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まな板

 今、私の目の前には二人の男女が歩いている。
若い二人だが、見たところ恋人同士というわけではなさそうだ。

 夜の0時、練馬の駅前には自宅に帰りたくないと駄々をこねているサラリーマンで溢れていた。まだまだ賑やかだ。

 「俺、まな板持ってないのさ」
 「うん」

 前を歩く二人の会話に耳を傾ける。

 「まな板、要らないんだよね」
 「うん」

 何なのだろうこの会話は。それに二人共全く楽しそうに話さない。更に興味をそそられたのでしっかりと聞き耳を立てる。

 「まな板って、使わないよね」
 「使うよ」
 「そうかな」
 「うん。使う」

 夜の0時、どこに行くでもなくふらついている様子の男女の会話にしては、情緒があるなあと感じる。
 それから二人はしばらく黙っていたが、少しして男はぽつりとつぶやく。

 「納豆」

 この男は話下手なのだろうか。
 脈絡の無さに横にいる女と同じように僕は驚いた。

 「え?」
 「納豆に葱、入れる?」
 「入れない」
 「そっか。小葱、入れるとおいしいよ」
 「そうなんだ」

 あまりにも盛り上がりに欠ける会話だった。
 何故か面白くなってきてしまい、マスクの下で一人笑ってしまう。

 「小葱をね」
 「ん?」
 「小葱」
 「ああ、うん」
 「刻む時」
 「うん」
 「小葱を刻む時だけ、まな板が欲しい」

 話がまな板に繋がった。この男は全く関係のない話をしていたわけではないようだ。話下手なのは変わりないが。

 「そうなんだ」
 「でもね」
 「うん」
 「スーパーに、既に刻んであるタイプの小葱、売ってるじゃない」
 「あるね」
 「普段はあれを買うから、大丈夫だけどね」

 この時の私の気持ちを言葉で表現するのは難しい。
 横にいる女がこの時どう思ったのかは分からないが、似たような気持ちなのではないだろうか。全く関係は無いように思うし因果があるかどうかも良く分からないが、今日は帰ったら、早めに寝ようと思った。

 二人とは繁華街の通りを抜けたところで別れる。

 二度と会う事も無いだろう。


著/がるあん
挿絵/ヨツベ

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