水と向き合ってきた人類と文化
<水と向き合ってきた人類と文化>
ヒトの歴史は水と向き合ってきた歴史とも言える。
日本では雨の多さから水のありがたみを忘れてしまいがちだが、清潔な水を簡単に得られない地域の方が多く、井戸の技術は乾燥地域においても湿潤地域においても重要な技術だ。
日本でも昔は井戸水や湧水、河川から引いた水を生活用水、つまり飲食水から洗濯用水まで直接使ってきた。だから誰もが水への意識は強かった。水は生きるに欠かせないものとして、慎重に大切に扱い、ときに神の存在を感じていた。しかし水道水の普及から水は蛇口をひねれば出てくる当たり前のものとなってしまい、河川や海の近くにはゴミが放置され汚れてしまっても、何も感じなくなってしまった人が多い。
夏場に雨が降らない欧米では水は留めるものであり、留まるものだった。そのためダムといえば治水ダムであり、留めた水は扱いを間違えれば感染症や災害の温床となった。貧弱な大地と共に少ない水が環境問題を身近にし、環境問題に対する意識を高め、強い危機感を持つ要因だ。
逆に雨が多い日本では水は流すものであり、流れるものだった。「水に流す」ことで汚染物質はすぐに海まで流れてしまうから、環境問題に鈍感で、危機感が薄い要因だ。
明治政府のお雇い技術者ヨハネス・デ・レーケが日本の河川を見て「これは川ではない、滝だ」と言ったように日本の河川は大地を強く侵食し、洪水や土砂崩れを伴いながら扇状地と氾濫原を作る。その水と山から運ばれる肥沃な沖積土が農業の発展の基礎となったのは決して偶然ではない。水源の水は澄んでいるが、養分は少なく生物も少ない。逆に河口の水は肥沃で生物も多いが、不純物も多い。とはいえ、頻繁に氾濫が起きてしまっては農業はおろか生活すらままならない。
そのため森林を極端に開墾することを避け、森林と田畑によってゆっくり少しずつ流し、堤防は信玄堤に代表されるように受け流し、ときに溢れる水を利用しようとした。水は恵みでもあり、災いでもあったのだ。だから、川の神様(龍や大蛇、カッパなど)や弁財天など水にまつわる神様は両方の顔を持つ。
日本人は長い間ずっと水による災害と戦ってきたため水に対する意識も高いが、知恵も多い。知恵は災害の数だけ蓄積されてきたのだ。天気のことわざも多くは天気の急変(雨)や災害に関わるものばかりである。
水と向き合った日本人の知恵の代表例が信玄堤だろう。甲府盆地を流れる御勅使川と釜無川の合流地点を中心に起きていた洪水被害を防ぐために、さまざまな工夫された石堤が作られた。佐々堤、清正堤など堤防に名前が残る戦国大名も多い。戦国大名は治水と水田開発に積極的だった。室町時代まであまり利用されてこなかった沖積平野を開発に成功した大名は出世していった。織田信長もその一人である。
洪水にひれ伏すのではなく、被害をなくすための努力を続けることがわたしたちに知恵と富を蓄積させることになった。現在、アメリカを中心に治水ダムの再デザインが訴えられ、ダムを壊し、森林や生命との調和を図る工夫がなされている。貯水量同じなら主要河川に大きなダムを造るよりも小規模な貯水池をたくさん造る方が有効だし、悪影響も少ない。雨量の多い山岳地帯ではリスク分散になる。小型のダムや水路から得る水力発電も地方での自立したエネルギーシステムに馴染みやすく、導入が進んでいる。
昔から日本では水田に水をひく水路には多くの生物が養われ、日本人の腹を満たしてきた。春の七草粥に使用される野草は田んぼや水路周辺から採れ、ウナギやドジョウ、山シジミなど貴重なタンパク源も採集できた。生活排水が流れ込むこういった水路や小さな河川は生物を多く育むことになり、マコモやバショウ、ホタルなど日本文化に欠かせない命を育んできた。岐阜県に残る水舟や全国に残る川端文化はもちろんのこと、バイオジロフィルターも里山から大きな河川にかけてできていた生態系濾過システムを真似たシステムである。
日本では梅雨という東アジア独特の雨季があるからこそ、欧米とは同じ北半球でも違う気候にある。それがあのジメジメとした空気である。日本の夏の特徴といえば、梅雨だろうと真夏だろうと湿度が高い。砂漠地帯の夏は気温こそ高いものの、湿度が低いためにカラッとしていて日本ほど息苦しさを感じない。
都会生まれ都会育ちの人が田舎に移住して驚くのは「夏の夜の涼しさ」と「梅雨のカビやすさ」だろう。下駄箱に入れていた革靴がおしれにしまっていた革のカバンが気がつけば白い粉に覆われていて、ひどくショックを受けた話をよく聞く。換気を怠ってしまったがために畳がカビてしまったり、室内がカビ臭くなり体調を崩す話もよく聞く。
中国では「梅雨季節」と書いて「メイユ」と呼び、韓国では「メウ」と呼ぶ。食べ物や木工製品、革製品などにカビが生えやすくなるため黴雨とも呼ぶ。
それを防ぐために日本の古民家は「わざと」隙間風がほどよく通るようになっていた。また、夏でも囲炉裏や竃などで火を焚くことで室内の湿気を取っていた。時代によっては火を絶やさないようにすることもあった。そして、その役目はもっぱら女性であり、火の神様を祀って祈りを捧げた。
現代の家ではエアコンの効きを良くするために密閉状態にすることが望ましいとされている。そのためこの時期の暑さと湿気の多さからエアコンも湿度機も必要不可欠なものになってしまった。古民家で火をつけるのが難しい場合は、家のすべての窓を開けて灯油ストーブ(または薪ストーブ)をつけて湿気を取ると良い。
文化の定義の一つに「人が生きていくことを阻害するものへの対抗手段」というのがある。つまり、水の問題の克服が人類の課題だった。暮らしの中では綺麗な水を確保すること、水の中の雑菌や寄生虫を殺すこと、天水をたくさん留めることなど水は生命にとって欠かせないものだからこそ、文化は水に大きく関わる。
水が多い地域でも少ない地域でも、水分をゆっくり下へ下へと流すシステムを作れば、水分と養分のどちらも土壌や植物に吸収され循環する機会を増やすことができる。水は遠くから集めるのではなく、雨が降った場所のすぐ近くで集めて使用すれば水が多い地域では水害を減らし、少ない地域では有効活用できる。
都会などではその豊富な建物や舗装地面から流出する水を集め、住居や庭の灌漑に使用する戦略が必要だろう。もちろん、アスファルトを剥がすか新たな技術で地中内に染み込んでいくようにするのも重要な戦略だ。吉祥寺の人気スポットである井之頭公園の池は湧水からなる池で、江戸時代には底が見えるほど済んでいて、周辺の住民は生活用水として利用していたという。都内に雨水を染み込ませない砂漠が広がるにつれて湧水が減り、現在ではエネルギーを使ってわざわざ地下深くから水をくみ上げているという。
現代の建築家に水に関する知識が少なく、水道は後から付け足すものだと思っている。しかし、本来は建築のデザインそのものよりも最初に考慮する問題である。どのように水を集め、配水・利用し、排水まで自立した水道設備を設計する業者は残念ながらほとんど存在しない。屋根をどのようにデザインするかで水の獲得と利用が変わるというのに。屋根はただの表面的なデザインになりつつある。
農村部でももちろん水に関する知識と技術は自然と調和した暮らしをするには必要不可欠な知識と技術である。どこでも停電してしまえば、地面と同じ高さに据えられたタンクから水を運ぶ術は人力以外ない。震災のとき、高層マンションに住む人々は飲食用だけではなくトイレ用の水を階段で運んだように。
水は上で探して、上で蓄えて、下に流しながら使う。水を蓄える場所は複数用意しておけばどこから枯渇したり損害を被っても、ことが足りる。高いところに蓄えられた水は位置エネルギーを持ち、高水圧灌水、消化、発電などに利用できる。
田舎の自然の中で暮らしはじめる人々は井戸水や湧き水を利用する人が多いが、季節や天候によって濁ってしまったり寄生虫が多く発生して体調を崩してしまうこともある。それを防ぐためにも水道水とのアクセスはもちろんのこと、濾過や煮沸の技術なども必要だ。
水の循環とはミネラルの循環でもある。植物は全体がミネラルの貯蔵庫であり、動物にとって効率的に摂取源でもある。ミネラルウォーターや野草茶のように水に溶けた状態が動物にとっても植物にとってもミネラルを効率的に吸収できる。雑草マルチは雑草防除や保温・保湿の役割もあるが、雨が降るたびにミネラル分を畑に少しずつ供給する追肥の役割も担っている。
雨は降るたびに地表面に露出した岩石を風化させて、土中内のミネラルを吸収して、地下水へ、河川へと流れ込む。最終的には海までたどり着くと、ミネラルは簡単に大地へと戻されることがない。岩石に張り付く苔や地衣類はその岩石に含まれるミネラルを溶かして自身の体内に溜め込む。彼らがいずれて枯れるとミネラル豊富な土となり、他の植物に利用される。植物は土と雨水に含まれるミネラルを吸収して、体内に溜め込むと、それを昆虫が食べて甲殻に蓄え、動物が食べて骨や細胞内に蓄える。彼らもまた死ぬことで他の生命や大地にミネラルを還元する。
すべての生命は水の循環に生かされている。「清き水も我がものと思い、溜め込めば腐る」という言葉があるように、栄養分を含んだ水は巡ることで清らかさを保つことができる。ビニールマルチとアスファルト、ソラーパネルは雨水を受け入れない点でよく似ている。ダムや貯水池は水の流れを留める点でよく似ている。
あなたが水にしことは、巡り巡って数年後にあなたの元に還ってくるだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?