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ゲームにプレイヤーはいない(箱庭)

アバターとクリエイター
この2つがあるだけ。

クリエイターは「本当の私」
あるいは私の本体・ハイヤーセルフ・魂…
そういう意識

アバターは「左脳意識」

今の時代、エゴである私は肉体に入りながら、どちらの意識にするか選べるようになっている。

クリエイター意識になると、高次存在が自身を投影して創ったゲーム世界とアバターなので
「すべては完璧だ」
「すべてが愛だ」
「すべてがある」
と感じられる。
本当の自身との共鳴を感じる。

まあプレイヤーがいないゲームというのは、別のたとえをすると「箱庭」なのかもしれない。

大人がたくさんのバリエーションの大箱庭を創り(パラレル宇宙)
子供が好きな大箱庭を選び、その中に小さな箱庭を創る(パラレル地球)
各箱庭は、近しいもの同士は共鳴しホログラフィック的に重なり合い影響しあう。

そしてその中に自身を模したアバターを置き、箱庭を創った本人だということを忘れてその中に入り込み箱庭を体験する。


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