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ナポレオンとクラシック音楽(8): ナポレオンが愛唱した叙事詩人オシアン

ナポレオンが大変な読書家であったことはよく知られています。

歴史上、自ら皇帝と名乗った人物は何人もいるわけですが、生まれながらの皇帝ではなかった彼は、大変な勉強家だったのです。

肉体的に特別に強靭でもなく、軍人としては背が低かったナポレオンは(チビであったと言われていますが、常に周りを固めていた屈強なボディーガードたちが二メートル近い大男ばかりだったので、彼らに囲まれたナポレオンは余りにも小さく見えたのです。実際の身長は170㎝ほど)自身の欠点を知的武装することで補わんとしていたのだと、わたしは理解しています。

肉体的な問題、並びにフランス国内ではない辺境のコルシカ島出身という出自の劣等感こそがナポレオンをナポレオンたらしめたのです。

ナポレオンの図書館

自分のためだけの移動図書館を作り、戦場や遠征地に大量の本を運ばせました。

帝位についた後には、専属の図書館司書を雇い、本を管理させ、カタログを作らせました。そのような軍人皇帝はナポレオン以外にはいないでしょう。ローマ五賢帝マルクス・アウレリウスは戦場において執筆しましたが、ガリア人相手にあれほどに苦労したマルクス・アウレリウス帝には読書の時間まではなかったのでは。

第二次世界大戦中の米軍も、必ず移動図書館を持っていたことはよく知られています。第一次大戦における欧州戦線でも、米軍は病棟の負傷兵士に本を読ませました。

https://www.nationalww2museum.org/war/articles/world-war-ii-memoirs 

こうした戦場における読書の起源はナポレオンにあるのでしょうか。旧日本軍にこうした文化があったのかは寡聞にして知り得ませんが、戦場の読書は意味深いものです。「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる氏はニューギニアにまで、ゲーテの「エッカーマンとの対話」を携えていったのでした。

また日本の小説家、古川日出男氏の名作「アラビアの夜の種族」は現代版アラビアンナイトといった趣き。エジプト侵略を行うナポレオンの読書癖に付け入って、「災厄の書」をナポレオンに献上するとことで、エジプト遠征を破綻に陥れようという試み。ナポレオンの読書好きという点に着目した素晴らしい創作は注目に値します。読書好きのための書。

ナポレオンが読んだ数多くの本の内容は詳細に伝えられていて、実用書的な軍事に役立つ歴史書や地理の本、座右の書であったプルタークの英雄列伝、ルソーやヴォルテールにラシーヌ、英文学全集の仏訳も。エジプト遠征時には科学関係の書も多く携えています。

カナダ在住のナポレオン研究の歴史家として知られる方のサイトに詳細にナポレオンの読書について語られています。

ナポレオンの読書はローマ時代の古典が大半とはいえ、大変に広範なものです。当然ながら、どの時期にどのような本を読んでいたのかは変わるものですが、ホメロス同様に、十九世紀初頭の読書人を魅了した、伝説のケルト詩人のオシアンをも生涯愛読しました。

オシアンにインスパイアされた音楽

オシアンは日本の読書人にはあまり知られぬ存在ですが、十九世紀欧州のロマン派文化に大変な影響を与えました。

特にドイツにおいて、一大ブームを巻き起こしたのです。感化された若いゲーテは、オシアンを「ウェルテル」のクライマックスにさえ引用します。

影響を受けた文人には他にも、シラー、ヘルダー、シャトーブリアンやバイロンなどがいます。

十代のシューベルトも愛読してオシアンの詩に音楽をつけて優れた歌曲を書きあげました。

オシアンの物語の登場人物であるフィンガルが訪れたとされる洞窟は、十九世紀にはスコットランドの観光名所となり、メンデルスゾーンは彼の地を訪ねて、名作「フィンガルの洞窟」を書き上げるのです。

メンデルスゾーンを敬愛して私淑したデンマークの作曲家ニルス・ゲーゼ Nieles Gade (1817-1890) は、出世作「オシアンの余韻」序曲を作曲。ロマン派音楽そのものと呼んでいい深い幻想的な情景を醸し出す名作です。もっと演奏されて、聴かれるべき名作。

オシアンを語らずに、ナポレオン時代の文化は語れないのです。

ケルトの詩人オシアンとは

若きゲーテの書いた小説ウェルテル(1774) の終わり近く。ウェルテルは、アルベルトと結婚した最愛のシャルロッテのもとを訪れて、自身が英語からドイツ語に翻訳したオシアンの詩を読み上げます。読み終えて、感極まったウェルテルは人妻であるシャルロッテを抱きしめ、キスをして、その夜更けに自死。

悲劇的な情景を、拡張高い文語で感動的な劇詩として歌い上げるのがオシアン。ホメロスも同様です。口語体で書かれた平家物語が面白くないように、オシアンの悲愴美は文語体であるべき。難しいですが、よく味わって読めば、19世紀初頭に若者たちを魅了した文体の美しさと深い世界観が伝わってきます。ウェルテルからの引用。

ひとり波に洗われたる岩の上に、
我は我が娘の悲傷の声を聞けり。
その叫びは高くせつながりしも、
父は救うあたわざりき。
夜すがらわれはみぎわに立ちて、
弱き月の光の中にその姿を見、
その叫びを聞きしに、風すさまじく、
雨は山肌に強かりき。
その声は弱まり行きて、黎明を迎うる間もなく、息絶えぬ、
岩にうる草かげの夕風のごとくに。
悲しみを負いてダウラは逝けり。
遺りしはひとりアルミンのみ。
戦場の我が猛き力は失われぬ。
乙女らが中のわが誇りは失われぬ。
山にあらし吹き、北風に波高きとき、
鳴りひびく岸辺に座して、
われはおそろしき岩をながむ。
沈みゆく月のうち、
我が子らの亡霊を見ること、
幾そたびぞ。
わが子らは定かならぬ薄明のうちを悲しくもむつみ合いつつさまよい行くなり。

「若きウェルテルの悩み」高橋義孝訳より

この高名なオシアンは伝説上の吟遊詩人。

紀元3世紀ごろにスコットランドにいたとされるケルト王フィンガルの息子なのだと伝えられています。父王の物語を歌う才能ある王子という設定。

18世紀にスコットランドの詩人ジェームス・マクファーソン (1736-1796) が古代ゲール語から英語へと翻訳。英雄フィンガルの活躍と悲劇的運命はロマンティックな幻想に溢れる叙事詩は、新しく発見された、アイルランドの「ケルト民族のホメロス」であるかのように大流行。

ゲルマン民族の「ニーベルンゲンの歌」やフランスの「ローランの歌」に通じるものだと見做されたのです。

いつの時代にも英雄譚は愛されます。しかしながら、発表当初より偽作説が語られ、現代においては、その多くはマクファーソンによる創作であるとされています。日本においては岩波文庫に翻訳があります。

18世紀後半の革命の時代から十九世紀にかけては、時代の転換期ゆえに英雄が求められた時代でした。現代でもフィクションの主人公には、英雄的な人物がしばしば選ばれます。英雄像は時代ごとに異なっても、優れた勇気を持つ人物はいつだって好まれるものです。

人は偉大な人物に憧れます。そして悲劇的な人生を送るならば、英雄と呼ばれるのです。英雄の生涯を格調高く歌い上げるのが叙事詩。

精神を鼓舞する叙事詩はいつの時代にも需要があるものです。

現代のナポレオン

悲劇的な最期を迎えた英雄は後世にまで語り継がれてゆきますが、毀誉褒貶激しいナポレオンはいかにして現代では語り継がれているのでしょうか?

現代のナポレオン像を映し出す最良のポップソングがあります。

スウェーデンの人気グループABBAが発表した Waterloo (1974) には、ナポレオンのワーテルロー(英語ではウォータールー)における敗北と降伏が恋に落ちた若者になぞらえられます。恋に落ちて相手に夢中になることは

I surrender 

とよく表現されますが、そこにナポレオンの英国軍への投降と掛け合わせたのが人気の秘密。

ワーテルローの後、ナポレオンは南大西洋の孤島、英国領のセントヘレナ島に流刑となり、読書三昧に日々を過ごすのです。島で過ごした6年間で回想録を書き記し、やはりオシアンやホメロスやプルタークを読んだのです。

My, my
At Waterloo, Napoleon did surrender(ああ、ウォータールー
でナポレオンは降伏した)
Oh, yeah
And I have met my destiny in quite a similar way(そうさ、自分も運命の人に巡り合えた)
The history book on the shelf
Is always repeating itself(歴史は繰り返すって本棚の歴史書は書いてる)
Waterloo
I was defeated, you won the war(ウォータールーさ、自分は負けたよ、君の勝ちだ)
Waterloo
Promise to love you forever more(君のことを永遠にいつまでも大好きでいるよ)

Waterloo by ABBA (筆者による邦訳)

ナポレオンは本当の英雄になり損なったのか、こうしてポップソングになるほどに愛されているのか。

笑い飛ばされるほどに愛されていると言えるのでしょうか。

英雄賛歌の音楽

人はより優れた人になりたいという願望を誰でも持つものです。だから時に英雄を崇拝し、または崇拝した英雄が英雄らしさを失うとき、大変な失望を味わうのです。

ゲーゼやメンデルスゾーンの音楽を聴きながら、現代人があまり味わうことのない、ロマン派音楽の描き出す英雄への想いを懐かしく感じています。

遠い世界や偉大な人物に憧れることは素晴らしい。日常が退屈であるならば、非日常な世界を夢見たり、または平凡な毎日の繰り返される時間を特別なものへと変えてゆく原動力となり得るのかもしれません。

英雄賛歌に溢れた19世紀のロマン派音楽が愛され続ける所以なのかもしれません。

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