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自己肯定感と仲良くなる

「どうせ私なんか」
自己否定の言葉
それがいつの間にか口癖になっていた

ふと考えてみた
何故口癖になったのか

人間には生まれた瞬間から
自己否定機能は備わっていない筈だ
何故なら赤ん坊は生き延びようと泣き叫ぶ
「自分はここにいる」と

しかし成長過程において
自分を取り巻く環境によって
自己否定機能が備わるようになる

まだ中学1年生だった頃の話だ
裕福とは言えない家庭で育った
兄弟が多く、三女だった私は
毎回お下がりの服着ていた
お下がりだがボロいわけではない
全然着れるし汚れも目立たない
だからといって問題が無いわけではない
「流行りの服では無い」
これが問題なのだ
周りの友達は最近の服を着ているのに
自分だけダサい服
ある日、友達2人と遊んだ
私はお下がりのインナーとお下がりの上着を羽織っていく
一方友達は流行りの服
そしてプリクラを撮った
後日、遊んだ友達が部活にプリクラを持ってきて他の子たちに見せる
「この服ダサくない?笑」
やはり中学生だ
周りもそれに乗り気で楽しくしている
私は蚊帳の外で話を聞いていた
当時は悲しみと恥ずかしさで涙がでた
今でもこの出来事を親は知らない

そして、中学2年生のときにこの状況を打開すべく「ピチレモン」を買った
(ピチレモンとは小中学生向けおしゃれ雑誌)
たまたま父親の前で読んでいたときだった
「そんなの読んでもどうせ買わないし意味ないだろ」
その言葉にショックを受け
机の引き出しの奥に突っ込んで
凄く泣いたのを覚えている
その後一回も読まなかった
しかし、この出来事も親は知らない

ちなみに親は毒親ではない
いたって普通の家庭
ちゃんと愛情は注がれてた
しかし親の性格はネガティブ
何をしても否定ばかり
褒められた記憶はない

そして、その日を境におしゃれやメイクに興味が湧かなくなった
「どうせ可愛くならないし」
「どうせダサいって言われるし」
試してもないのに自己否定していた

人間の性格は良くも悪くも周りに影響される
否定されれば自分を否定し
肯定されれば自分を肯定するようになる

こうして肯定されることのなかった私は
自己否定真人間と化していった

これは、経験上の話なので一概には言えないが
自己肯定感を上げるのに必要なのは
自分で自分を褒めることではない
他人に自分を褒めてもらう
これが一番の自己肯定感の上げ方だと思う
人間には「承認欲求」がある
その欲求を満たしてくれるのが他人なのだ

自我が芽生えて20歳になるまでは
誰にも褒めてもらえなかった
容姿も性格も
そもそも「褒める」行為が周りで起こっていなかった気もする

20歳を過ぎた頃、会社の人に
「髪染めてパーマかけてコンタクトにしな」
って言われ、早速実行した(単純)
翌朝、その姿で出社すると
「いいじゃん」
もしかしたらこれが初褒めだったかもしれない
素直に嬉しかった
そして、コンタクトを外した相乗効果で
「二重で目パッチリだね」
「整形したのかと思った」
と目元を褒められた
言われすぎて今では自分で褒めてる

そして、人は他人に褒められると勝手に自己肯定感が上がる
性格も次第に明るくなり
「人として好きだよ」(遠回しに恋愛対象ではないと言われてるが…)
「モテそうだよね」
「あなたには心開ける」
と、性格まで褒められた
ご想像つくだろうが、自己肯定感は爆上がり↑

こうして他人に褒めに褒められた私
今は自己肯定感の中で生きている
たまにネガティブもでてくるが
高飛車になるのを抑えてくれる薬に違いない

自分で自分を褒めることも良いことだと思う
しかし、それは意図して自己肯定感を上げることになるので続けていかなきゃならない
ふと気分が落ち込んだ時に褒めれるか
いや、きっと自己否定する
そうなるとまた一からやり直しだ
他の人にそのやり方が合っていたとしても
私には合っていないだろう
なので私は他人に褒めてもらう

よく耳にするのが
「ブスは性格が悪い」
「可愛い子は性格が良い」
これも周りの環境がそう仕立てたのだ
環境のせいにするなと言えど
やはり環境のせいなのだ
しかし、そうなったのは環境のせいであっても
自分で未来は変えられる
私も会社の人の言葉を実行していなかったら
今も土のついたじゃがいもぐらい芋だっただろう

はじめてのことは勇気がいるし
周りの反応に恐怖する
一歩踏み出すのもしんどいと思う
けど、やれるだけやってみよう
それでも何か言われたら末代まで呪えばいい
誰かが貴方を見つけてくれる

最後の文
誰宛かというと全世界の女の子である
女の子で生まれた時点で可愛い
私はそう思ってる人であります

以上


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