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ビザンツ帝国の公用語【世界史○✕Pt3】

今回は以下の問題を見てみましょう!

「ビザンツ帝国はアラビア語を公用語とした」○か✕か?











正解は✕です!

ビザンツ帝国の公用語はギリシア語であり、アラビア語は基本的にイスラム圏の言語です。


  
394年、ローマ皇帝テオドシウスが死去すると、ローマ帝国は二人の息子アルカディウス(東)とホノリウス(西)に継承され事実上二分されることとなり、西ローマ帝国は侵入してくるゲルマン人に有効打を打てず、476年にオドアケルによって滅ぼされ、西ローマ皇帝位は東ローマ帝国へと統合されます。

  さて、この東ローマ帝国は、いわゆる皇帝教皇主義が取られ(この考え方はカトリック側からの味方であり、近年では誤りとされています)、かつてのローマ帝国とは異なるキリスト教国家に変貌したと見られ、歴史家たちは中世以降のローマ東方領をビザンツ帝国と呼ぶようになりました。細かい歴史には今回は触れませんが、8世紀までの間にビザンツ帝国では公用語がラテン語からギリシア語に変化したと考えられています。『新約聖書』がギリシア語で記されていることを考えれば、自然な変化であると言えるでしょう。ユスティニアヌス帝がトリボニアヌスと協力して作成したとされる『ローマ法大全』は旧ローマ帝国の公用語であるラテン語を主体に、一部はギリシア語で書かれています。


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