スピリチュアル研究所【Spiritual Institute】

思うままに気づいたこと、浮かんだことなどを綴っています/ 影響を受けてきた存在/ …

スピリチュアル研究所【Spiritual Institute】

思うままに気づいたこと、浮かんだことなどを綴っています/ 影響を受けてきた存在/ 並木良和さん/ 苫米地英人さん/ バシャール/ エイブラハム/ ジル・ボルト・テイラーさん/ ネドじゅんさん/ 108さん/ …など

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スピリチュアル基礎の基礎

私が最初に腑に落としたかった3つ①エゴ・自我・左脳意識・思考・肉体意識・ネガティブ感情…などは「私」ではなーい! ずーっと思考でなんとかしようともがいていた。 よくスピリチュアルリーダーさんたちが言ってくれていたことなんだけど。 がっつり左脳と一体化していた私には「そうなんだ~…?」という感じでわかっていなかった。 しかし、ここを腑に落とさないまま進んでいくとイバラの道になる。 ソトの世界からもビシバシされていると感じているのに(現実がツライという受け取り方をしている

    • ネガティブ返却ワーク

      オリジナルの統合ワークです。 私は並木さんの発信で初めて統合という概念に出会い、教えて下さる色々なワークも試してみましたが、私にはむずかしかったというかしっくりきませんでした。 最初は頑張って、どこそこに立って、エネルギーをどうしてこうして…というようなイメージ力のようなものを使うワークをやってみましたが、あるときとても苦痛になっていることに気づきました。 そしてやらなくなっていきました。 統合ワーク(ネガティブを感じたら手放すワーク・リリース・浄化・クレンジング…など

      • 受取りの練習

        寄付とかは平気でできるのに、無償で何かをありがたくいただくということがとても苦手 とても親しい間柄でも、ありがたくいただくことはできるが必ず、いつ・何をお返ししようかと思考を巡らせてしまう 何か借金でもして早く完済したい、という感じで… ありがたく笑顔で豊かさを受け取る練習をしたい 経過 ・2024/2/24 公開

        • 現象界の正しいすごしかた

          上の記事を前提で まず欠乏眼鏡を装着している自覚をもつ ↓ 愛の欠如 体験 ネガティブ体験 ネガティブ観念・感情 発生 ↓ 思いだす ・すべては愛(光)である ・このネガティブは疑似体験(まぼろし・ウソ)である ↓ ・そのネガティブからどういう欠如を設定していたか認識 例) お金の不安→無限の豊かさの欠如 自己否定・自己嫌悪・無価値観→すばらしい自分の欠如 雑に扱われた→すべてから愛される自分 ↓ それらはすべて本当は持っていると自覚 ネガティブフィルターを見破り、その裏に

          すべてある

          エゴ・左脳の眼鏡 これをかけると愛の欠如が疑似体験できる 願い・望みは愛の欠如が起因で発露 すべてある(愛) ↓ エゴ・左脳の眼鏡装着 ↓ 愛の欠如体験 ↓ 欠乏感 ↓ 願い・望み発生 ↓ 羨望・渇望・どうせかなわないという苦しみ ↓ その苦しみやあきらめたくても捨てきれない望みを抱きながらもがく 欠乏眼鏡の何を欠乏体験するかは、生まれる前に決めている箇所もあるし、誕生後の環境・体験などで培う箇所もある。 私の欠乏眼鏡 ・お金 ・美 ・自己肯定感 などなど… 自分

          オールOK! ただし…

          以前の私は…覚醒 悟り 右脳回帰 意識の反転 認識変更 楽になりたくて、こういったものを切望してスピリチュアルを学んできて私が陥っていたおそろしい落とし穴 自分の観念や感情などを理想どおりにコントロールしようとしていた! 当然ぜんぜん心地よくなかった 窮屈だった すっごくしんどかった こうあるべき あ、いけないいけない… また○○してしまってた なんで変わらないの 今思えばエゴの視点でエゴをどうにか調教しようとしていた エゴには力はないのに… 完全に無理ゲーに挑んで

          地球という場

          万物の源である愛 その愛を認識するため、愛の対極・愛の欠乏を疑似体験できる場。 愛の相対的なものを作り出すことで絶対的な愛を確認できる。 疑似体験なのであくまでその愛の対極・愛の欠乏はまぼろし。 愛しか存在しない。 愛の欠乏を体験できるテクノロジーを搭載した装置が肉体。 その中でも主に左脳。 意識を小さく分割し、分離・相対性で認知できる。 しかしその小さな意識で愛の対極・欠乏だと感じている、例えば欠乏感・無価値観・罪悪感などはすべて本当のところは愛(光)である。 そ

          人工地震技術

          人工地震技術がすでにあるとして。 それならば、それを利用できないかとふと思った。 イメージとしてはスキー場などの雪崩対策のような感じ。 雪崩が起きそうなところへあらかじめ何らかの刺激を与えて崩しておく。 そのようなことが大地震が予測されているところで、人工地震技術を利用することで可能にできないだろうか? 大難を小難に。 大きなエネルギーがたまっているところを、一気に解放するのではなく、小出しに何回かに分けて解放する。 大地震1回ではなく、小~中規模地震を何回か誘

          左脳意識を脱ぐには

          左脳意識(個としての意識)とは、ずばり名前だと思う。 だから左脳意識を脱ぐには○○(フルネーム)という地球人をやめること。 もちろん死ぬことではない。 生まれる前の意識を思い出そうとしてみる。 わからなくてもいいので。 なんとなくその感覚をおぼえておく。 そして○○(フルネーム)としての意識からそちらへ切り替える。 左脳意識が完全に消えることはないかもしれないが、そこらか脱出することで左脳の動きを俯瞰できる。 不滅の意識の場所から○○(フルネーム)を体験しているとい

          ゲームにプレイヤーはいない(箱庭)

          アバターとクリエイター この2つがあるだけ。 クリエイターは「本当の私」 あるいは私の本体・ハイヤーセルフ・魂… そういう意識 アバターは「左脳意識」 今の時代、エゴである私は肉体に入りながら、どちらの意識にするか選べるようになっている。 クリエイター意識になると、高次存在が自身を投影して創ったゲーム世界とアバターなので 「すべては完璧だ」 「すべてが愛だ」 「すべてがある」 と感じられる。 本当の自身との共鳴を感じる。 まあプレイヤーがいないゲームというのは、別の

          ゲームにプレイヤーはいない(箱庭)

          「現実」に対する認識

          現実はガチガチにかたまっていて、自分にはどうしようもないもの。 そういう認識を変えたいとき。 本当は現実は柔らかくて粘土のよう、水のよう、雲のよう…と認識変更したいときに、左脳VR装置から抜けた方々が書いてくださっている本を読んだりするのもよいと思うが、下の動画を見ると心の表層だけでなく深いとこ ろまで効いている気がする。

          自覚し開き直る

          肉体に入っている間は、生きている間は、小さな小さな意識である。 とても限られた周波数帯しか感知できない状態である。 これを自覚し、開き直る。 いくら左脳意識から右脳意識へ切り替えられて意識が拡大したとしても、肉体に入っている間は制限がある。 左脳意識は、本体さん・生命さん(ハイヤーセルフ・宇宙)などと断絶されていると思い込み、それらの存在を忘れ、左脳意識自身が私のすべてだと倒錯し、自身と分離させた世界とファイティングポーズをとって対峙している意識。 そう、小さな小さな意

          蛇と林檎

          ヒトの本質から左脳によって切り取られ分離された小さな意識、つまり左脳優位な意識への好奇心が蛇であり、分離された「個」としての意識が林檎なのではないか。 となると分離最初に生み出されたものは、罪悪感でも無価値観でもなく「恥」? あるいは羞恥心はあらゆる分離意識の象徴として表現されているだけか。 楽園から追い出されたと表現されていることが指し示すのは、ジルボルトテイラー博士がおっしゃる「ラ・ラ・ランド(今ココ幸福感しかない意識)」を感じられなくなった状態。 リリンやあらゆる

          自愛と芸術作品

          今、自愛中心に書かれている本を拝読している。 自分の価値は社会的仮面(ペルソナ)の部分にあると思っている人が多いけどちがいますよと。 あなたは、何を失おうが何を得ようが価値は変わりません。 絶対的な価値があるのです。 というような内容。 「Do・Be・Have」のBeが大切ということ。 そしてみんなの個性を色でイメージしている箇所がある。 今までの経験などで、いろいろな色が入っていてまじりあってその人の今の色になっている。 こんなかんじ。 それで私は、全員が源の芸

          今の私の世界観

          構成する意識左脳 本体から小さく意識を切り取り、自身が本体だということを忘れ その小さな意識を体験するためのVR装置。 小さな意識を疑似体験することで自身である世界に没入体験できる。 本体(右脳) 私の本体。 右脳は本体へのパイプ。 人類・生命・地球意識(腑脳) 本体の集合体 腑脳は人類意識へのパイプ。 私(エゴ) 左脳意識とはまた別。 「私」と思っていたモノから肉体・感情・思考を取り除いて残る真っ白な静寂の何か。 選択し、選択したものを味わう存在。 ネガティ

          創造主・解放感・サレンダー

          まず、創造主の意識この解釈について。 左脳は「自分が頑張らねば誰がやる!」というところがあるので、創造主と聞くと「そうか! では、創造するためにコレをやってアレをああして…」と○○しようと力んでしまう。 左脳と肉体で創造しようとしはじめる。 そうではない。 本当は「選択者」の意識で今ココにくつろいでいればよいのだ。 「コレやってアレをああして…」を手放す。 創造するのは左脳とは別の領域、本体さん、ハイヤーセルフなどへまかせる。 私は自身の宇宙に何を採用するかを、子供のよ