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限りなく透明に近いブルーと横顔の記憶

 読書の醍醐味とは?
再読する度に感想が変わり、その時点までの自分の経験で当時の状況の理解までもが変わることがあるな、と感じた話。
私のその1冊は村上龍氏の限りなく透明に近いブルーだ。

 母が病弱だったため、幼少期から小学生くらいまでの春休み・夏休みといった長期の休みは母の実家に預けられた。
母の実家は大分県と宮崎県の山間にあり、日豊リアス式海岸に面した豊な漁場と平家の落人伝説のある小さな漁村だった。当時は、私の住んでいた市から、くねくねとした山道をバスで2時間走るか、小型フェリーで離島を経由して2時間船に揺られるか、2つの交通手段しかないド田舎でもあった。
 3才下の妹がいたが、いつも私が一人預けられていたので、病気がちな母には2人同時の子育ては難しかったのだと思う。

 当時の母の実家は、曾祖母・祖父母・叔父(母の弟)の4人暮らしで、祖父母は夜明け前から漁にでかけ、叔父は会社に出勤するため、私は家事を賄っていた曾祖母と1日を過ごした。3時のお八時には、曾祖母の妹が訪ねてきて「姉さん、早く逝かんと、下が詰まっちょるわ」という何ともシュールな会話が飛び交う時間を一緒に過ごした。
思い出しても、田舎のお婆さん達の話は率直すぎてシュールさが増し、ちょと笑える。

周囲には私と同じ年くらいの子供はなく、親族の子供たちも年上の男の子ばかりで、一緒に遊んだ記憶はない。遠縁の男の子達から、街から来た子、と言われ子供ながら距離を感じていた。

 だから、叔父の本棚からランダムに本を選び、ひたすら読んで過ごした。
ドストエフスキーの罪と罰など、小学校低学年だった私には間違いなく内容を理解できない本を、眉根を寄せて読んでいた。読んでいた、というは正しくないなあ、文字を追って理解しようとした感じ。
いや、まったく理解できてないけど、最後まで文字を追っていた、が正解。

外で遊ぶ事もなく、毎回叔父の本棚から本を選んで分からなくても読んだ。
叔父は寡黙な人だった。どんな本を選んでも何も言わなかったし、私が分からない漢字の読み方を聞くと辞書の引き方を教えてくれるけど、その本難しいだろ、解るのか?とか一切言わなかった。

 ある日、本を物色していたら表紙の横顔が印象的な本を見つけた。
ページをめくって読もうとしたら、叔父の手が上から降りてきて『お前にはまだ早い』と取り上げられた。驚いた、これまでどんな本を選んでも叔父に何か言われたことは無かったから。
 たぶん、なんで?読みたい、なんで読んだらいかんの。とダダを捏ねたと思う。しかし叔父はまた『お前にはまだ早い』といって本を本棚の一番上の棚に置き、私は叔父の横顔を下から見上げた。

 その日叔父は休日で、午後から近所の親族と魚釣りに行くという。いつも家の中で本ばかり読んでいる私を不憫に思ったのか、曾祖母が一緒に付いて行け、というので叔父と一緒に魚釣り用の餌を取りに浜にでかけた。干潮でむき出しになっている岩場の窪みに溜まった海水が、太陽を反射して光る。岩場の周囲に取り残された海水にくるぶしまで浸かりながら、窪みの中に潜む小さなエビや岩場に張り付いた海藻に隠れた小魚を捕ってバケツに入れた
 1時間ほどのエサ取りだけで私は十分に楽しく満足で、堤防でのんびり魚がかかるのを待つ釣りの時間はちょっと退屈だった。寧ろ、あの本を読みたい、と釣りのあいだ思っていた。
翌朝、叔父が出勤したあと本棚を確認に行くと、その本は本棚の手の届かない一番上の棚に置かれたままだった。そんな夏休みの思いで。

 叔父は30代半ばで他界した。叔父の具合が悪い、と母に聞いてから亡くなるまで1カ月くらいだったように思う。病気がちでいつも具合が悪い、と寝込んでいた母よりも早く、お見舞いに行くことも最後に会話をすることも無くいなくなった。

 あの時読めなかった本、限りなく透明に近いブルーを初めて読んだのは、叔父が亡くなって数年が経った16才高校生の時。
初読の感想は、気持ち悪い、だった。
過激なセックスとドラッグと暴力がある生活が描かれた世界は、数十年前の田舎の高校生には想像の範囲を超えて理解できない世界の話だった。

 二度目に読んだのは、20代後半の頃。
働きすぎで自律神経失調症になった私は、結納を期に仕事を辞め結婚準備中というニート生活をしていた。そこで古本屋で久しぶりに限りなく透明近いブルーに出会い再読した。
読後の印象は一変した。
主人公リュウの受け身で主体性の無さに物足りなさを感じたけど、リュウには何にもバイアスが無くて、透明な目で世界を見ている、と感じた。

三度目はコロナ突入の時期。
2020年3月まで社会人大学院に通っていて修了したら、旅に出るぞ!思いっきり仕事するぞ!って張り切っていた矢先に、コロナの緊急事態宣言で自宅に籠ることになった。
 出鼻を挫かれた感満載の中、暫く読んで無い本のジャンルは?、と考えたら小説を読んでないことに気づき、中古本を購入して読んだ。
二度目のような劇的は気づきは無かったけど、当時の状況と思い合わせて、数十年振りに叔父との遣り取りと、叔父の本棚を思い出した。

ふと思ったんだな。
叔父には本当は遣りたいことがあったんじゃないか。って
母方は長身細身で平均よりも彫が深い顔立ちの家系で、祖父も叔父も長身で細身、そんな姿の叔父を立ち姿を横から見ると彫が深いせいか影を落としたような表情になり、寂しさを感じることがあった。
それは叔父が寡黙で、いつも何か考えているような雰囲気を持っていたからかも知れないけど。

 数十年振りに思い出した叔父の本棚には、ドストエフスキーやトルストイなどの本が多かったように思う。←子供の頃はこのロシア(プロレタリア)文学の作家達が社会に与えた影響を知るはずもなかった。
叔父がこれらの本を手に取っていたのは、自分の内側に何か解消しきれない、抑圧された気持ちを持ってたんじゃないか、とふと思たんだな。

 長男だから家を継ぐのが当たりまえ、漁師を継ぐのに学歴は必要ない、という偏った同調圧力はあっただろう、本心はどう思っていたんだろうか?
 叔父世代は、日本の戦後復興を支えてきた世代だけど、地方と都会では、戦後社会の復興の中で文化の開花(進化)は分断されている位、違ったんじゃないか、と思う。まして叔父は『ド』が付く田舎の長男で、華やかな都会の復興が生み出す喧噪を遠くから感じているだけ。
 限りなく透明に近いブルーの作者と村上氏とは、同世代でありながら置かれている環境は随分違うし、それはきっと、与えられた選択の数、自由の違い、と言ってもいいくらいだっだんじゃなかな。

 社会が二分化されたり階層化が起きると、諦念にも似た運命論が広がって中には犯罪が増えることもある、というけど思い出の中の叔父の横顔に、本当は、儘ならない思いを抱えていたんじゃ、って思いを馳せてしまった。
叔父は、あの小さな漁村で何を思って、村上龍氏の自伝といわれるこの本を読んだのだろう。

 三度目に、思いがけず叔父の面影が浮かんだ。
そして私は、叔父の年齢を超えて、それでも、これからの人生で起こるだろう想定外を楽しみにできることに感謝しよう、と思う。
人生は自分で切り開ける、素晴らしい旅だから。

1冊の本が与える感想が、読む度にこんなにも違うって、スゴイ。
床に本が積みあがってリビングに獣道ができても、読書は止められない 笑

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