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昭和史を描き出す名作漫画から学ぶ日本の組織体質

「セクシー田中さん」問題は日本の組織の負の面が最悪な形で露呈した事件でした。

  • 契約遵守よりも組織の事情が優先される

  • 契約履行を作者に代わって求めるエージェントの不在

  • クリエーターの権利の脆弱さと大出版社の傲慢

  • 巨大組織であるテレビ局の不誠実さ

しかしながら、これらの問題は今に始まったものでもなんでもなく、間違いなく長きにわたって受け継がれてきた、全然新しくもない日本の組織文化の負の要素そのものなのだと思うのです。

パワハラやモラハラという言葉で現在では語られる古い日本組織の負の体質は、何百年も日本社会の中で受け継がれてきたものだったのでは。

歴史となった昭和時代

これらの日本の伝統的な組織体質について、私はつい先ごろ、昭和時代の太平洋戦争をめぐる二つの名作漫画を通じて再認識しました。

わたしが小学生だった頃の昭和時代は、いまでは過去の歴史として学ばれて研究されています。

昭和はあまりにも長かったので、太平洋戦争を挟んで戦前戦後と二つの社会が存在していたように語られますが、もちろん我々日本人の本質が変わることなんてなかったので、激動の昭和は断絶してはいなくて連続しているということを知ることは、より普遍的な問題、日本文化とは、日本人とは、を深く考えることになります。

明治の45年間、大正の15年間や平成の30年間よりも、昭和の64年間の闇は深い。

わたしはそう思います。

明治維新後の富国強兵政策(欧米の植民地主義に迎合した拡大戦略)の当然の帰結だった太平洋戦争はそれほどに日本近代史において特別。

日本の主要都市が焦土と化した敗戦を引き起こした戦争とは何であったのかを知ることは現代の日本人の最低限の教養です。

  • どうしてああなってしまったのか?

  • どうして避けることができなかったのか?

  • どうすれば避けることができたであろうか?

誰もが考えるべきことでしょう。

より良き日本社会の未来を作ってゆきたいと願うのならば。

わたしは学生時代より昭和近代史に深い関心を抱いているので、若いころにノンフィクションや小説を通じて相当量の知識を得たのでしたが、いまの若い人たちは漫画というメディアを通じて勉強されるといいでしょう。

マンガには素晴らしい「絵」があるので視覚的に当時の様相を知ることができるのですから。

モンペが何かわからなくても、ダイアル式電話を見たことがなくても、漫画ならば一目瞭然(笑)。

歴史漫画は超一級歴史参考書ですよ!

名作漫画を描かれる漫画家の先生は綿密なリサーチをして、時には監修として歴史の専門家が作品に参加していることもごく普通のことなのです。

だからこそ、マンガは日本が世界に誇るべき偉大なメディア。

ただの軽佻浮薄な娯楽ではありません(娯楽要素が適度に付け加えられているので、どんなに深刻な漫画でも読みやすい)。

今回の「セクシー田中さん」問題は世界にも知られていて、親日の世界の人達は、日本は自分たちが誇るべきクリエーターたちの知的財産を守るすべも知らぬのかとあきれられて心配されている始末。

だからこそ昭和の戦争から学んでください。

歴史は繰り返す。

令和の悲劇も昭和の大悲劇も同じところから生じたのでは。

そして何も学ばなければ、これからも同じことが再び起きてしまうわけです。

昭和の同時代人として生きた人たちの昭和への想いはあまりに近視的すぎて、客観性が足りません。

昭和の歴史小説家の司馬遼太郎は昭和が書きたくてもどうしても書くことができませんでした。実際に当事者として経験したが故に、主観が邪魔をして、歴史を客観視できなかったのでした。

でも我々は昭和を遠くから客観的に見つめることができるのです。

昭和から学びましょう。

1:昭和の戦争とはなんであったのか?: 「アルキメデスの大戦」より

2015年から昨年2023年まで八年にわたって連載されて全38巻として完結した三田紀房作「アルキメデスの大戦」。

戦艦大和はもしかしたら日米国家摩擦にこれほどの大きな役割を果たせたのではないかという壮大な仮説にもとにして昭和の戦争の本質を赤裸々に描き出した大作です。

戦艦大和は数学的に世界で最も美しい外観を誇っていた世界最大の戦艦でした。

でも戦闘機の戦争の時代には全く時代遅れな無用の長物でもありました。

ネタバレはしたくないので詳細は避けますが、古代のアルキメデスにも通じるような若い天才数学者が海軍に抜擢されて、大和の設計を担当、やがては対米交渉の中核を担いながらも、日本の組織の在り方に敗れて予備役に入れられて、日本が滅びてゆくことを誰よりも知りながらも拱手傍観したまま敗戦を迎えて、戦犯にされるという物語。

我々は太平洋戦争の結末を知っています。

本作はフィクションですが、歴史的事実は決して改変されません。

だから本作は面白い。

未曽有の大災害に終わった戦争を導いた指導者たちの中に、このような良識と先見の明を持った人物がいたならば、というフィクションがこの作品。

戦争首謀者でありながら太平洋戦争勃発後に予備役に送られるという姿は満洲国建国の立役者である石原莞爾を想起させます。

石原は関東軍の同僚だった東條英機と、ことごとく対立して予備役に送られたのでしたが、本作「アルキメデスの大戦」でも東條英機がいかにして日本陸軍の中枢となり太平洋戦争開戦時の首相となるかが丁寧に語られます。

日本陸軍と日本海軍は同じ日本軍でありながらもお互いに反発し合い敵対して足を引っ張りあって責任転嫁する姿は何度見ても浅ましいし、悲しくなる。

国益よりも自派の利益のために自派の繁栄のためだけに足の引っ張り合いをしている与党と野党を思わせる図式。

陸軍も海軍も日本国家の国益のために作られた独立した機関であるだけに、さらに嘆かわしい。

仲間割れしていては、共通の敵(外国勢力)に勝てるはずもない。

問題が生じると、責任は当事者たちにだけ転嫁されて、明文化されたルールなどよりも、全ては個人個人の次元で裁定されてしまう。

天を仰ぐばかりです。

法治主義ではなく、人治主義

日本国は西洋諸国とは違うメンタリティで動いているので、西洋的な法の支配よりも個人間や派閥間における根回しの方が大事だとしても、ルールよりも個人的な関係が組織を動かすというやり方はどこかで不具合を生じさせてしまう。

硫黄島戦の栗林中将のようなカリスマを持った
有能な指揮官に恵まれると
日本軍は何倍もの物量を誇る米軍に
互角以上の戦いさえも行えてしまう
でも誰が指揮官でも最低限の戦いができるような
汎用的なシステムを持たないので
凡庸な指揮官の下では
日本兵は実力を発揮する機会を与えられないまま
無駄死にしてしまう

戦前日本軍では、実力主義による組織運営はなされないで、長州閥や薩摩閥といった出身や帝国大学の学閥内の年功序列が出世のすべてだった。

だから大将や首相となって人事権を握ることが軍人たちの最終目標であって、日本という国のために戦争することには本気にはならなかった。

日本全体の利益よりも自分たちだけの組織の利益が大事。

平成令和の政治家たち、そして官僚たちは旧帝国陸軍と海軍のDNAを間違いなく受け継いでいるわけです。

太平洋戦争の敗戦は必然でした。

令和日本もこのままでは同じ轍を踏んでしまう。

戦前の日本の国力がアメリカの20分の1だったなどという経済問題よりも、組織がルールに基づいて動くのではなく、不公平な人脈においてのみ動かされる組織だったことが太平洋戦争の敗因。

努力することを尊ぶ個々の日本人は間違いなく優秀です。

努力を重んじない民族は世界にはたくさんいるのです笑。

でもひとたび組織に交わると、日本人は本来持ち合わせているはずの優秀さが発揮できなくなる。

ここでこうしていればアメリカに勝つことができたはずだという、(作者による後世の後出しジャンケンとも言える) 必勝の戦略の数々が本作では語られますが、ことごとく日本軍の組織的利己主義ゆえに主人公の提案は潰されてしまうのです。

歴史上のイフ

あの時こうしていれば、こうなっていればというIF, IF, IFが何度も提示されるも、物語は我々が学校や歴史書で学んだ通りに進んでゆく。

主人公の言葉に表しようもない忸怩たる想い!

主人公櫂直かいただし全ての難問に最適解を出すも、全ては彼が最も望まない形で戦争は泥沼へとはまりこんでゆくのです。

そして物事がうまくゆかずにどうしようもなくなると、責任を全うすべき軍人たちは悪あがきはしないで美しい形で死んでゆこうとする。

死んで詫びるよりも、恥を忍んで生きて現実世界で責任を取れ!!

武器や兵器を作っても、殺傷能力という本質的な機能性よりも美的要素を重んじる。

重さで押し切る無骨な西洋の剣よりも、
鋭く切ることに徹する日本刀は
視覚的に圧倒的に美しい
ゼロ戦という防備を最低限にしたことで
最速で飛ぶことのできた最美の戦闘機も
芸術品のようにデザインとして最高に美しかった

日本人の人生観には独特の美学がある。

生き残ることよりも美しい死を選ぶ。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは封建江戸幕府鎖国時代の佐賀藩の思想家が書き残した武士の心構えを記した「葉隠」の言葉。

死ぬ気で生きるからこそ武士道。武士道とは泥に塗れて生き残ることなのでは

社会や組織に不和を引き起こしたのならば潔く死んでゆくのが最適だとする生き方は世界的には異常な思想です。

ちなみに主人公は最後の最後まで、令和の世まで生き残ります。

生きることこそが櫂直の使命なのでした。

2:歴史的人物として論じられる昭和天皇: 「昭和天皇物語」

今上天皇陛下の祖父であらせられる昭和天皇 (諱は裕仁ひとひと) は二十世紀史上、世界で最も知られた人物の一人です。

Emperor Showa またはHirohito として、多くの欧米人は彼の名を記憶しています。

当然ながら、世界で最も極端な毀誉褒貶に晒され続けた、太平洋戦争時の日本国元首として。

ある人は昭和天皇をヒトラー、ムッソリーニと同格の戦争犯罪者と見做し、また歴史を正しく深く認識する人は、その数奇なる運命ゆえに第二次大戦を終結させた世界史上最高の偉人とも悲劇の人とも呼ぶ。

最近でも歴史を知らぬウクライナのメディアはロシアのウクライナ人口が勃発した折に、ヒトラー、ムッソリーニと並べて昭和天皇を同格として世界に報道しました。

侵略者プーチンは昭和天皇のようなファシズム指導者、第二次大戦を始めた張本人たちに等しいというビデオをウクライナが発表したことを覚えていらっしゃる方は多いことでしょう (日本外務省の抗議を受けてウクライナは昭和天皇云々のプロパガンダは撤回、謝罪)。

ソーシャルメディアに駆け巡った日本ファシズムの象徴としての裕仁天皇
日本から遠い国ウクライナの歴史認識ってこの程度なのです
日本ファシズムは東條英機一人の責任でも全然ないので
非常にわかりにくいことは確かなのですが

歴史上の人物となった昭和天皇をどれほどに現代の日本人は知っているのでしょうか。

この意味でこの漫画 (昭和史研究で知られる半藤一利のノンフィクションが原作) は大変に貴重で昭和史に新たな光を当ててくれるものです。

昭和天皇のお人柄

さて、今では歴史的人物の昭和天皇なのですが、昭和生まれのわたしは小学生の頃にテレビで時々お言葉を発せられる、生前の昭和天皇の姿を何度も見る機会がありました。

側近が用意したであろう、小学生が理解するには難しい文章を読み上げる以外でわたしが覚えている晩年の天皇陛下のお言葉は

あっそう

あそうということも
つまりそうですか、そうなのですかという
相手を否定も肯定もしない言葉だけを述べられたのでした

でした。

昭和世代には親しい言葉(笑)。

陛下はご自分の意見を述べられるなどは一切なさらず、誰かの言葉に対してありがとうとも、ご苦労さまなどといつた労りの言葉を特に述べられることもなく、いつだって

あっそう

これ以外の言葉も喋られたはずですが、
小学生だったわたしは全く記憶していません

畏れ多いので、この言葉を表立って茶化したりする人はなかったと思いますが、子供だったわたしには、昭和天皇は「あっそう」の人でした。

昭和時代の公立学校は左翼思想を体現した日教組に思想的に支配されていて、極めて左翼的な思想で彩られた「はだしのゲン」全十冊が各教室の図書として備えられていました。

日本は戦争をした悪い国だという、いわゆる「自虐史観」が正しい歴史認識だと教えられていました。

子供のわたしは洗脳さながらにそういう教育を鵜呑みにしていて、昭和天皇はどうして敗戦の折に道義的に退位しなかったのかなどと訝ったものでした。

しかしながら、のちになって次のような事実を知りました。

敗戦後、昭和天皇は占領軍の首領であるダグラス・マッカーサーと会見した時に、命乞いはせずに、それどころか

敗戦の罪は全て私にある、私一人を罰して欲しい、私の臣下たちには何の罪もない

という趣旨のことを通訳を通じて伝えられて、マッカーサーは大変に驚き、会う前にはファシズム指導者として軽蔑していた昭和天皇にたいして逆に畏敬の念を抱くようになったのだそうです。

天皇制廃止が世界中で叫ばれる中で (実際に第一次大戦後に敗戦国ドイツやオーストリアの王室・帝室は消滅しました)、マッカーサー元帥は天皇制存続論者へと転じたのでした。

どんなに昭和天皇が嫌いな人でも否定できない歴史的事実です。

青年天皇の苦悩の物語

さて漫画ですが、上記のマッカーサーと昭和天皇との歴史的会見から始まります。

やがてそこから、昭和天皇の子供時代に遡り、昭和天皇の人格はいかにして作られていったのかが詳細に語られてゆくのです。

帝王学を授けられるために幼くして父母から遠ざけられて寂しい幼少期を過ごしたなど、普通の伝記文学としても非常に興味深いものです。

ご存知のように大正天皇は精神を患われていて、のちには皇太子だった若い昭和天皇が摂政になり、政務を行うほどなのでした。

でも大正天皇は優れた漢詩をたくさん残されて、とても庶民的だったなど、非常に面白いキャラクターをお持ちでした。

わたしが個人的にとても共感する人物です。

作品には、そんな大正天皇の精神の病弱ゆえの悲哀さも描写されていますが(どこか自閉症的)、やはり作品の骨子は帝王の孤独。

あまりに若くして天皇として即位する裕仁皇太子が主人公なのです。

時代は日露戦争からもう二十年も過ぎた時代で軍国日本がほぼ完成形を整えていたころ。

天皇とは軍部の傀儡のような存在。

憲法上、天皇は軍隊の最高指揮者。しかしながら実権は持ち得ていないし、政治に口出ししてはならない存在。

象徴と呼ばれるようになるのは戦後のことです。

若く聡明でありながらも、君臨すれども統治せずであるべきだとしても、昭和恐慌と軍部の暴走に対して、昭和天皇は若さゆえに感情をむき出しにして政治に口出しさえしてしまいます。

でもそれでも、力を極度に大きくして国政を牛耳ってゆく軍部に何もできないのです。

軍部の横暴に対して政治家が口出しすると、統帥権干犯として政治家は軍部から排除される。

軍の最高司令官は名目上は天皇なので、軍部を批判することは天皇を批判することと同じであるという屁理屈です。

そして軍の意向に従わないと、暴力で問答無用に消されてしまう。

軍は最高権力者のはずの天皇陛下には本当のことを伝えない。

日本帝国憲法では陸軍・海軍大臣が内閣から指名される必要があるのですが、大臣は予備役ではなく現役でないといけないという理由から軍部には好ましくない人物が大臣に指名されると、軍は人事権を悪用して大臣予定者を予備役にして組閣を妨害。

帝国憲法は矛盾だらけ。天皇機関説という考え方さえも唱えられる。

そうして、日本社会に根付きかけたばかりの立憲政治=デモクラシーは、白昼における首相暗殺、5・15事件や2・26事件などによって壊滅されてゆきます。

天皇は統治したくても憲法上許されず、軍部は天皇の統治を国民に謳って、統帥権を武器に傍若無人の振る舞いをやめることがないのです。

平民宰相と呼ばれた原敬
庶民から大変に期待されて
庶民出身として初めての首相になるも
彼らの期待に応えるにはあまりに時期尚早な
日本という未成熟な国を強引に牽引しようとした
無私無欲の政治家
座右の銘は「宝積」
聖書福音書の宝を天国に積みなさい
に通じる仏教の美しい思想
この言葉をこの漫画から学んで感動しました
原敬は暗殺されました
地上に宝を蓄えてはいけません
虫(蛾)や錆がだめにしてしまうし、盗賊がいつ忍びjこんで盗んでしまうかもしれません。
でも天に宝を蓄えなさい
そこでは虫や錆も宝物をだめにすることはないし、
盗賊たちも押し入って盗んでゆくことはありません
あなたの宝のあるところに、あなたの心もまたあるのですから
(マタイ福音書第6章19節から21節)

天皇新政を実現しようと陸軍青年将校たちが決起した2・26事件に対して、昭和天皇が大変に立腹したことはよく知られています。

天皇は敬われても、政治の道具として取り扱われているばかり。

決起した青年将校たちは昭和天皇の胸中など何も知らないし、忖度さえもしない。

作品はなおも連載中で、物語は波乱万丈。今後は物語のクライマックス、太平洋戦争へと突き進んでゆくはずです。

昭和の戦争の中核にいながらも無力であらざるを得なかった昭和天皇は、全く哀しい存在です。

石原莞爾と東条英機:日本の本質を象徴する二人

「アルキメデスの大戦」の主要人物である東條英機も本作に登場しますが、満州での石原いしわら莞爾との確執が未来に対して、とても示唆的です。

石原は事務天才の東條を思想のない人物として徹底的に軽蔑していますが、その東條はやがて陸軍大臣から内閣総理大臣へとなりあがるのです。

満州国というシステムを作り上げたほどにシステムを尊ぶ陸軍参謀の石原莞爾は東條の天敵。

東条は石原を遠ざけて、普遍的なシステムではなく、自分にとって忠実かどうかだけで人物を選ぶ組織のトップとして君臨するようになるのです。

石原は理論の天才かもしれませんが、人心掌握するカリスマ力に欠けていました。

日本人らしくない日本人。「アルキメデスの大戦」の櫂直は石原からインスパイアされたのでしょうね。

日本の組織とは人事が全て:ルールよりも個人の人徳

「昭和天皇物語」は、「アルキメデスの大戦」でも語られた同じ問題が天皇という雲上人の視点から物語られるのが魅力です。

昭和天皇もまた感情を持った人間なのだと改めて思い知らされます。

ルールよりも個人の感情で物事が動いてゆく日本社会の中で、天皇だけが感情に基づいて行動してはならないのだとすれば、天皇という存在はあまりにも理不尽なのです。

昭和天皇もまた、人格ある存在。

でも必要とされていたのは、天皇という国民が崇め上げる存在ばかり。

原作者の半藤一紀の昭和史は、天皇制廃止論や昭和天皇の戦争責任問題などを取り上げる人たちからはあまりに皇室寄りと大変に嫌われていますが、「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった無辜の民を騙していたと声高く叫ぶ「はだしのゲン」のような極左思想の作品を読むならば、昭和天皇もまた時代の犠牲者であり、憲法曲解を正当化した戦前日本の組織の歯車でしかなかったのだと主張する半藤の物語も読むべきでしょう。

天皇とは本来は祈る人。

そんな祭祀の人である天皇に軍服を着せてしまったのは明治維新。

日本の近代化の悲劇を一身に引き受けてしまったのは昭和天皇だったと言えるでしょうか。

昭和天皇の名の下にパールハーバーは空襲されて、昭和天皇の名の下に戦争後期には玉砕という美しい最期を飾った日本軍。

銃後の本土はやがて空襲されるも天皇の名の下に極度の耐久生活を強いられて滅亡寸前にまで至った日本。

「はだしのゲン」の天皇批判も下々の人たちが感じていた真実で、事実に基づいていないというわけではないし、半藤の描く誰よりも日本と日本国民のことをを想い憂う昭和天皇の苦悩と英断も本物なのです。

まとめ

二つの名作漫画から学べる昭和。

わたしには「セクシー田中さん」があぶりだした問題は、遠い昭和の昔から繰り返されてきた日本社会に根付いた日本文化特有の問題なのだなと思えてしまう。

契約違反を社会的に訴えて、醜く言い争うよりも、諦めてだまって美しく散ってゆく。

自分はもはや何もかたらずに、「ああそうですか」とただ受けとめる。

あっそう

という言葉はやはり日本的な美学が集約された言葉なのかもしれません。

でもこういう諦念で終わらせてはいけない問題に対して立ち向かわねばならないとき、何をすればいい?

日本社会は誰かが死なないと動き出さないとさえ言われている。

人の死を極端に貴ぶのも日本文化。

聖書文化圏では死者のことはあまり語られない。聖書にそう記されているから。生者は死者よりも大事と

でも日本文化はどこか違う。

もしそうだとするならば、太平洋戦争で死んでいった人を思い起こすことで、閉塞した令和の時代の我々もまた動き出すことができるのかもしれません。

昭和に生まれたわたしは、懐かしい昭和ではなく、歴史的研究の対象となった昭和史を考え直すことで、これからの自分の在り方生き方を模索してゆこうと思っています。

「あっそう」と全ての人の言葉を受け止めてしまうには若すぎる自分なのですから。

原敬の「宝積」と聖書の「天の宝」を思いつつ、戦後を生きた今は亡き昭和の人たちのことを偲び、これからを精いっぱい生きてゆきたいものです。

追記:


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