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【エッセイ】受験生だった頃の話。

近頃、頬を掠める風が冷たくなってきた。振り向くと、長く冷たい季節がすぐそこまで来ている。冬の入り口に立つとき、私は3年前の出来事を思い出す。

当時の私は、来年に大学受験を控えた高校3年生。
毎日が、着実に過ぎて行く時間とあらゆる方向から飛んでくるプレッシャーとの戦いで、自分の心を前に向かせるのに精一杯だった。少しでも立ち止まると、不安に溺れてしまう気がしてとても怖かった。私は指定校推薦の切符を得るために、受験勉強と平行して学校のテスト勉強を頑張っていた(指定校推薦は枠が決まっており、希望が被った場合は成績が優秀な方が選ばれる)。指定校推薦が決まれば受験をしなくても志望校に行けるのだから、ここで頑張らない訳にはいかなかった。
学校の先生は「学校のテスト勉強も受験勉強のうちだ」と言うけれど、実際は全くの別物だった。それぞれの教科の先生が作るテストの癖を心得て、前日にはその場しのぎの暗記をしたりもした。私は、この大変な時期に二足のわらじを履いているようなものだった。

受験生の秋は、怒涛の夏休みを終えて勉強が一息ついた頃。夏の勢いに押されて動かしていた手は自信を失い、参考書の上を彷徨うだけの日もあった。
本命の学校のテストが終わりしばらく経っても、私の心の内は穏やかとは言えなかった。いつまで経っても指定校推薦の合格者が発表されない。選考会議が予定よりも大幅に遅れているらしかった。
同じ塾に通う他校の友達は志望校の指定校推薦をもらい、ある日を境に突然来なくなった。空いた隣の席を見て、黒い感情が湧き上がったのを感じた。その気持ちに気づかないふりをして、講義を受けた。発表までの間、気持ちを切り替えて受験勉強を頑張りたくても、心は不安と期待で一杯で全く手につかない。手を止めてはいけないことは、本当はわかっていた。
そんな状態が、何週間か続いた。カレンダーを見ては、迫る受験とコントロールできない自分に焦る日々。私はもう、引き下がれないところまで来てしまっていた。表では平常心を保っていたけれど、毎晩ベットの中ですがるように合格を祈っていた。

そして、その時は訪れた。発表は、担任の先生からの電話だった。お母さんや妹の手前、私はいつも通りの自分でいようと心がけた。本当は今にも泣き出しそうなくらい、感情が入り乱れていたし、呼吸も浅くなっていた。
この電話で、自分の受験がゴールを迎えるか、スタートラインに戻るかがわかってしまう。受話器を取る手が震える。それからのことはあまり覚えていない。
ただわかったのは、私は合格者でなかったということ。その後のありがちな言葉を並べた励ましは、上の空で聞いていた。自分の表情がどんどん歪んでいくのがわかった。取り繕った自信が涙と一緒に剥がれ落ちていった。

そのときの私は立ち止まって考えることができなくなっていた。あれほど勉強の邪魔はしないと固く心に誓っていたのに、気づけば同じく受験生の恋人に電話をかけていた。
「指定校推薦、無理だった。もうだめかも」その時の私は、たぶん取り乱していた。こんなに弱い姿を恋人に見せたのは、初めてのことだった。
それでも、電話越しの彼は私のうろたえた声に驚かなかった。「今からそっちに向かうから、少し待ってて」それだけをそっと私に伝えて、電話を切った。
私は逃げるように家を出た。悔しさと情けなさと言い訳と行き場のない焦りが込み上げてきて、ここにはいられないと思った。
母は取り乱した私をみて、二人で何か食べてきなさいと千円札を渡してくれた。ああ、これからまだまだお母さんに心配をかけちゃうんだ。そう思うと、自分がとても情けなくなった。

すっかり暗くなった外にいると、季節の移り変わりを久しぶりに感じた。彼を待つほんの少しの間でも、一人でいるだけで闇の中に吸い込まれるような恐怖に襲われる。
また一から始めるなんてできない、あんなに頑張ったのに、なんで落ちてしまったの...
今まで押し込めていた不安が溢れて、溺れてしまいそうだった。 

彼は想像よりもずっと早く来たので、驚いた。後から聞いた話では、その時彼は塾にいて抜け出して急いで会いに来てくれたらしい。彼はぼろぼろになった私に駆け寄って、戸惑いながらも優しく慰めてくれた。
当時の私たちにはちょっとした秘密基地のような場所があり、どちらからともなくそこへ向かった。途中にある自販機で温かいミルクティーをひとつ、お母さんからもらったお金で買った。

木に囲まれた場所で、ちょうど良い高さの塀に腰掛ける。表情を失った私に、彼は有線のイヤホンの片方を差し出した。
流れてきたのは、当時の私がよく聞いていたSEKAI NO OWARIの「イルミネーション」という曲だった。

君に似合うのはきっと 赤でも青でも黄色でもない
どんな炎に焼かれても ただ一つ残る色だ
幸せになるにはきっと 
何か払わなきゃいけないの、と 
泣いているような空を見る
君の強さを知っているよ
汚れたような色だねって そんなに拗ねるなよ
人知れずシャツの袖で 涙を拭った君に
SEKAI NO OWARI/イルミネーション

彼は思ったことは真っ直ぐに言葉で伝えてくれる人だから、この曲を選んだことに、それほど深い意味はなかったのかもしれない。 
でもこの瞬間、必死にせきとめていたいろんな感情がまるごと包み込まれた心地がした。目の前のことしか考えることができず、身動きがとれなかった私に、彼は逃げ道を作ってくれた。
イヤホンを半分こして、ふたり並んで木の間から澄んだ夜空を見上げると、悲しみを分かち合っているようだった。横にいる彼を見ると、心配が混じった優しい目で私を見つめ返してくれる。今日のことを彼に思い出として話せる日が、いつか来るのかな。そうだといいな。じんわりと温まった心の中で、そんなことをぽつりと呟いた。

帰り道、気持ちは晴れたはずなのに、さっきのことを思い出すと悲しくて、少し泣いた。そんな私を見て、彼はとっておきの面白い話をいくつもしてくれた。どんな話だったかは覚えていないけれど、気がつくと涙は止まっていて、代わりに笑顔がこぼれていた。
遠い未来のことなんてわからいし、今考えるべきことじゃないかもしれないけれど、いつか2人並んで同じ家に帰ったりするのかな。そう思うと、たくさんの心配事が全て小さくなっていった。その後、私は自分の意思で家へ戻ることができた。

自分の部屋へ行くと、さっきまでの現実はやっぱり繋がっていた。机の上には、もう開かないことを祈っていた参考書が積まれている。明日からは、遠くて近い受験だけを見つめて、走り続けなければならない。私はきっと、出口の見えないトンネルの前で立ち尽くしている。急に心細くなって、無情な現実から目を背けたい気持ちでいっぱいになった。
ふと携帯を見ると、いくつか連絡が来ていた。
一つは、彼からの励ましの言葉。「一緒に頑張ろう」その言葉の下には、イチローの名言も添えてあった。私はスポーツ選手じゃないのに、と笑って彼なりの思いやりを感じた。
あとの二つは友達からだった。指定校推薦に対する焦りや心配を伝えていた友達からの励ましの言葉。「帰り道、辛かったら泣いて良いからね」そのひと言に、私は今も感謝し続けている。
私にはこうやって優しく包み込んでくれる人達がいる。だから前を向くことが辛くても、まだ進むことができるはずだ。

今、私は大学3年生。彼や友達とあの日の出来事を笑って話せるようにもなった。でも、今でも「イルミネーション」を聴くと、当時の温度を確かに感じる。
冬の入口の冷たい空気と、空っぽになった心。そこに寄り添ってくれたたくさんの優しさと手の中でじんわりと熱を伝えるミルクティー。
きっと、これらは時間が経ったから文字にできる思い出だと思う。当時のことが蘇るようで、今でも電話の音が鳴るとひやりとするし、あの日彼と歩いた道はしばらく通るのを避けていた。でも、決して無駄な出来事とは思わない。あの日の悔しさと温かさを振り返る度、私は少しだけ、強くなれる気がするから。

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