あのワンピースがずっと欲しかった
ずっとファッション誌で見ていて憧れだったジルスチュアートの可愛らしいワンピース。何度も何度もお店に見に行った装飾が細やかで美しい4℃のハートモチーフネックレス。サマンサタバサのリボンのついたバッグ。
かつて私にはそんな「可愛い系」のアイテムがひたすらに欲しかった時期がありました。雑誌で言うのならCancamの系統のものです。簡単に言えば清楚なお嬢様みたいな印象を受ける服です。乃木坂46や日向坂46の衣装のようなデザインと言ったらわかりやすいのではと思います。
そのため、いろんなお店を覗いてはため息をついていました。試着をする勇気もなかったのでウインドウショッピングです。
憧れの服は似合わなかった
そのころ私は働いていたので自由に使えるお金がありました。けれども、たまに女の子らしい服を買ってみてもどうしても違和感があってあんまり着ることができませんでした。特に花柄だとかたくさんのレースだとかは難しいのです。
わりとリーズナブルな可愛い系の服を買ってみては、似合わないことを思い知らされて、身近な人に譲ったりフリーマーケットに出してしまっていました。思いきって買ったひらひらのミニスカートを諦めることにしたときは特に残念でした。
そのため、一着二万円くらいするジルスチュアートのワンピースはどうしたって買えません。また似合わないと思って着るのを諦めることになるかもしれないという恐れがあったからです。
それはどこか恋愛観にも通じていて、高嶺の花のような手の届かない人を好きになっては到底手が届かないと思い知らされ、泣く泣く諦めるような図に似ていました。
手が届くのはかっこいい系
どちらかというとキャリア系の女性が着るようなクールな恰好が似合うと身近な人には言われていました。そんな職業でもないのに不思議です。
ロイヤルブルーやワインレッドにモノトーンなどわりとエレガントな色が似合うし、可愛い系の色はあまり似合わないとそのうち気付きました。けれども、そういう色が嫌いというわけでもありません。
むしろ似合うものは好きです。自分の良さを引き出してくれるような気がするからです。肌が明るく見えたり、自分の印象を綺麗に見せてくれます。
だんだん私はそういった色の服を選ぶことが多くなりました。奇しくもそれは同じファッション誌で「可愛い系」ではない方の、「かっこいい系」で特集されているような服でした。
好き+似合うの数式を発見
そんな中、友達に結婚式へ招待されたので店員さんと相談しながらドレスを初めて買いました。色は自分に似合うネイビーを選んで、前から気になっている雑誌にあった大きめの花柄があしらわれているドレスを選びました。
試着室を出たとき、初めて見る印象の自分にとてもびっくりしました。花柄の部分が取り外しがきくということがあって選んだものでしたが、予想以上にしっくりきていたのです。
おかげで式では終始楽しく過ごせました。やっと好きなデザインの服を着ることができたのです。憧れていたジルスチュアートの可愛いワンピースの代わりに、結婚式のドレスで初めてその気持ちを味わうことができました。
好きな服を着られるってこんなに幸せなんだと思いました。友達にも素敵なドレスだと褒められたこともすごく嬉しかったのです。その日のことは私にとって大きな転機になりました。
選び方を工夫していくこと
それを境に私は好きなデザインの服を着られるようになりました。選び方を工夫すれば全てが解決していきました。スカートの丈や生地の質感など、試着するときに入念にチェックするようにしました。
その上で店員さんに「今の流行のデザインって何ですか?」と質問し、さりげなくおしゃれなポイントを取り入れてみたりもしています。おかげで服を買いに行くのがさらに楽しみになりました。
けれども、あのジルスチュアートの服を買うことは結局諦めることになりました。何故なら私がそれを着られるような年齢を過ぎてしまっていたからです。満足できる選び方に出会うまでにずいぶん長くかかってしまいました。
数年前にはようやく念願の4℃でリングを買うことができました。もちろん持っている服の系統にも合わせやすいデザインのものです。自分が気に入ったり、似合うと思う服を多く取り扱っているお店にも出会いました。
今でも忘れられない気持ち
それでも、忘れられないのはあのころの切ない気持ちです。私はやっぱりあのジルスチュアートのワンピースが欲しかったですし、着てみたかったです。そのときだって似合いそうなデザインのものを選べばよかったのかもしれません。
あのふんわりとしたシフォンのスカート。花柄の模様の生地に少しヒールの高い靴を合わせるスタイルに憧れていました。そして極めつけにサマンサタバサの可愛いバッグ――全身「可愛い系」の自分になってみたかったです。
似合う服を見つけるには自分自身に向き合うことが必要になってきます。そのために、ときには客観的なアドバイスを求めることも大切かもしれません。
その一方、好きな服を着ようとするのは自分の意志を感じられますし、ある意味では覚悟が必要になってくると考えています。もし印象が良くなかったとしても、受け止める気持ちが必要だからです。
けれども、実はそのほうが自分の人生に責任を持っているようで、本当の意味でかっこいいのではないでしょうか。私は結局、似合っているのか自信のない可愛い系の服を着て「これでいいんだ」と割り切る勇気がなかったのです。
少しほろ苦い思い出ですが、そのおかげで今の自分がいるのだと思います。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
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