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非宗教的なラマダーンの勧め

イスラム教世界ではラマダーンという宗教的な断食を行わないといけない月が存在することはよく知られていますよね。一日中全く何も食べてはいけないのではなく、日中、太陽の出ている間は食べてはいけないという決まりです。妊婦や旅人は例外であるとされていますので、杓子定規な盲信ではありません。

ちょうど今現在四月はラマダーンですよね。

ムハンマドの苦難を偲ぶなど、宗教的な意味深さは置いておいて、世俗的にはラマダーンとは要するに、お昼ご飯を食べない生活のこと。

食べるとは何かを考え、食べることのできない人たちのことへと思いを馳せるなど、本来のイスラム教のラマダーンは意味深いものですが、宗教的な意味合いなしで鑑みることないならば、半日以上何も食べない習慣とは、言ってみればプチ断食です。

仏教でも断食は願掛けなどでは大切な行いであるとされています。

定期的に断食をすることは健康に良いことであると私は信じています。

かつて糖質制限ダイエットなどに凝りましたが、やはり自分が行き着いたのは一日二食の生活でした。

こういうベストセラーもありましたよね。

一日二食のメリット

さて人類が一日三食の暮らしを始めたのは、人類史的にはごく最近のこと。開始したのも、さほどに古いものではなく、二十世紀の中頃からだとか。

それまでは朝ご飯のない暮らしやお昼ご飯のない暮らしはわりと普通なものでした。

二十世紀になり、食糧事情が改善して人口急増、平均寿命も伸びるといった栄養事情の改善は間違いなく、一日三食の効用でしょう。

でも同時にそれまでは一般的には存在しなかった贅沢病、つまり生活習慣病なるものに罹患する普通の人たちが続出。肥満や糖尿病など、一日二食の生活を送ることが当たり前だった時代にはあまりなかったものだと聞いています。

飢餓状態に置かれると、そうした健康問題はなくなることが多いそうです。ある種の癌は断食することで治癒すると言う話も何度か目にしました。肉体から飢餓状態に置かれると、肉体は体の中の異物を貪り喰うので、吹き出し物や長年患っていた持病などが改善することもあるそうです。

食べる物が手に入らないことから生じる飢餓状態は辛いですが、自主的な飢餓状態はとても健康的です。つまりコンピュータで言うところのリセットにあたるからです。食べ続けることで絶えず稼働している胃腸を休ませることができるのですから。

朝ごはんは英語で「断食を破る」と言う意味。Break + Fastですからね。Fastingとは断食のこと。晩御飯を6時に食べて翌朝の8時くらいに朝ごはんを食べるならば、12時間以上、断食をしている計算になります。この間、胃腸は貴重な休息時間中を満喫しているわけです。

食べないことは健康にとって不可欠なのです。飽食の現代人には、ある意味、健康とは足し算ではなく、引き算なのです。

昼ごはんを抜く

昼ごはんを食べない習慣を始めたのは、昼食の後にある午後の会議で眠たくならないからと言う理由からでした。また貴重な昼間の自由な時間を作れると言うメリットもありました。昼食は午後の眠気に関係はないという研究もあるようですが、食べないと確かに睡魔に襲われるというようなことはあまりなかったですね。

昼食なしの生活を始めたばかりの頃は、代わりに固形物の入っていない野菜ジュースや生姜入り紅茶などを飲んだりもしました。最初はなんとなく慣れていないので食べたいなと言う誘惑があったのですが、人間は習慣の動物ですので、やがて慣れてしまいます。力が出ないとか空腹だとかそう言う悩みはなかったですね。お腹がグーグー鳴ることもないのは、オフィスワークで体力を消費しなかったからでしょう。

でも、お昼を食べないと、なんとなく晩御飯を食べ過ぎてしまいました。

自分にはランチ抜きはなんとなくイマイチでしたね。午後の業績もさほど上がらなかったのです。食費は節約できたかもしれませんが。

朝ごはんを抜く

そこで、しばらくして三食食べる生活を再開後に今度は朝ご飯のないライフスタイルを始めてみました。

わたしの朝は忙しいのです。育ち盛りの子供二人の学校へ持ってゆくランチを用意してやり、食器の片付けなどほんとに慌ただしい。でも自分が食べないと、余裕の時間が生まれてのんびり出来て、朝も早く出勤できるようになりました。

そして午前中、お腹が空くのかどうかですが、食事を抜くと水分摂取量が減りますので、必ずお水を飲んで、ショウガ入り紅茶などを摂るのです。

加齢により基礎代謝量が減っていたこともあるでしょう。以前三食食べていた頃には炭水化物依存のために、空腹感を感じる頃には糖分不足による頭痛を経験したものですが、今回はそうしたことは全くありませんでした。

長い長いプチ断食で18時間ほどの日々の断食。いわば昼ごはんがBreakfastになるわけです。

お陰で色々な変化が見られました。

変化1:腸内変化

まず便通が少しばかり不規則になりました。当然です。朝ごはんがなくなって規則正しい腸の蠕動が促されず、最初は便秘気味になりましたが、一週間ほどでそう言う状態に慣れて、以前のように快適になりました。水分は取り続けないといけないですね。

変化2:若返りました。

わたしは中肉中背の普通の体つきをしていますが、それでも贅肉はあるもので、プチ断食効果で (断食期間中は体は余分な栄養素を肉体から摂取するために痩せます) ちょうど程よい肉付きとなりました。体重自体にはさほど変化は見られなかったのですが、肌艶が良くなり、もみあげ部分の白髪が激減、明らかに何歳か若返った印象です。顔がなんとなく小顔になりました。

変化3:超朝型生活に

一日二食に慣れてくると、なんとなく胃が縮小して食べる量が減ります(お昼食抜きの頃にはあまりこの効果は実感しませんでした)。

そのためか、睡眠もあまり必要にはならなくなります。炭水化物を含んだ晩御飯を食べると肉体は休息を欲して、もう夜の10時には眠たくて仕方がありません。そして11時前に就寝して、朝の6時前には自然に目覚める有り様。途中で目を覚ますこともありません。目覚ましも必要ありません。朝の散歩に行く余裕も生まれました。質の高い睡眠のおかげです。

午前中の仕事はいわば朝飯前の仕事となり、自分の場合は集中力が上がりました。以前から空腹時の方が何事をするにも能率が良いのだと自覚していました自分でしたから予想通りの結果だと言えるでしょうか。

職場にも誰よりも早く出勤して気持ちが良いものです。そういう朝の時間の余裕は心の余裕にもつながります。わたしには朝ご飯のない生活はとても快適なものでした。

朝ごはん抜きのデメリット

家族持ちの人がご飯を抜くと、家族の大切な団欒の時間が失われてしまいます。ですので晩御飯を一緒に食べないなんて言語道断ですが、朝は慌ただしくて、一緒に食べる余裕は以前よりほとんどなかったので、朝ごはん抜きは正解でした。

このように、朝ごはんを食べない健康法には数々の利点があるわけで、朝食を食べなさいと言われるお医者さまがどんなに顔を顰められても、自分は続けていたいです。実際にわたしは朝ごはんなしの生活をもう数ヶ月続けているのですが、体調は以前にも増して良好です。

しかしながら、医療関係者の方々が主張する一日二食のデメリットで注目すべきことがあります。

血糖値の急上昇

現在医学の指摘するデメリットの決定的なものは、断食後の食事による急激な栄養素摂取。

つまり、これまで飢餓状態に置かれていた肉体は栄養素を一気に取り入れることで、血液中に栄養素が行き渡り過ぎて、脳に負担をかけてしまうわけです。断食後に脳溢血や心筋梗塞などの重篤な健康問題が生じるという症例もこのためであり、断食後の最初の食事は本当に注意しなくてはいけないと言うのは本当です。

血糖値が上がりすぎると血管に色々負担をかけるのですね。血糖値スパイクと呼ばれるものです。

空っぽの胃に消化の悪い物を取り入れると、胃が準備運動なしに重労働を開始するようなもので、個人差はありますが、便秘になったりする原因となります。

ですので、断食後は期間にもよりますが、お粥などの胃腸に負担をかけない物を食べることは大切です (一日絶食するくらいでは健常者にはなんの問題もないはずです。胃カメラの検査をして24時間断食をした家族に、病院は検査後に普通の食事を提供しました)。

断食道場など断食させてくれる場所では、断食後の食事への専門知識をもつ医療関係者の方が常在されていることが普通ですよね。

わたしはまだ若くて健康で実感しませんが、断食後の最初の食事では血糖値は大変に上がっているのだろうとは推測できます。

断食後の食事はとても美味しいのですが、朝ごはん抜きの後の昼食は朝食に準じるお粥や胃腸に優しく血糖値をあまりあげなさそうな果物などをまずは取るべきでしょう。

個人差はありますので、一日二食の生活は自分に合った形のものを続けるべきでしょう。毎日グルメな中華粥を定期的に食べることも良いことですよ。

いずれにせよ、現代人の食生活は栄養過剰。

一日に五食も食べる方もいれば (間食や夜食は断食とは正反対の効果があるようですね) 摂取した過剰なカロリーを燃焼させるために必死にジムに通われて汗を流される方もいらっしゃいます。美味しいものを食べたいからジムに通うという大変に贅沢な暮らし。

生きるために食べるのではなく、美味しいものを食べるために生きて、無駄なカロリーを器具を使って筋トレなどして消費(オフィスで働く人は肉体労働はしないですから)。

炭水化物に添加物だらけ、動物性脂肪分だらけのファーストフード的な食べ物を常食する人たちが世界では低所得者と呼ばれる人たちなのです。貧しい人ほど太る世界という不条理。

だからダイエットって健康的なものを取り入れる前に不健康なものをやめにする引き算が大切。健康的な食事でも自分のライフスタイルで全てのカロリーを消費しきれないならば、一日二食にしたりするのは理に適っていると言えるのでは。

無駄な間食をしないで、三度の食事を口にして腹八分も理想的。

十年来愛読している、戦国武将の仙谷権兵衛秀久 (1552-1614) の生涯を描いた漫画には、不老不死の秘訣が語られます。

浪人となった権兵衛は仏教寺院に出家するわけでもなく、自分探しをして不老不死とは何かの答えとして「腹八分」に思い至ります。自身の分限を知る生き方と言えるでしょうか。

満腹しない人生、でも本当に満足のゆく人生なのでしょうか?

自分が選んだ空腹

わたしは食べることの大好きな、むしろグルメと呼ばれても良いくらいに食に詳しい人間で、食いしんぼなのですが (家族の食事を作り続ける主夫を十何年もしています) 究極のグルメは、古代ギリシアにおいて快楽主義を唱えたエピキュロスのように、空腹後の食事なのでは、とも思えます。

Hunger is the best sauce (空腹に勝る美味なし)
贅沢な飲食はあなたを害悪から守りはしない。
自然の理を超えた富は溢れかえる貯蔵庫よりも役立たぬ。
人生の本当の価値は劇場観戦や温泉通いや香水や体に塗るオイルなどからは生み出されない。
それは哲学することから生み出される。
エピキュロス。

美味しいものにも食べ慣れてしまえば、もう以前ほどには美味しいと思えなくなってしまう人の性,さが

だからこそ、ラマダーンのイスラム教徒のように食べない定期的な時期を設けることで、生きてゆくために食べてゆく意味とはなんであるかをしばし考えてみたのです。

わたしとしては、定期的に一日二食の生活を続けてゆきたいですね。

本投稿がより良い食べ方、より良い食生活とはなんであるかを考えていただけるきっかけや一助になるようでしたら幸いです。

今日も良い一日をお送り下さい。


ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。