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第1話 スーパーマリオコレクション

 恐らく、寮内で未だに起きているのは私と嶋先輩の二人だけだろう。

 寮前の大通りですら交通量もまばらになってくる深夜。
 私はある種の怪物と闘っていた。何の怪物かと問われれば、「居座りモンスター」とでも答えるのが妥当だろう。或いは「地縛霊」。
 
 ここに越してきてすぐの頃、私は隣部屋の嶋先輩にさっそく目を付けられた。よくよく考えればこの時期に滑り込みでこんなに良い部屋が空くという事実に対し、私はもっと深く思慮すべきだった。
 この部屋の前任者は、嶋先輩の居座り攻撃に耐えられず、精神的にやられてしまって逃げたのだろうと私は仮定している。
 
 先輩は意味も無く私の部屋にやってきて、とにかく毎日、夜更け過ぎまでスーパーマリオをプレイする。
 それも最近流行っている最新機種のマリオではない。
 暇つぶしになるかと実家から持ってきたスーパーファミコン、件のソフトはスーパーマリオコレクション。置いてくるべきだったと今なら後悔も出来るが、そんなものはどこまで悔やんでも仕方が無い。
 当時の私が今の状況を予測出来るとしたら、それこそマリオのように何度も死んで覚えた後でもなければ不可能だっただろう。

 こうして毎夜嶋先輩がこの部屋に居座るようになって、既に二カ月は経っている。この人が二カ月間、私の部屋で何をしているのかと問われれば、先述の通り、スーパーマリオコレクションというゲームのみなのである。
 既に内蔵されるゲームのすべてを遊びつくしている筈だ。隣で飽きる程先輩のプレイを見てきたけれど、私自身は頭痛がしてくる程にどのステージも見飽きてしまったのだから。嶋先輩を相手取っては、クッパ大王も不憫でならない。永久に飽きないプレイヤーを前に、倒され続ける煉獄である。南無三。

 「うんにゃ、それが違うのだよ」
 「先輩、帰ってください。もう0時回ってます」
 こうしたやり取りを繰り返す中で、私達の間には何十分も前から凄然とした冷たい空気が満ちている筈である。私はそうなるように努めている。
 しかしその空気を感じ取れているのはどうやら私だけらしい。先輩は平気な顔でゲソをチビチビと舐めながら、都合の悪い記憶だけを消去し続ける。

 「うらちゃん、スーパーマリオコレクションには、何本のソフトが内臓されているのか知っているかね」
 当時といっても、スーパーマリオの歴史は長い。
 スーパーマリオコレクションはファミコン十周年を記念して発売された任天堂のゲームソフトだが、その時点でスーパーマリオは1から3まで、そして海外向けに発売されていたスーパーマリオUSAも含めて、グラフィックを一新、リメイクされた四作品が収録されている。
 「大正解。流石うらちゃん」
 「んなことはどうでも良いんです」

 先輩はゲソの足を思い切り歯で食いちぎると、遂にその場で横になり始めた。このまま放置し続けると、発泡酒を飲み切っておかわりに手を付けかねない。そうなれば明日の私はまた、この人のせいで一限を欠席する羽目になりかねない。

 「私はサ、エンターテイメントが人に与える幸福について、このゲームで遊ぶ度に痛感するんだよ。まず四本のタイトルから好きなものを選べる。この時点で最高だ。普通ゲームは一本かったら一本しか遊べない。このソフトならクリアしたとしても、また次のタイトルで遊べば良い」
 「その話を聞くの、十五回目くらいです」
 話を聞かない先輩は、尚も続ける。
 「問題は四本全部クリアしてしまった時だよね。私も先日初めてその状態に陥って、流石に絶望したよ。明日から何を糧に生きていけばいいんだ!って」
 「私の部屋は最初から糧にしないでくださいよ」
 「だけどねうらちゃん」
 先輩はポーズボタンを押しゲー画面を一時停止させ、上半身をぐるりとこちらに向ける。ゲソを持ったままの手を握り、私を指さした。
 「惰性で次のタイトルをプレイし始めて気付いたんだ。まさかと思ったけど、何と四本前にプレイしたソフトの内容を、私はまるで覚えていなかったんだ!」

 決めポーズで言いたい事を言い終わると、先輩はまた寝ぼけ顔で正面へ向き直り、ゲームを再開した。
 下らない理由で時間を止められていたピーチ姫に申し訳が立たない。現在先輩がプレイしているのはスーパーマリオUSA。マリオとルイージ以外にピノキオとピーチ姫もプレイヤーに選べる、マリオシリーズとしては異色作の―ではなくて。

 「私とってこれは僥倖だったよ。どうやら私は三本分のゲームの記憶しか残らないらしいのだ。四本前に遊んだゲームの記憶は消去されちゃうんだね。つまりどういうことかというとね。ことスーパーマリオコレクションに関して言えば、私は常に新鮮な気持ちでプレイし続けることが可能なんだよ。何せこのゲームは四本入り。1,2,3、USAと遊びつくしたら、また1を始めれば良い」
 「それは先輩がアホだからですか」
 「―うらちゃん。いくら私がのれんに腕押し、馬の耳に念仏だからといって、何も聞いてない訳じゃないんだよ。そこまで言われたら流石の私でも傷付く」
 「それじゃ先輩は、一生このゲームで遊んでいるつもりですか」
 「そう!―と、言いたいところだけどね。私はサ、更に気付いちゃったんだ」
 「何ですか」
 「人間の記憶はゲームのセーブデータ程単純には出来ていないらしいんだよ。忘れているつもりの四本前の記憶が、この頃頻発して私の脳内で再生されるんだよね。ここは危ないからジャンプとか、よく失敗するポイントだから気を付けろとか、一種のデジャヴだね」
 「デジャヴじゃなくて、ただの反復学習です」
 「それに気付いてからというもの、私は無性に虚しくなってしまったんだ。悲しい生き物だよ。人類は何故最新のエンターテイメントを生産し続けなければならないのか、私はその答えの一端を見た。人は常に未知を求めているんだってね。だからどんなに面白くて完璧な映画だろうが、ゲームだろうが、小説だろうがね、いつかは味が薄くなってしまうものなんだ。私が噛み続けているゲソのように」
 先輩はテレビ画面を注視したまま、ゲソを持った手だけをこちらに向けてヒラヒラと振った。

 「そうじゃなくて―」
 「そうなんだよ。だけどそれも考えてみれば、絶望する程の問題でも無い」
 話は遮られるわ、全く暴力的に納得されるわで私は激しいストレスに苛まれた。この人に付き合っていたら、私まで同じように留年してしまう。先輩と一緒に永遠、スーパーマリオコレクションをプレイする煉獄を想像し、私は堪らず身震いした。

 「人類が抱える大きな共通問題、退屈に対して抵抗しようというエンタメの世界は本当に素晴らしいよ。私がこのゲームに飽きようが、まだまだ世界には消費しきれない程の娯楽が満ちているんだ!」

 先輩は再びゲーム画面をポーズに切り替え、私の方へ体を転がす。
 「うらちゃん、だから私は新しいゲームが欲しい」
 ごろんと横たわり上目遣いに私を見上げる先輩。何かをねだる子供のような仕草から、どうやら私は恫喝されているらしいと悟る。その程度では全く私の心は動かない。大体先輩のこんな仕草を見ても、全く愛らしいとは思えない。
 「なんだよー!仕方ない」
 先輩は散らかした部屋を片付ける素振りなど全く見せずに、そのまままっすぐ私の部屋を出ていった。帰らない時はテコでも動かない癖に、こうした時は肩透かしを食らったみたいにあっけなく帰ってしまう。つかみどころが無い、煙のような人だ。掴もうと足掻けば足掻く程、無駄にエネルギーを消耗する事になる。

 残されたのは私と、散らかった部屋。嶋先輩など初めから部屋に訪れていなかったのではないかと疑う程の静寂。揺れる蛍光灯の釣り紐。耳に入るのは冷蔵庫の静かなファンの音だけ。

 助かった。
 これなら明日は何とか遅刻を免れそうだ。帰ってくれさえすれば、部屋などどうとでもなる。私はなるべくポーズ中のゲーム画面を見ないように、ゲームのスイッチを切った。
 私も好きなゲームだから、見たらきっと続きがやりたくなってしまう。
 先輩が帰った事で訪れた静けさが、ほんの少し心をざわつかせていたのが何とも不服で、私は思考に蓋をした。

 どうやら私自身、まだ嶋先輩から味を感じているらしいなどという発想は、少しでも早く打ち消したかった。
 あの人は全く持って、とにかく迷惑なだけの先輩なのである。
 


著/がるあん
挿絵/ヨツベ

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