうか、と思う。事前に調べず、やるぞ!と思ったら突き進んでしまう自分の短所が露呈してしまった。
日本に帰国してから、という手もあるが、私の住むことになる地域は田舎であり、IT企業はあまり進出していないそう。クラウドワークスなどで小銭稼ぎをすることはできるそうだが、気が遠くなるような道のりらしい。

それならば、と職業にするのはすっぱり諦めた。

ライター業(2023.9~2024.1)→挫折

昔から読書が好きだった。幼い頃は母の教育方針で毎日日記を書くことを義務付けられていたため、文章力にも自信がある。

ということで、またもや安直に、今度はライター業を始めた。

クラウドワークスを使って案件に申し込み、受注し、書く。書く。書く。
たくさんの応募者の中から選ばれ、受注してもらえたときはとても嬉しかったし、すぐにお金になることでモチベーションにも続きやすく、3ヶ月程度夢中になって取り組んでいた。

そんな中、一時帰国の休業を経て再開したときに感じたのが「なんだか割に合わないな」という思いだった。
自力で他に稼ぐ術もないくせに生意気な、と思われるかもしれないが、どうしても労働力を搾取されている感覚が消えなかった。

ライターというと、なんだか特別なスキルも必要なく、簡単な仕事のように思える。しかし、リサーチや構成作成、ペルソナ設定、書き終わった後の推敲などを丁寧にしていると意外と時間がかかるのだ。制作物となると中途半端なものは世に出せないし、評価にも直結するため慎重にもなる。
時給にすると100円なんてこともざらだった。
日本よりもはるかに物価の高いアメリカである。私の1日はコーヒー1杯にもならないと思うとむなしくなってしまった。

もちろん徐々に時給は上がっていったが、それにしても、なのである。

同時に、なんだかやりとりがうまくいかないクライアントが多かったことも気になった。クラウドワークスというお互いにとって気楽な手段であるからこそ、突如連絡がつかなくなることも多かった。
私自身その気楽さを利用しているため、大きな声では言えないが、あまり気持ちよくコミュニケーションが取れなかったこともあり、なんだかなぁと思うことが増えていった。

そして、その仕事内容にもあまり意味を見出せなかった。これに関しては私がジャンルを選ばずさまざまな記事を執筆していたことも原因だろう。

「文章」という私の好きなものが、ビジネスの道具にされ、無機質なものに思えてしまった。自分自身がそれに携わっているというのがなんだか無性に辛かった。
自分の書いている記事に意味が見出せなかったこともあり、こんなことしてアクセス数だけ伸ばしてどうするんだろうという疑問が湧いてきてしまったのだ。

こういったことが積み重なり、徐々にモチベーションが下がってしまった。
もちろんここを粘れるかどうかが、ライターと名乗れる人物になれるかどうかの境目だろう。もちろん、ライターに限らず、だ。

ただ、私はライターに対してそこまでの思い入れは持てなかった。

実際、その頃の私はなによりもライター業を優先してしまっていたのも事実だ。「ライターとしてもっと稼ぎたい!」と思うあまり、家事が手抜きになっていたり、旦那に対して少し余裕がなくなったりしていた。

仕事を終えて帰ってきた旦那を出迎えずにパソコンをいじっている、とか、晩ごはんに楽ちんな鍋の頻度が増える、とか。一つひとつは大したことないかもしれないけど、なんとなくこれが続くと危険だなって気がしてた。

仕事をするのはなんのため?

結婚を決めたとき、アメリカに来るときに「旦那と一緒に過ごす時間を最優先にしよう」と自分に誓ったはずなのに。そのためにリモートワークを志望しているのに、仕事優先になってしまっては元も子もない。

「仕事にうつつを抜かして遊びの手を抜くな」という言葉は旦那がずいぶん気に入って使っている言葉(そういう言葉のセンスがあるところも旦那の好きなところなのですが)で、まさにその通りだなと。

幸い旦那のおかげで今のところ生活していくお金には困っていない。
それにも関わらず、自分に余裕をなくしてまで働く必要はあるのか、旦那を笑顔で迎えられる妻である方がよいのではないか、今の自分はどうだ、と考え出すと、あんなにも執着していた「仕事」が霞んでいった。

もちろん今までだって、専業主婦という職業の偉大さは知っているつもりだった。でも、自分がそうなると思うとまた別だった。専業主婦が合う人には合うよね、生き方としていいんじゃない、くらいの気持ちだった。

渡米から1年、ようやく、心の底から専業主婦という仕事を認められた気がした。それはつまり、自分自身を認められたこと。私の心もすっと楽になった。

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