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かつて居場所がなかったオタクのみなさんへ

私は元オタクです。いえ、今も比較的ライトになったとはいえオタクと言えると思います。オタクと言えば、かつてはマンガやゲームが好きで秋葉原に縁のある人たちが有名でした。

そして学生時代に仲間と思いっきり愛を語っているとクラスメイトにしらっとした目で見られたりして、なんとなく肩身の狭い思いをしていました。そんな過去については前にも書いたことがあります。

今となってはネットやメディアなどの情報によって、私たちのようなマンガやゲームの好きなオタクだけでなく、女性ならジャニーズ、男性なら乃木坂46などのアイドルオタクがいることが明らかになっています。他にも鉄道、宝塚、歴史などなど。


オタクでいても平気に

今となっては「推し」という言葉も一般的になり、誰かを深く好きでいたり応援することはよくあることとなりました。私たちのようなオタクも生きやすくなった現代だと思います。

オタクたちの祭典であるコミケにも有名な芸能人が足を運んだりするようになったりと、オタクを公言することは恥ずかしくないことに変わりました。

ちなみに実際に私が聞いたことがあるのはキスマイの宮田俊哉さんや俳優の神木隆之介さんのエピソードです。なんでも、ふたりとも一般参加で足を運んだことがあるらしいのです。昔からのオタクである私はこのことを知ったとき、すごい時代になったものだとびっくりしました。

今はもうTwitterなどで好きなものを語っていても、以前のような扱いを受けることは少なくなりました。それどころか、かなりのマイナーなジャンルであっても仲間を見つけやすくなっています。そして共に語り合い、楽しんでいる人がたくさんいます。

一度好きになったらずっと好きでいるということが「沼にハマる」ということなら、現在の「推し」という考え方は昔からあったわけです。2次元も、2.5次元も、3次元もです。ちなみに私は全制覇済みです。今までいろいろ好きになりました。


時代はどんどん過ぎる

私がハマった沼と言うのは他の人よりもおそらく浅いものの、多岐にわたります。例えばミスチルをはじめとする一部の音楽アーティストやとある期間のアニメやゲームでしょうか。ちなみに今はネットで読める漫画にハマっています。

今でもたまに弟には「オタク喋りになってるよ」と言われることがあります。なんでも、相手の返事を待たずにずらずらと自分の「好き」を伝えようと話しているときのことを指しているらしいです。先ほど引用した記事で言うのならマシンガントークと表現したもののようです。

ものすごく自覚があります。自分でも直したほうがいいんだろうかと迷ってもいます。けれども結局直さずにいてしまうのは、同じように話していた学生時代のことがたまに途方もなく懐かしくなってしまうからなのでしょう。

あれは私にとっての青春時代であって、生きている理由の全てでした。私はオタク趣味によって生かされ、ここまで人生を謳歌し続けていることができたと言っても過言ではないかもしれません。

オタクとなり熱中しているのは現実逃避をしていることなんじゃないのかと、オタクでない人にはよく言われてきました。けれども今となっては、好きなものに正直でいることは自己肯定感を高めてくれるという流れになっています。


「推し」がいる人たち

好きなものがたくさんあることはそれだけの居場所が作れる可能性があり、深く好きなものがあることはそれだけ深く生きる目的や生きがいがあるということにつながっているとされています。コミュニティに属するきっかけにもなります。

現にTwitterを眺めているだけでも、いろんな「推し」がいるユーザーにあふれています。そのひとたちはみんな思い思いの愛を語り、「推し」が活躍していることを自分のことのように喜んでいます。

ときには好きな気持ちゆえに愛が暴走して喧嘩になったり、批判をしたりしているひとたちもいます。けれども、その根底には誹謗中傷でなければすべてのひとに備わっている、とても人間らしい感情があるからだということがわかります。

これだけの感情が動くだけの趣味があることはなんて幸せなんだろうと、オタク業から離れていたころの私は羨ましく思っていました。「推し」がいるひとたちはみんな誰かに対する愛をたくさん持っていて、ものすごく輝いていると感じます。誰かのためにこれだけ応援する姿はとても美しいと思うのです。


恥ずかしくなくなって

もしかしたら私はずっと自分がオタクであったことを誰かに認めて欲しかったのかもしれません。かつて白い目でクラスメイトに見られ、普段は隠さないといけないという辛さを感じていたからこそ、今のこの「推し」という言葉が一般的にある状況がものすごく嬉しいのです。

「沼にハマる」という元々はオタク用語だった言葉が普通に使ってもいい言葉になり、いろんな方たちの何かに対する愛を語っている姿を見ることができることに対しても感謝の念を抱いています。

私たちの持っていた何かをとても好きだという深い愛は、ようやく日の目を見るときが来たのです。心の中にぎゅうぎゅうと押し込めてきた想いはもう隠さなくても良くなりました。「推し」を作ることは人の心を救うのです。


私はものすごく言いたいです。かつてでも今でも、全オタクのみなさんは胸を張って下さい。私たちのしてきたことはずっとずっと間違いではなかったのです、と。


ここまで読んで下さってありがとうございました。




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