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ナポレオンとクラシック音楽 (6): 戦争と愛

ナポレオンと音楽といえば、多くの方がベートーヴェンの「英雄交響曲」と、チャイコフスキーの大序曲「1812年」を思い浮かべます。

1812年という年号は、ナポレオンの没落の始まりを決定づける、ロシア遠征の年。侵略者を迎撃すべきロシア軍は戦わずして逃げ回り、追いかけるフランス軍は行くところ略奪暴虐の限りを尽くし、住民の全てが逃げ出した、もぬけの殻の首都モスクワに数か月とどまるも、冬将軍の到来とともにフランス軍はモスクワに火を放ち、ロシアを撤退。

今度は逆にフランス軍が追われる立場となり、空前絶後の大軍を率いたナポレオンは自身の軍団を後にしてパリに逃げ帰り、ロシア軍の激しい追撃によって60万の大軍は帰路において、ほぼ壊滅するのです。

文豪レフ・トルストイは大長編小説「戦争と平和」にフランスの侵略者を退けたロシア民衆の粘り強さを描き出して、ロシアを褒め称えます。ロシア人にはいまもなお、ナポレオンを総力戦によって撃退した祖国戦争として記憶されています。

大序曲「1812年」作品49 (1880) とは

さて、演奏会の演目として大人気の「1812年」序曲。

なぜ人気かと言えば、非常にわかりやすく、大衆受けするからです。

クラシック音楽と言えば、ムズカシイ音楽だと眉を顰めるような方にも喜ばれるのは、音楽がクラシック音楽らしさを追求せずに、よく知られた分かりやすいメロディの継ぎぎでできているからです。

戦争シーンを模した打楽器と金管楽器の派手な活躍と、野外コンサートにおいては、本物の大砲を使う大音量な音楽。戦争の音楽と対称的な聖歌や勝利の歌として華々しく奏でられるロシア帝国国歌は感動的でもあります。

「クラシック音楽らしさ」と書きましたが、クラシック音楽を聴く醍醐味は、あるメロディを膨らませたり色合いを変えたり変奏させたりと、音楽がひたすら変幻夢幻に変化してゆく妙。フーガやカノンのように、複数のメロディが複雑に絡み合う美しさは、複雑な音楽を理解できる聴き手には何物にも勝る快楽なのです。

しかしながら、複雑な音楽を聴きとる能力とは、ある程度の音楽的訓練を受けて初めて獲得できるもの。楽器演奏経験のない人に、高度な音楽技法によって書かれたクラシック音楽を聴きとおすのは、残念ながら大変に難しい。眠たくなるのは当然です。

読書に例えると、ベートーヴェンが難しいのは、まだ発展途上の小学生には、トルストイの「戦争と平和」は読めないし、理解できないようなもの。

でもフランスを象徴する「ラ・マルセイエーズ」やロシア国歌「皇帝を守り給え」などが引用されて、わかりやすい軍楽隊調のファンファーレが含まれた「1812年」序曲は、大長編「戦争と平和」に対する、絵本か絵巻物のようなもの。誰にでもわかる音楽。

でも誰にでもわかる音楽は、しばしば複雑な音楽を理解して楽しむ人には単純すぎるのです。

大人でも楽しめる素晴らしい芸術的な絵本があるように、単純な音楽だからダメということはないですが、自分には、序曲「1812年」は少し残念な音楽です。

ですので、ウィキペディアにさえこう書かれています。

チャイコフスキー自身は決して精魂を込めて書き上げた作品とは受け止めてはいなかったものの、歴史的事件を通俗的に描くという内容のわかりやすさによって、人々に大いに喜ばれる作品となった。
出典: 1812年 (序曲)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

言うまでもなく、全ての音楽が音楽通のために書かれている必要はありませんが、上記のようにチャイコフスキーの会心の作品と呼ぶには相応しくないのです。

恩人のニコライ・ルビンシュタインに依頼されて仕方なく引き受けた仕事として書き上げたものなのですが、こういう音楽の需要は確かにあり、実際に現代においても大人気な音楽なのですから、この曲の存在価値はそれでも意味深い。誰にでも理解できるクラシック音楽!

そしてナポレオン死後半世紀以上も後の作品。

ニコライ・ルービンシュタイン(1835-1881)

ルビンシュタインはドイツのヴァーグナーやリストとも親交を持った、当時のロシア音楽界の重鎮。この曲を書き上げてすぐに急逝。チャイコフスキーは先輩音楽家の死を悼んで、序曲完成後に一部の愛好家に作曲家の最高傑作とさえも呼ばれる、ピアノ三重奏曲イ短調「偉大な芸術家の思い出」作品50(1882年完成)を書き上げるのです。

わたしとしては、大作曲家チャイコフスキーは、序曲「1812年」においてではなく、ピアノ三重奏曲のような偉大な音楽において記憶されて欲しいですね。

戦争交響曲を模倣した序曲

さてくだんの「1812年」序曲は、ベートーヴェンがやはりナポレオンの敗北を音化した「ウェリントンの勝利・またはヴィットリアの勝利」作品91(戦争交響曲)をチャイコフスキーが模した音楽であるということは広く知られています。

ベートーヴェンが「ラ・マルセイエーズ」に「ルール・ブリタニア」などを引用している様式を、チャイコフスキーはまるきりそのまま踏襲しています。

別稿にも書いたように、戦争交響曲は、ベートーヴェン屈指の駄作であるとして知られています。でも深刻な音楽ばかりを書く作曲家の生涯最高の成功作として生前は知られていたのです。金欠作曲家だったベートーヴェンに未曽有の商業的成功をもたらしたのですから。

ベートーヴェンの戦争交響曲はいまでは楽聖ベートーヴェンの作品としてはあまりに品がないと、ほとんど演奏会では取り上げられませんが(私も実演に接したことがありません)、より通俗的な作曲家とされるチャイコフスキーの場合は、作曲家が嫌々書いたという事実にもかかわらず、現代でも大変な人気。ここにチャイコフスキーとベートーヴェンとの大きな違いがあります。

大人気の序曲「1812年」の内容の解説は検索すればいくらでも見つかりますので、ここでは割愛して、代わりにこの曲の愉しい動画を紹介いたします。

時代考証に忠実な動画としてはこれが素晴らしい。ロシア出身の名ピアニストとして知られる、ヴラジミ―ル・アシュケナージ指揮の音楽による映像。

次は1967年の映画「戦争と映画」に引用された序曲「1812年」。

チャイコフスキーの音楽のクライマックス部分だけの4分の短縮版。ロシア国歌が鳴り響いて、派手なシンバルが鳴り、大砲が轟きます。

次は日本のクラシック音楽漫画「のだめカンタービレ」の映画版。

フランスのオーケストラを指揮しているという設定にもかかわらず、「1812年」序曲が映画の中で取り上げられています。

フランスが敗北する音楽なので、フランス国内ではまず演奏されない音楽なのですが。ロシアにおいて、ロシア帝国からの独立運動の応援歌となった、フィンランドのシベリウスの「フィンランディア」が演奏されないのと同じことです。でも動画としては非常にわかりやすく楽しいのです。

ウクライナ戦争以来、ロシアの勝利を謳った「1812年」序曲は世界中で上演が取りやめになったというニュースが報道されましたが、仕方のないことです。

良心的なオーケストラは、「1812年」序曲の代わりにチャイコフスキーの別の曲を取り上げるなどしているそうです。

罪があるのは(または不謹慎なのは)戦争を描写した音楽であり、チャイコフスキーというロシアの芸術家その人にはないのですから。

音楽とは生きてゆく我々のためにあるものです。2001年にNYのワールドトレードセンターが航空機の突入によって崩壊した時には、サッチモの歌う「What a Wonderful World」は放送禁止になりました。

どんな音楽が歌われ、演奏され、流されるのかも、まさに時代を反映しているのです。

勝利を描き出す音楽は素晴らしい。でも本当に素晴らしいのは、勝者も敗者もない友愛に溢れた世界。そう、サッチモの歌が鳴り響く世界。

だから先日はハイドンのミサ曲を取り上げました。「1812年」序曲をニクソン大統領のために演奏した指揮者オーマンディと、ベトナム戦争終結への祈りを込めて「戦時のミサ」を演奏した指揮者バーンスタイン。

チャイコフスキーの「1812年」を思うと、必ず下の投稿に引用した手塚先生の漫画を思い出すのです。

戦争と愛

チャイコフスキーは序曲「1812年」の後に、生涯最高傑作の一つであるピアノ三重奏曲を書き上げて、戦争交響曲を書き上げたベートーヴェンは、やはり最高傑作の一つである第七番交響曲イ長調作品92を作曲していました。

二人の作曲家の映画音楽のような通俗名曲と後世に音楽史上最高の音楽だと呼びならわされる音楽の違いとはなんでしょうか。

戦争音楽のような血沸き肉躍るものではない、恩人のための追悼と感謝の音楽、またベートーヴェンの場合は不滅の恋人と呼ばれた二人の女性との愛に満ちた時間を表明した音楽。

わたしは「何のために」書かれたか、それが本当に大切なのだと思います。

チャイコフスキーの序曲とベートーヴェンの戦争交響曲は、お金のための俗受け音楽。

でも三重奏曲や第七番交響曲はまさに愛のために書かれた音楽、心の底から誰かのために書かれた音楽なのです。だから違うのでしょうね。

ナポレオンに戻ると、皇帝ナポレオンはひたすら戦場に生きた人でしたが、やはり人をも愛した人でもありました。ナポレオンは後継者を求めて子を産まぬ皇后ジョゼフィーヌを離縁したことは広く知られていますが、おそらく生涯で最も愛していた女性はジョゼフィーヌだったと言われています。

1821年にセントヘレナ島で没したナポレオンの最期の言葉は

「フランス、陸軍、陸軍総帥、ジョゼフィーヌ…」

ナポレオンに先立ち、ナポレオンがエルバ島に軟禁されていた最中の1814年に亡くなったジョゼフィーヌの最期の言葉は

「ボナパルト、ローマ王、エルバ島…」

だったそうです。奇しくも二人の享年は同じ51年でした。

ナポレオンよりも六歳年上だったジョゼフィーヌ

ナポレオンの最期の言葉が前妻ジョゼフィーヌだったことは興味深い。戦争馬鹿ナポレオンの脳裏に最後に浮かんだのは、離縁した最愛の元妻だったのでしょうか。

新作ナポレオン映画の制作が発表されています。巨匠リドリー・スコット監督の新作映画は「ナポレオン」。

映画の主題はナポレオンの生涯ですが、ジョゼフィーヌとの愛が映画の主題なのだとか。そうだとすれば大変に興味深い。

どのようなナポレオン像が描かれるのか楽しみです。「1812年」序曲がチャイコフスキーの全てではないように、戦争にだけ生きていたのがナポレオンでもないはずです。公開は来年2023年。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。