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いのちの呼びさますもの ひとのこころ と からだ 稲葉俊郎さんの本

最近の僕の関心ごとは、「こころ」「からだ」「たましい」「意識と無意識」「ことば」などである。

「たましい」については、漫画「呪術廻戦」に度々登場する「魂の輪郭」に影響されているのだと思う。

呪術廻戦の作者、芥見下々さんは自身が影響されたとする歴代漫画のオマージュを原作の中に登場させることが多い。

その中でも、僕も多大に影響を受けた「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」には、武藤遊戯と彼がもつ千年パズルに封印された闇遊戯という2人の主人公が登場する。

そして、武藤遊戯は闇遊戯のことを「もう一人の僕」と呼び、闇遊戯は武藤遊戯のことを「相棒」と呼んでいる。

ぼんやりとそんなことを振り返ると、作者の高橋和希さんも「意識と無意識」の存在を漫画を通じて、暗に示していたのではないかと個人的に思ったのであった。

話が脱線したが、稲葉俊郎さんの「いのちを呼びさますもの ひとのこころ と からだ」という本は、そんな僕の関心ごととピッタリ合っており、その内容もとても感銘を受けたので記録しておく。

まず、稲葉俊郎さんは東大病院の循環器内科医師であり、心臓が専門のようである。そして、在宅医療や山岳医療などにも従事されている。

そのような医師としての観点を土台にした上で、「こころとからだ」「医療と芸術」といった多くの医師が注目しにくいテーマに焦点を置き、深く考察しているところが興味深い。

加えて、文章が容易なため、読者が読みやすいような構造を意識して書かれている点も素晴らしい。

また、重要なことが章をまたいで繰り返し述べられているので、著者が言いたいことを自ずと理解しやすい。

このような背景を述べたところで、個人的にまとめておきたい部分を本文より抽出する。

序章 すぐれた芸術は医療である

この章は、人間の体が60兆個の細胞から成り立っていることから解説し、「部分」と「全体」というキーワードを意識させられる。

加えて、健康と病気のそれぞれの定義について言及し、「健康になる」と「病気を治す」とではそれぞれ捉え方が違うと述べられている。

以下、本文より抜粋。


「病気を治す」という考え方だけに固執すると、生活や人生は「病気」を中心に動いていくことになる。自分の体や心を戦場だと考え、日々、闘わなければならなくなる。

一方、「元気になる」「健康になる」という考え方を重視すると、(中略)体の声を聴き、対話をし、病気や痛みなどできる限り向き合いたくない相手とは距離を取りながら、時には正面からぶつかり向き合わざるを得ない場合もある。そうしたなかで、病気や痛みと共存できる道を探しながら、ともに生きていく新しい道を発見していく。

人間の体は、調和と不調和の間を行ったり来たりしながら、常に変化する場なのだ。全体のバランスをとりながら、その根底に働く「調和の力」を信じ、体の中の未知なる深い泉から「いのちの力」を引き出す必要がある。それが、人の「全体性を取り戻す」ことにほかならない。


「調和と不調和の間を行ったり来たり」というのも大事だと感じる。行ったり来たりすることで、全体の輪郭を把握できるのではないか。何事も部分に固執しすぎると、全体を失うことになりかねないのかもしれない。

ここから著者は、学生時代にバックパッカーとして訪れた海外で「能楽」の神秘性について説明を求められた経験から、芸術へと関心が向かう。

そのなかで、伝統芸能や美の領域を心や体の調和の場として捉え、「道」や「美」のなかで調和を見出し、目指すべき道標としていたのではないかと考え始める。

さらに、世阿弥の「風姿花伝」を引用し、医療の本質もこの点にあるのではないかと考えを発展させていく。

ここまでがおおよその序章の内容である。

著者の考えの部分に触れたところで、全体は書ききれないことに気づき、ここで記録を断念する。残りの部分は個人で補い、全体を完成させてほしいと思う。

最後に関係ないが、アニメ遊☆戯☆王デュエルモンスターズのエンディング曲を紹介しておく。奥井雅美さんの「あの日の午後」である。小学生に戻れる。

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