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男性が育児参加する本当のメリットは何か

私は昨年4月に育休を取得し、今年5月に復職する予定である。noteで振り返りをしてみたら?と妻に言われたが、育児の記録自体は子供が生まれた時からつけているので、育休を通して分かったことを書こうと思う。

子供が生まれた2020年は男性の育休元年と言われるが、男性の育休取得率や取得日数は依然として低い。そうした中で男性が育休をとるのは、妻のサポートのためにあるものと考えられている、と私は感じている。

しかし私は育休の期間を通して、男性が育児参加することがどのように子供のためになるのかと考えた時には、妻のサポートは間接的なことに過ぎないと思うようになった。結論から言えば、男性が育児に参加する本当のメリットは、子供に向ける夫婦両方の視点を確保できることである。
どういうことか、説明していこう。

例えば、赤ちゃんが泣いているとする。泣いている理由は何だろうか。その予想は、夫婦とも同じとは限らない。もし妻が1人で追い詰められていれば、そもそも正常な判断ができない可能性がある。その意味で妻に対するサポートは重要だが、もし正常な判断ができたとしても、1人では意見を言い合うことができない。私たち夫婦は「これは寂しい時の泣きじゃないか」「便秘ぎみなのではないか」などと言い合い、見分け方を学習していった。

妻と夫は違う人間である。違う人間が子供を見れば、違う着眼点で子供の観察を行える。将棋の藤井聡太プロも受けたことで知られるモンテッソーリ教育では、子供の敏感期なるものを重要視する。敏感期とは、何かに対して「とてつもないこだわり」を持ち、急激に特定の能力が育つ時期のことである。以下の記事から引用する。

子どもは0歳から6歳までに、さまざまな敏感期があります。例えば、物の位置や順序などにこだわりをもつ「秩序の敏感期」は生後6ヶ月〜3歳前後、数を数えることに興味を持つ「数の敏感期」は3歳〜6歳、生き物、地理や歴史に興味をもつ「文化の敏感期」は4歳〜6歳など。事柄によってあらわれる時期・期間は違います。

子供が何かをマスターしたいと夢中になっている時に、親がそれに気づいて適切に環境を整えてあげられるか、そんなこだわりは異常だからやめなさいと制するのか、両者には天と地の差がある。モンテッソーリ教育の本を見ていたら、敏感期に気づいてモンテッソーリの教えに従ったら子供が成長したという賢母(?)のエピソードが繰り返し出てきた。

しかし私がそうしたエピソードを見て思うのは、世の中そんなに余裕があって賢い母親ばかりではないだろうということだ。
そうした賢母の子育ては、現代においてはチームプレーで実現しなければならない。夫婦2人の目をもってすれば、子供のシグナルを見逃さずに済む。

ところで、敏感期の話は3歳頃から出てくることが多い。息子のちょび丸はまだ1歳になったばかり。幼い時の出来事は記憶にも残らないのだし、ハイハイとか道具を使うといった身体の発達に関してサポートする必要性は分かるとしても、家の中にないものを見に外出する意味はあるのだろうか?

この一年、ちょび丸とは本当に様々なところへ出かけた。その時間を通して感じたのは、「覚えていることと、馴染みがあることは違う」ということだった。例えばちょび丸はハトに馴染みがある。大きくなってから、ちょび丸が小さい頃にハトをたくさん見たことを忘れてしまっても、ハトが親しみのある生き物だということは体が覚えている。

飛行機はこのように飛ぶもの、子供のグループはこのように遊ぶもの、芝生の感触はこんな感じ。親しみがあればきっと何事もスッと入れる。大人である我々が、なぜか抵抗なくできること、なぜか抵抗があって気が進まないこと、その原因が本当に分かることは恐らくない。小さい頃の経験は無意識の部分に対する蓄積だからである。

そして何より、父親である私に対する息子の信頼構築、これは重要だろう。スキンシップによって構築されたもの、私と妻が話す姿を見て構築されたもの、そして息子がnoteを読めるようになってからは、息子自身の成長記録や写真などからも、大事にされてきたことがきっと分かってもらえる。

私が復職すると時の流れが早くなるような気がするが、子供にとっての時間は濃密である。敏感期のサインや、子供の理解に繋がる重要なシグナルを見逃さないように、丁寧に過ごすことによってなるべくスピードを合わせたいと思う。

時節柄いろいろ苦労もしたが、大変充実した1年だった。

ではでは。

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