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ナポレオンとクラシック音楽(4):蹂躙されるスペインとゴイェスカス

ナポレオンはフランス革命後の欧州世界の中心として、文字通り世界を震撼させましたが、芸術世界への関心を持たぬ人物だったために、文化世界における貢献度は極めて小さなものです。

大革命以前のブルボン王朝はロココ趣味で宮廷を飾り立てるなど、今となっては彼らの文化的遺産は貴重なものです。芸術に入れこみすぎたルイ14世の負の遺産が曾孫のルイ16世を断頭台に送ったともいえるのですが(アメリカ大陸での戦費拡大もブルボン王朝の崩壊の主因でした)。

ナポレオンは旧体制の破壊者でありましたが、戦争屋の彼は壊すだけ壊して、その後に残した後世に価値ある芸術作品とはなんでしょうか?

美術の世界では御用画家のダヴィドが数々のナポレオンを英雄美化させた写実画を書き残しましたが、真にナポレオン時代を体現した絵画を現代に伝えるのは、間違いなくスペインのフランシスコ・デ・ゴヤ Francisco de Goya (1746-1828)。

18世紀後半から19世紀初頭のスペイン絵画を代表するゴヤは、ナポレオン・ボナパルト (1769-1821) と同時代人ですが、23歳も年上であり、ナポレオンが権力を掌握した頃には、もう既にスペイン・ブルボン王朝の宮廷画家として知られていました。華麗な色彩に深い人間洞察を湛えた絵画を描いていました。そしてベートーヴェンのように聴覚を失ったのもその頃でした。

マヌエル・オソーリオ・マンリーケ・デ・スニガの肖像、
赤い服を着た伯爵の4歳の子息とたくさんの動物たちが描かれている。1787-1788年

ゴヤの宮廷画家時代の作品には華があり、そうした絵画からは偉大な海洋帝国スペインの繁栄の残照を思わずにはいられません。

ゴイェスカスのインスピレーションとなったゴヤの作品の一つ

ゴヤが描いた華やかなスペインの栄光からインスパイアされた素晴らしい音楽が存在します。ゴヤの時代の百年後に生きた、十九世紀後半に各国で生み出された民族主義音楽のスペイン代表とも言えるエンリケ・グラナドス (1867-1916) です。

グラナドスの代表作であり、最後の作品のピアノ曲集は「ゴイェスカス」と題された、宮廷画家ゴヤの絵画に霊感を受けて作曲された音楽。

後にスペイン式オペラ (サルスエラ) へと書き直されて、そのオペラのアメリカ上演の帰路、第一次大戦の最中にドイツ軍の潜水艦によって乗船を攻撃されて、作曲家は大西洋で悲劇的な死を迎えるのです。

その死も一度は破壊された船から投げ出されて海中から救出されるも、最愛の妻の姿を海上に見つけて、再び海の中へと彼女を助けるために飛び込んで、やがて海中に姿を消したという最期でした。

グラナドスの作風は情熱的な愛を思わせる舞踏のリズムが常に躍動するというもの。ゴヤとグラナドスの激しい情熱の結晶とも言える「ゴイェスカス」は二十世紀ピアノ音楽の金字塔。

素人には手の負えない超絶技巧な音楽ですが、第四曲「嘆き、またはマハとナイチンゲール」は一編の叙情詩を思わせる忘れ難い音楽、スペイン風ノクターンですね。

ピアノオリジナルとオペラ版の両方をお聴きください。

サルスエラは十九世紀のイタリアオペラのようにドラマチックな物語性よりもバロック時代の歌合戦のような要素を残した歌劇でしょうか。

しかしながら、ゴヤの華麗な宮廷画家生活はナポレオン帝国軍にイベリア半島が侵略されることで変貌します。

愚鈍な王カルロス4世、王を超えた権力を振るう摂政ゴドイ (有名な「着衣と裸体のマハ」の依頼者) は侵略戦争に対してなすすべなく、スペイン各地は無政府化して行き、地獄へと変わり果ててゆくのです。

先日紹介した長谷川哲夫の「ナポレオン覇道進撃」ではゴヤはこのように描かれています。

ゴヤの戦争絵画に描かれた世界は酸鼻を極めますが、あるがままの真実を描く画家はやがて人間に絶望して、戦後には聾唖の家と呼ばれるバルセロナ郊外の家に引き篭もります。

家中の壁に魔女や我が子を喰らうサトゥルヌスなどの陰惨な絵ばかりを描くようになり果てます。いわゆる「黒い絵」です。

そうした陰惨な絵画世界の先駆作品であると考えられていた作品が、ナポレオンの半島侵略戦争時代の最中の1812年に描かれています。

逃げ惑う民衆と山の向こうでボクサーのように拳を握りしめる巨人。この絵が何を意味するのか、さまざまな解釈が存在するのですが、侵略戦争がこの絵の創作の引き金であることは間違いありません。

しかしながら、この絵を保有するプラド美術館より衝撃的な発表があり、世界を震撼させた出来事がありました。美術館はこの絵はゴヤの真作ではなく、弟子のアセンシオの作品であると結論づけたのです。

ゴヤの作品としては絵筆の使い方が粗く、習作的であることは知られていましたが、弟子の署名がCTスキャンなどを用いた最新調査から発見されたのだそうです。

この絵画がゴヤの真作ではないと、わたしが知ったのは、長谷川哲也先生の漫画を通じてでした。

巨人とは一体何なのでしょうか? 

侵略者に立ち向かうスペインの不屈の精神の具象化とも、愚かな人間どもに背を向けて立ち去る神なのか?

巨人のスケッチ

ゴヤの戦争絵画に描かれるのはフランス軍の戦争犯罪ばかりではなく、逃げてゆくフランス軍を復讐せんと追い詰めて行き、逃げ遅れたフランス兵をリンチするスペインの民衆の姿さえ描かれています。

民間人が武装して正規軍に立ち向かう行為をゲリラguerrillaと称されますが、この言葉は本来はスペイン語で、この半島戦争から生まれた言葉。モトロフ・カクテルという言葉がソ連のフィンランド侵攻より生まれたのと同じですね。

ゴヤを主人公として描いた映画にこのようなものがあります。「宮廷画家ゴヤは見た Goya's Ghosts 2006」。

同じ18世紀を舞台にした「アマデウス 」の名匠ミロス・フォアマン (1932-2018) 最後の作品。ナタリー・ポートマン主演。

カソリック国スペインで十九世紀になっても失われなかった異端審問を描いた作品で、こういう時代の闇を見つめすぎた画家がゴヤだったのです。

魔女の集会という有名な絵も1798年製作。

ナポレオン戦争よりもずっと以前の作品。スペインはこうしたオカルト的な暗い情念に満ちた世界だとも考えられていました。18世紀後半では、あまりに宗教的支配が強くて、欧州で最も後進的な国だと言われていました。

背後に死に絶えた子供たちが吊るされたりしています。

このような絵を描いていたゴヤにかかれば、スペインからナポレオン軍を叩き出した英雄ウェリントン公も次のようなものとして理解されます。現在公開中の映画「ゴヤの名画と優しい泥棒 The Duke」はゴヤの描いた絵の盗難事件を題材にしたものです。

フランス皇帝ナポレオンにせよ、ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーにせよ、軍人・政治家なんて所詮この程度のもの。

ゴヤは最晩年、スペイン立憲革命 (1820-1823) の失敗による自由主義者弾圧のために、フランスのボルドーへと亡命。

しかしながら、ボルドーは最晩年の失意のゴヤの生活に活力を与えてくれたのでした。半島戦争後のスペインでは魔女や人生の終わりの世界ばかりの暗い絵を描いていたゴヤが、彼の地にて、百年の後の印象主義を思わせるような明るい絵を描いて有終の美を飾るのです。

この作品もゴヤの真作ではないかもしれないとも言われていますが、最後に人生への希望を思い出してゴヤはその生涯を閉じたのだとわたしは信じたいですね。

1827年。死の一年前の作品。

華やかな「ゴイェスカス」に通じるような、ボルドーの市井のミルク売りの少女を描いたこの作品。彼女はゴヤの家に毎朝ミルクを届けにきていて仲良しで、無音の世界に住む最晩年の大画家の心を毎日明るくしてくれていたとか。とても素敵なエピソード、本当だと信じたいですね。

わたしの一番好きなゴヤの絵画は「ボルドーのミルク売りの娘」なのです。




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