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ナポレオンとクラシック音楽(1): 英雄交響曲

フランス革命後の混乱期に台頭して、挙句にはフランス皇帝にまで昇り詰めたナポレオン・ボナパルト。

今では歴史ファン以外にはあまり知られぬ歴史的存在でしかないのかもしれませんが、欧州史における我が国の豊臣秀吉のような彼の生涯はなかなか興味深いものです。

王侯貴族が支配する旧体制世界アンシャン・レジームに自由の理念を欧州中に伝え、新体制の世界を歴史上に体現させた、ナポレオン法典の英雄ではなく、利己的な独裁者であり侵略戦争を繰り返した虐殺者であると評することも正しい。ナポレオン戦争によって引き起こされた数々の惨劇は、それ以前の戦争ではありえないものでした。

いずれにせよ、十九世紀という時代はナポレオンを語らずして理解不能。戦争とは政治の一手段なのですから。

長谷川哲也「ナポレオン」(2003-2011, 2011-)

いまだ連載中のナポレオンの生涯を描く漫画をここ十数年ほど愛読しています。尊敬されるべき英雄でも、偉人伝の人物としてではなく、描かれるのは、乱世の奸雄としてのナポレオン。「ベルサイユのばら」の池田理代子の描くナポレオンなどとは全く違うのです。

歴史書を読みこんでしっかりとナポレオン個人ばかりではなく、ナポレオンの時代がいろんな人物の視点からしっかりと描かれています。スペイン侵略戦争における目を背けたくなる辛い情景もしっかりと描写されていて、時折コミカルなキャラによって空気が軽くなるも、基本的には本格的歴史漫画で、世界史を好まれる人や学ばれる方にはオススメです。

フランス大革命前のナポレオンの人生の最初期から書き起こして、一度は連載する作品の題名を変えながらも、物語は現在、ナポレオン帝政が崩壊した1814年。

無敵だったナポレオンは敗退して、地中海のエルバ島に一時的に押し込められている時代を作品は描いています。これからいわゆる列強諸国による「会議は踊る」と言われたウィーン会議に対する世の不満を解消する期待を一身に背負って、パリに再入場して百日天下ののち、天下分け目の「ワーテルローの戦い」に至るのです。これからが本当のクライマックスですね。

誰もが知る史実が書き連ねてゆかれますが、NHK大河ドラマのように、よく知られた秀吉や信長や家康のような人物の生涯がいかにして描かれるかが大切なのです。

漫画に描かれるのは戦争ばかりではありません。

共感するかどうかは別にして、ナポレオンという人物の等身大な人間臭さ、彼を支えた数多くの人々や敵対した人々について学び、詩人ゲーテや画家ゴヤのように、直接にナポレオン個人と深い関わりを持たなくとも、同じ時代を生きた人などのナポレオンに翻弄された人物らの群像劇でしょうか。

最新刊の第二部「覇道進撃」の第22巻では、敗退しても皇帝のまま、エルバ島に居座り続ける虎視眈々たるナポレオンの周りで、彼を見捨てた、または支えた女性たちの物語が興味深く語られます。ナポレオンが政略結婚して、ナポレオン二世を産ませたウィーン皇女のマリー・ルイーズはナポレオンを捨て、捨てられてもそれを知らぬナポレオンは本当の愛を注いでくれた愛人と別れます。

ナポレオンが離縁した糟糠の妻ジョゼフィーヌは他界。

ヨーロッパ大陸を席巻した男の周りには本当に数多くの人間がいました。あまりに多くて歴史書を読んでいると複雑な相関関係を理解できないものですが、本作品を読むと、そうした歴史的人物の人間味に触れることができて、歴史がよりわかるようになります。

ナポレオン時代の音楽

さてわたしが問題にしたいのは、この漫画では一切語られぬナポレオンをめぐる音楽の話(おそらく作者は深い音楽的見識を持ち合わせてはいないので、あえて語らないようです。賢明な選択です)。

皇帝ナポレオン (1769-1821) は、当然ながら楽聖ベートーヴェン (1770-1827) やハイドン (1732-1809) やシューベルト (1797-1828) の同時代人。

また生きながら伝説となった戦争に明け暮れた人生を送った男の負の遺産は、後世のチャイコフスキー (1840-1893) やシェーンベルク (1874-1951)にもつながります。

ナポレオンを知らぬとクラシック音楽は語れないのです。

ベートーヴェンと英雄精神

長い前書きでしたが、ここからようやく本題。

ナポレオンとクラシックといえば、誰もがベートーヴェンを思い浮かべることでしょう。

クラシック音楽に詳しくない方でも、ベートーヴェンが第九交響曲作曲以前までは自身の最高傑作であると見做していた、ナポレオンにインスパイアされて作曲されたという英雄交響曲 (交響曲第三番作品55「エロイカ」) のエピソードはご存知でしょうか。

1789年に勃発したフランス大革命の大混乱期を収束させたのは、貴族ではない平民出身のナポレオンでした。1799年には第一統領(実質的な大統領)となり、ヨーロッパで初めての民主的な政権を樹立するかに見えたフランスのナポレオン。貴族政嫌いのベートーヴェンは英雄ナポレオンに大変な期待を寄せ、1802年より書き始める新作交響曲を人間精神をテーマとした渾身の作品として、1804年に完成させるのです。

貴族嫌いのベートーヴェン。
手塚治虫の未完の遺作「ルードウィヒ・B」より

しかしながら、1804年5月にナポレオンは国民投票を実施して、帝位に就くことへの是非を問い、結果を利用して皇帝位を頂くことを決め、12月に有名な戴冠式がノートルダム寺院において執り行われます。

ベートーヴェンの伝記を書き遺した弟子の作曲家フェルナンド・リースは次のようなエピソードを伝えて、今では広く知られています。

作曲家は当初、フランス第一統領ナポレオンの大活躍を自由主義の象徴として高く評価して、1804年夏に完成した交響曲をフランスの英雄に献呈するために浄書楽譜の表紙に「ボナパルト」と書き記すのですが、皇帝就任の報を受けて、楽譜の表題をペンで書き消して「英雄の思い出のために」という意味を込めてEroica(英雄・英語のHero)と書きなおしたのです。

あの男も所詮は平凡な人間に過ぎなかったのだ。自己の野心のために全ての人の人権を足下に踏みにじったのだ
平野昭「ベートーヴェン」2012年。音楽之友社より

英雄を讃える音楽なのに、第二楽章に葬送交響曲が含まれているのはおかしいという意見も聞かれます。しかしながら、コーダで新たなる音楽が展開して行く、雄大なソナタ形式の第一楽章は英雄精神の体現、第二楽章は英雄の挫折、第三楽章は再生、第四楽章は飛翔と読み解けば、齟齬はありません。

もしかしたら、第二楽章は本当に英雄の死を悼む音楽で、英雄の思い出は軽々と現世を超えてゆき、バレー音楽「プロメテウス」より取られた主題に基づく変奏曲の終楽章では、英雄精神は天に舞い上がるという解釈も説得力があります。

ナポレオンの死と葬送行進曲

大西洋の孤島のセントヘレナ島でナポレオンが死んだときに、五十歳のベートーヴェンは以前よりこのことを予言していたと自作交響曲の楽譜を差しながら誇らしげに語ったとか。

ナポレオンの死因については、遺髪を分析した結果、ヒ素による毒殺説が伝えられていますが、当時の瓶詰の赤ワインには相当量の鉛が含まれていたことも知られています。ワイン好きだったベートーヴェンの毛髪から尋常なる量の鉛が検出されたりもしています。ベートーヴェンの死因はワイン中毒による肝硬変ですが、鉛中毒による汚染も相当な健康被害を与えていたことでしょう。しかし真相は闇の中。

またこの記事も面白い。

ベートーヴェンの政治的関与に関する一説として、次の本が抜群に面白い。1812年に書かれた謎めいた手紙を読み解くスリリングな新解釈。

ベートーヴェンの有名な「不滅の恋人」論争は、二人との間に別々に隠し子を作ったのだと言われている、アントニーブレンターノ (1779-1821) とヨゼフィーネ・ブルンスヴィック (1780-1869) と言われて、もう終止符を打たれたともいえますが、興味深い解釈です。

それではトリオ(中間部)に雄大なホルン三本による独奏がおかれた、交響曲第三番の第三楽章スケルツォをどうぞ。葬送交響曲の次に置かれた「再生」や「復活」を意味する音楽です。

わたしは英雄交響曲は実際ナポレオンとは全く無関係な音楽と見做しますかが、ナポレオンという歴史的な人物なしに、ベートーヴェンはこの大傑作を創案することもなかったのでは、とも思います。

英雄交響曲は、英雄という理想化された勇気ある人の音楽的肖像。わたしにはそれで十分です。

二十一世紀に入り、二十世紀のロマンロランなどによって神話化された楽聖ベートーヴェンの虚像を剥ぎ取り、秘書シンドラーの捏造したものではない、本当の人間ベートーヴェンを伝える研究が発表されています。ここに紹介したいくつかはそうした最新の研究をわかりやすく伝えてくれるものです。多くの方々に、本当のベートーヴェンを知っていただきたいです。

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