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友人が ほんとうに 伝えたかったこと




すごいね と褒めてもらえることがある

驚きを持って 伝えてくれているのに
どう受け取っていいのか 
わからなく なる時がある

そんな時 僕には
決まって聞こえている言葉がある

すごいね (わたしには できない)

この わたしには できない
という 括弧書きの中の言葉

そして 「わたし」は僕とは違う 
と線を引かれるような
さびしさを纏う言葉

この言葉が聞こえたような気がすると
すごいね を受け取れなくなる

だって もし 僕が

すごいねを 受け取ってしまうと
「できない」を 肯定することにも
なるからだ

「わたし」が 僕とは違うことを
認めることになるからだ

そんなのは 嫌だ

僕は 誰でも磨けば 
能力は付くと信じている

何もせず できるようになったわけではなく
時間をかけ 一生懸命 磨いたのだ

今回できたのは
それだけ 時間をかけたから

僕も 「わたし」と 同じ

だから 「わたし」も
時間をかければ できるはず

どうか 自分の可能性を
否定しないでほしい

そんな 否定したい気持ちが
湧きあがってくるのだ

時折 自分に起こる このことを
「すごいね」と 伝えてくれた友人と
深める時間が取れた

そこで 気がついたことがある

「すごいね」 と伝えてくれた友人は
何を「すごいね」と思っていたのか
という視点だ



僕は ずっと対象は「能力」だと
思い込んでいた

だからこそ あなたにもできますよ と
そういう気持ちが湧いてきた

しかし 友人は
すごいねの対象は 「姿勢」なのだと
教えてくれた

「能力」では ないのだ
一体 どういうことなのか


友人は 言葉を補ってくれた

やってみようという気持ちから
取り組み 「能力」を磨いてきた

褒めていたのは 
その「姿勢」なのだ

これは 受け取るのに 
時間のかかる 視点だった

確かに 僕の言う通り
時間をかけさえ すれば
誰にでも できることかなのかもしれない

誰にでも 身につく「能力」なのかもしれない

けれど

やらされることなく 自ら進んで 
取り組み続けること は
誰にでも できるとこではない

誰にでも できる「姿勢」ではない

そういうこと だったのだ

友人は 褒めてくれていたのは
僕の「姿勢」だったのだ



自分のことって ほんとうに
わからないことが 多い

僕は 無意識のうちに
褒め言葉の対象を
「能力」にしていたのだ

この体験は 
僕に1つの示唆を 与えてくれた

それは おそらく
僕は 僕の「姿勢」を 
「能力」ほど受け取れていないのだ

まだそこに
受け取る余地がある ということだ

もっと 自分の「姿勢」
大事にしよう

それはきっと 気持ちから始まる行動に 
もっと 身体を委ねることだ

そして そこにこそ 
価値があると信じることなのだ

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