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『82年生まれ、キム・ジヨン』を、「92年生まれ、スミス」が読んで。

 最後の最後まで、つらかった。読み終わった直後は、本の帯にある「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書。」という松田青子さんのコメントに共感もできなかった。「絶望だらけじゃないか」、と。それから、60年代生まれの自分の母や伯母たち、30年代生まれの祖母たちに思いを馳せた。彼女たちはどんな時代を生き抜いてきたのだろうか。もし振り返る機会があれば、これまではどんな人生だったと答えるだろうか、と。この本は「82年生まれのキム・ジヨン」だけの物語ではない。これまで生きてきた女性全員の、そしてその女性とともに生きてきた男性の物語と地続きにあるのだ。

どんな物語なのか

 この本の出版社である筑摩書房のWEBサイトより引用すると、下記の通り。キム・ジヨンというひとりの女性の人生をあぶり出すことで、様々な「問題」が浮き彫りになる。

キム・ジヨン氏は今年で三十三歳になる。三年前に結婚し、去年、女の子を出産した。ある日突然、自分の母親や友人の人格が憑依したかの様子のキム・ジヨン。誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児……彼女の人生を克明に振り返る中で、女性の人生に立ちはだかるものが浮かびあがる。
「『82年生まれ、キム・ジヨン』は変わった小説だ。一人の患者のカルテという形で展開された、一冊まるごと問題提起の書である。カルテではあるが、処方箋はない。そのことがかえって、読者に強く思考を促す。 小説らしくない小説だともいえる。文芸とジャーナリズムの両方に足をつけている点が特徴だ。きわめてリーダブルな文体、等身大のヒロイン、ごく身近なエピソード。統計数値や歴史的背景の説明が挿入されて副読本のようでもある。」
(訳者あとがきより)


時代は少しずつ変化する。

 82年生まれのキム・ジヨンを主人公とする本作であるから、主に彼女の生きてきた時代を描いている。ただ、この物語では彼女の姉や母、祖母についても言及される。下記に、彼女たちのプロフィールをまとめてみた。

キム・ジヨン
82年、ソウルにて公務員の父と専業主婦ながら商才を持つ母の元に生まれる。大卒(「SKY」と称される韓国の名門大学3校以外の出身)。
2歳上の姉と5歳下の弟を持つ3きょうだいの次女。中堅IT企業に勤める3歳上の夫とは3年前に結婚。夫からの提案により子どもを授かり、1年前に第一子である娘を出産。
大学を卒業後は難航の末、小さな広告代理店に入社。上司や同期に恵まれ仕事にやりがいも感じていたが、妊娠をきっかけに仕事を辞め、現在は専業主婦。性格は控えめでおとなしい。幼少の頃から違和感を覚えていた「男性と比べた時の女性の生きづらさ」や出産・育児による疲れから心の病を発症。他人の人格が憑依するようになる。

キム・ウニョン
80年生まれ。ジヨンの姉。
母と一悶着ありながらも教育大学へ進学。その後は教師として勤務する。
ジヨンと同様、女性の生きづらさを感じている。しかしジヨンに比べ、言いたいことははっきりと言う強気な性格。

オ・ミスク
ジヨンの母(韓国では結婚しても名字を変更しない)。
公務員の夫(ジヨンの父)、3人の子ども、姑(ジヨンの祖母)と暮らす。家事全般を引き受け、現金収入を得る仕事も行う。不景気の煽りを受け早期退職した夫をけしかけ、様々な事業にも手を伸ばす。家族の影の大黒柱。
子どもの頃は教師になる夢を持っていたが諦めた。姉とともに2人の兄、1人の弟を学費を稼ぐため、14歳で出稼ぎへ。男兄弟の学費を稼ぐことは、「あの頃の女の子の普通」だと思い、過酷な環境で働き続ける(のちに夜間中学に通い、高卒資格を取得する)。
結婚後、周囲(特に姑)から「男児を産め」という圧力をかけられるが、生まれた第一子、第二子ともに女児。続く第三子も妊娠中に女児であることが判明し、苦難の末、人工妊娠中絶に踏み切った過去がある。四子目でようやく男児を授かる。

コ・スンブン
ジヨンの祖母でミスクの姑。
家族を扶養する能力も意思もまったくなかった夫の代わりに仕事をし、その上家事もすべて行い、4人の息子を育てあげる。夫は一切彼女を手伝わなかったが、「女遊びをせず、妻を殴らないだけでも大したものだ、これならいい夫だと本気で思っていた」。
三男のジヨンの父の家に住み、いい暮らしができているのは、「男の子を4人も育てたからだ」という謎理論を展開している。
また、孫に関してはジヨンの弟を「男の子だから」と最も大切に扱い、ジヨンと姉には異なる態度を示す。

 どうだろうか? 親娘3世代を見てみると、少しながら見えてくるものはないだろうか? コ・スンブンの時代から、オ・ミスクの時代、そしてキム・ジヨンやウニョンの時代。少しずつ、女性のしがらみが解きほぐされてはいないだろうか? こう読み解けば、本の帯にあった「女性たちの絶望が詰まったこの本は、未来に向かうための希望の書」にも納得がいく。

 夫が稼ぐ能力や一家を養う気を持っていなくても、「女遊びをせず、暴力を振るわない」からそれで良しとした祖母。男兄弟を進学させることを「女の子の普通」とし、自分の進学や夢は諦めざるを得なかった母。大学まで通い、共働きも経験したキム・ジヨンと比較すれば、もっとずっと不自由だったと言えるだろう。祖母や母、彼女らと同世代の女性がその「不自由」を良しとしなかったために、微々たるものかもしれないが、時代の様相は確実に良い方向に変化している。

 ただ、キム・ジヨンが抱える(そして私たちも日々感じるところのある)「現在の女性の生きづらさ」も、決して見逃されて良い問題ではない。私たち-キム・ジヨンや私と同世代の女性-も手を取り合い、しっかりと前を向いて闘わねばならない。祖母や母、その同志たちが切り開いた自由をここで閉じるわけにはいかないのだ。キム・ジヨンの娘のためにも。いまを生きる10代のうら若き乙女たちや、未来の子どもたちのためにも。ひいては男性の自由のためにも。


どんな言葉と生きていくか

 どんなに私たちが手を取り合っても、風向きが強く折れそうになることもあるだろう。そんな時に思い出したい言葉を本書から紹介したい(独断と偏見による)。

「がんだって治すし、心臓も移植する世の中なのに、生理痛の薬もないなんて何さ。子宮が薬でおかしくなったら大変だとでも思ってるのかな。ここを、ものすごい聖域みたいに思ってるんじゃないの」
(P56,キム・ウニョン)

 これを読んだ時、とてもスカッとした。生理痛でうずくまっているジヨンに、姉のウニョンがかけた言葉である。だれかが「子宮を聖域」だと思っていたとしても、私たちには、自分の体のことは自分で決める権利がある。

「おかゆ屋も私がやろうって言ったんだし、このマンションだって私が買ったんだ。子どもらは自分たちでちゃんと考えてここまでになったんだし。あなたの人生、これなら成功ってのはその通りだけど、全部があなたの手柄じゃないんだから、私と子どもたちに感謝してよね」
(P81,オ・ミスク)

 会社の早期退職組の中で自分が最も成功しており、みんなから羨ましがられた!と自画自賛する夫に、ジヨンの母が言った言葉だ。これに夫は、「半分は母さんのおかげだ!」と返すのだけれど、「半分とは呆れたわね、少なくとも七対三でしょ? 私が七、あなたが三」とまたもピシャリと言ってのける。母ちゃん強しである。

「いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?」
(P98,オ・ミスク)

 こちらもまたオ・ミスクのセリフだ。卒業2日前になっても就職先が決まらないジヨンに対し、父は「おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け」と何の気なしに口にする。その言葉に、母はキレッキレにキレる。ここでミスク氏が「そうだ」と古い考えの父に同調してしまえば、ジヨンはしなしなになっていたかもしれない。「娘には自分と同じ不自由を味わわせたくない」という、母の強い思いを感じる。

「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていう社会的ネットワークも、今までの計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけど、あなたは何を失うの?」
(P129,キム・ジヨン)

 「子どもを持とう」とあまりにも気軽に言う夫への、ジヨンのセリフだ。痛いほどの共感を覚え、「よくぞ言ってくれた!」と思った。私は26歳の未婚なのでジヨンほど切羽詰まってはいないが、自分の人生を考えた時に「子どもを持つことはありえない」という考えにいつもたどり着く。なぜならやはり、自分の何かを失う可能性が非常に高いからだ。どうすれば「極力何も失わずに済むだろうか」を考えると、何から変えていけば良いのかと、ことの大きさにクラクラしてしまう。そんな「クラクラ」がぎゅっと詰まっている言葉だ。

「家庭があることも両親がいることも、そんなしわざを許す理由ではなく、そんなことをしてはいけない理由ですよ。社長の考え方から変えていただかないと、そんな価値観でずっと社会を渡っていったら、今回は運良く逃げきれても、似たようなことがまた起きます。今までにセクハラ予防教育をまともに実施してこなかったことはご存知じゃないですか?」
(P150,キム・ウンシル)

 どこかの石碑に刻んでほしいセリフNo.1だ。ジヨンの上司である女性課長が男性社長に物申したこの勇気に、全力で拍手を贈りたい。女性がセクハラや性犯罪に巻き込まれた時、この社長のように「女性が告発することで男性の立場が危ぶまれる」と言う人があまりにも多いが、それは私たちが「黙らなければならない」理由にはならないのだ。

最後に

 「最後の最後までつらかった」という、冒頭に書いた気持ちは本当だ。でも、川の中の砂金くらいではあるけれど、「希望」を見出すこともできた。そしてなによりの希望は、この本を通して「仲間」を探すことができる点ではないだろうか。次の世代が私たちよりも「自由」になるために手を取り合える仲間。きっとたくさんいるに越したことはない。

 先ほどリンクを貼った公式サイトには、様々な年代の様々な100人からの声が集まっている。見られるのは肯定的な声だけではないが、これを読むだけでも勇気が湧く気がしないだろうか。

 次世代の希望のために、私たちができることを、ひとつひとつやっていこう。


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