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その刃を向けるべきは誰だったのか?

拝啓、大人の皆さまへ

昨今「ファッションメンヘラ」や「イカ焼き」など心の傷を揶揄する言葉に心底吐き気を覚えている身でございます。そんな火力の強い始まりですが、どうぞ最後までお聞きくださいませ。

若者と言って差し支えないですが「大人」に区分される私のゆるぎない信念として、「子供は守るべき存在」というものがあります。
何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、これは実体験に基づくものです。

私はかつて親に虐待されておりました。
他に兄姉も居ましたが、それらの人間も私をおもちゃのように扱うのが家族間での日常みたいなものでした。
第二次成長期でブラジャーが必要になったりする頃には使用済みナプキンをごみ箱から漁られたり、身体の変化を父や兄の前で吹聴されるなど、思い出すだけで吐き気が止まらなくなるような行いが何年も何年も続きました。

拒否しても暴力、受け入れるまで説教なんてもはや日常で。
日々いつ爆発するか分からない親の機嫌を探りながら家事をこなし、勉学に逃げる過去の自分は思い出すだけで胸が痛いものであります。

そんな環境しか知らなかったからでしょうか。成長するにつれ、徐々に精神と身体への違和感と乖離を感じるようになりました。

頭の中がぐつぐつ煮えたぎるような気持ち悪さで満たされ、身体は借り物のゴム人形のようにぐにゃぐにゃして実態がないような不快感。逃れたいのは自分の身体と心で、不快感は溜まるばかり。目の回るような気持ち悪さは、いつしか衝動性へと姿を変えました。

白いカーペットに自分の涙が落ちていき、じわりと深い赤がぼやけた視界の先で溢れ出す。

当時15歳だった自分が現実から逃れる方法として選んだのは、物理的に自分を傷つけることでした。

そうして初めてリストカットをしてしまった日から、もう10年以上経過したました。一度衝動的にしてしまえばいつしかそれは身近なものとなり、約半年ほどその手段を無意識で行ってしまうことが続きました。なんのきっかけがあったかも覚えてませんが、高校2年にあがるころにはその行為も止み、今の私は血液検査を怖がる、ただの成人女性です。

あの頃の感情や日常から日々遠ざかり、親の顔も思い出せなくなる現在ですが、唯一普通じゃないのは左腕におびただしいほどの傷跡が残ったことでしょうか。無意識でしてしまったこともあり、力加減ができなかったようです。医学的な知識や技術、そして応急処置まで頭が回らなかった自分の攻撃性は想像以上に深く、私が骨になるまでその跡は消えることがないと思います。

とはいえ、傷跡に心をひっぱられることはほぼありません。不幸中の幸いというのか、動作に気を付ければ半袖を着ても目立たない位置に傷跡が来るので他人に気付かれることはほぼありません。そしてなにより、今日はもう加害されるという過去からは一番遠い日になりました。時間が解決してくれることは案外多いのだと、生きているからこそ知れたことです。

これでめでたし。よかったよかった。

…いいえ、そうはなりません。
忘れてはなりません。

目に見えるものは時に雄弁に物事を語ります。
それは私がかつて刃物を手に取り自身に向けるような「メンヘラ」だったということです。

動作に気を付けていても、ふと気を抜いた時に傷跡を見られることが過去に何度かありました。そしてそれを基に、「メンヘラ」というレッテルを張られることは体感9割を超えるほどです。つまり、ばれたらほぼ100%メンヘラって言われるんです。

「言われたくないなら長袖を着てればいいのに愚かだな」と思ってくれても構いません。ただ、正直もう傷の有無を忘れるくらい私の中では終わったことなんです。かつての環境の渦中にいるわけでもなければ、そんな衝動性を取り戻すような人間関係を築いているわけでもないんです。だから私の中では過去のことなんです。

それでも、メンヘラって言われると腹が立つんです。常人から逸脱した行動をしていたことを揶揄されることも勿論ですが、それを言われるたびにかつての自分の苦しみを嗤われているような気がして頭が煮えたぎるようにぐわーっとなるんです。

いやーわかっています。わかりますよそう言いたくなるその気持ちは。
それでも「それは違うんだよ」というのが本音です。
「この傷は本来他者が罰として受けるべきだったものを肩代わりした証拠なんだよ」
というのが正解です。

あの頃私は未成年で、子供でした。本来であれば暴力や性加害といった人権を奪われるような環境下で放置されるべきではなく、周りの大人や第三者が介入して速やかに保護されるべき存在でした。

本来であればそれは親にあたるんでしょう。もしくは周囲の大人たちにも言えますね。でもその対象そのものが加害者で、兄姉も加担し、第三者には見て見ぬふりをされたらその子供はどうするのが正解だったんでしょう。

児童相談所?学校の先生?
そんなこと大人の目線からならいくらでも案が出せます。

私はあのタイミングで逃げられませんでした。
守られるべきだったタイミングで守られず、そうして1人で理不尽と戦った印として自身の腕に残ったのがこの傷です。

いっぱいいっぱい、なんて優しい言葉では片づけられない心境でした。
それはもう、未だに自身へ向かってくるてのひらと声を夢に見るくらい気持ち悪くて、それでも生きたくて必死でした。子供を作った挙句義務を放棄してその子供を搾取する側の大人ではなく、肩代わりになった元子供側をレッテル張りするグロテスクさに心底吐き気がします。

私を「メンヘラ」だと揶揄した人間に対して本当は言いたかった。
「これが未成年で逃げ場のない人間が助けられなかった結果なんだ」と。
「本来刃物を向けられるべきだったのは傷ついていて子供だった私なんかじゃなく、義務を放棄していた大人たちの方だったんじゃないか」
と。

もしかしたら、同じように傷を持つ人達は大人になってからそういうことをしていたのかもしれません。私が知らないだけで、本当に人の気を惹きたくて自らを傷つける人も居るのかもしれません。でもそれは私の及び知らぬところ。

各々事情はあるかもしれませんが、元子供が追い詰められてやった可能性が残されている以上、私は誰かのことを気軽に「メンヘラ」だとレッテル張りする人間に憤りを感じますし、一生許すことはありません。

これが私の実体験です。そして子供を守るべき存在だと認識している理由です。当たり前のことすぎるのですが、正直最近は本当にその「当たり前」が機能しているのか甚だ疑問に思います。

今日もどこかで、子供が消費されているのでしょう。
守られることを知らずに、搾取されていくような恐ろしさが足元を侵食してくるように冷たい感情になります。

なので、大人の皆さまへ守られなかった元子供からお伝えしたいことがあります。

子供は守るべき存在です。それを全うするのが大人の義務です。弱いものを守らず、食い物にしたりミームとして消費するのは恥ずかしいことなんですよ。

そして、国よ。頼むから子供から何かを奪わないでくれ。ヤングケアラーとか、東横キッズとか、本当に怖いから根本的な解決策を出してくれ。

おっと、お口が悪いですね。
私も少し話過ぎたので、ここで失礼します。
またどこかでお会いできればと思っておりますので、今後ともどうぞ御贔屓に。

敬具 守られなかった子供より


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