見出し画像

社内の父(20200609日記)

この4月に、とてもお世話になった上司が異動してしまった。本当にいつも私の努力も失敗も見守りつつフォローしていただき、お世話になりすぎていて実の父よりも父のような親しみを感じていたので、これから頼りにできる人とまた出会えるものか‥とナーバスにもなった。

それから結局バタバタ過ごして今に至るのですが、たまたま元上司の異動先が入っているビルを訪問する用ができたのでアポを取って会いに行くことにした。よく「また立ち寄る機会がございましたらぜひ‥」なんて言うけれど、口約束では終わらせたくなかったので、「ご多忙中とか知らん。会いたい時に会う。今を大事にする。」という強い気持ちで臨んでみた。

相変わらず優しい方なので(本当に超絶とんでもなく忙しい方なのですが)、快く時間を割いてくださり、異動先のオフィスの見学までさせていただいた。私が勤務するダサいビルにはない素敵な食事スペースでゆっくりお茶までしていただき、お互いの近況報告やたわいもない話をした。

性別も違えば年齢も30歳近く離れている大先輩なのに、不思議と馬が合う。いつどこで分かり合えたり、忙しい中に少しでも顔を出そうかなと思える人と出会えるかわからないものだな、とつくづく思う。

毎日なんだかんだ文句を言いながらも外に出たり仕事を頑張る理由は、こういう思いがけないご縁がポロっとそのへんに転がっていることを知っているからというのも大きいかもしれない。


思いがけないといえばもうひとつ、偶然そのビルに私を採用してくださった当時の人事部長が勤務していて、久しぶりにお会いしご挨拶することが出来た。この人が最終的にイエスと言わなければ自分はまた別の道を進んでたんだよな、と思うと不思議だ。

数年ほど前までの私だったら、本当に無駄が嫌いで無益な時間を過ごすくらいならとにかく働いていたくて、分刻みに詰めたスケジュールをガツガツにこなして成果ばかりを数えていたし、帰社時間のサバを読んでお茶やおしゃべりに興じるなんてことは考えられなかった。

けれど、こういった人たちとの関わりの中で仕事のおもしろみは生産性や効率、成果だけでは測れないということがだんだんとわかってきた。時間を詰めなくても仕事がこなせるようになってきた、など多少スキルが向上したこともゆとりに繋がっているのかもしれない。これは小さいながらもとても良い変化だと思う。


どうも昭和と平成、バブルとゆとりなど世代間の対立構造が取り沙汰されることも多い気もするけれど、少なくとも私はあたたかいおじさま・おばさま達にチャンスをもらったり育ててきてもらった実感がある。(もう私もすっかりおばさま側ですが‥)あくまで仕事だから仲良しになる必要はないけれど、たまには気軽に顔をだして、最近のしょうもない話やここだけの悩みなんかを話せるような人との出会いがこれからもあるといいなと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?