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ハマる力:ももクロとチームしゃちほこに捧げた熱狂の日々

人生の中で我を忘れるくらい、周りの人に驚かれるくらいハマった経験がある。

程度の感じ方は人それぞれだが、この「ハマる」という感覚は自分の中で大きな経験になっている。

ももいろクローバーZとの出会い

私の場合、高校の先輩からももいろクローバーZのライブビューイングに誘われたのがきっかけだった。「チケットが余っているから、来てみないか?」この誘いに乗ったのが全ての始まりだった。

当時私は、大学1回生で趣味が全くなく、バイトをする日々が続いていた。
ましてや、それまで勉強しかしてこなかったので、アイドルのライブビューイングを観に行くなんて、微塵も頭にもなかった。そのため、渋々付き合いで行ったという記憶がある。

ライブビューイングというのは、実際の会場ではなく映像を映画館で生中継するというものである。にも関わらず、映画館は煌びやかなサイリウムを持った人々で埋め尽くされていた。私が一番驚いたのはアイドルを応援するファンのコールという掛け声のエネルギーが凄まじかったことだ。映画館があんなに喧しくなる光景はとてつもなかった。その結果、終演後は皆、声が枯れていたのである。

そんな中、私はというと会場の雰囲気に圧倒されつつ、「何だかちょっと面白いかも」という興味が少しだけ湧くのを感じた。この小さな感情の変化を見逃さないことがハマる一歩として重要である。

その後、時間を経ながらも、やはり「ももクロ」の存在が気になり始める自分がいた。
ももクロ関連の情報を集めるようになり、どんどん彼女らの情報を手にいれ、想像を掻き立てる。それを繰り返していくうちに、実際にライブを見てみたいと思うようになる。

そして、最初のライブビューイングから4ヶ月後、はるばる東京まで遠征して日産スタジアムを訪れたのである。その後は言わずもがなの展開で、とてつもない楽しさと電撃を浴びたような多幸感に襲われたのだった。

そこから、指数関数的に没頭していく。ライブグッズ、ライブDVDなどありとあらゆるものを購入し、映像を見漁り、推しが決まる。(ちなみに、推しは高城れにちゃんだった)全身紫の服装に着替え、ライブへ赴く。大学には紫のパーカーを着ていき、友人から「どうした?笑」と驚かれる日々。そんな猛烈な時を過ごした。

チームしゃちほことの出会い

ももクロの追っかけを2〜3年くらいしている時に、事務所の妹分チームしゃちほこの存在を知る。チームしゃちほこは、名古屋を拠点に活動するグループでデビューして間もない頃だったが、パフォーマンスが凄いらしいと界隈で噂立っていた。

そこから、また興味本位でフリーライブに足を運んでみると、これまたパフォーマンスとファンの声援に衝撃を受けた。そして、大人気のももクロに比べて、客数も少なく、非常に近くで見れる魅力にハマってしまう。

ここから、ももクロ時のパターンと同じく、過去の動画を見て、推しが決まり、ライブに通うという流れが加速していく。(ちなみに推しは伊藤千由李ちゃんだった)

氣志團万博 野宿編

これまた猛烈な勢いでチームしゃちほこにハマってしまった私は、結局ももクロの現場から離れてしまうことになるが、そんな中チームしゃちほこが氣志團万博のオープニングアクトを務めることが発表される。また、その前日のトリがももクロだったのだ。

結局、前日のももクロを楽しんだ後、翌日のオープニングアクトが行われるまで、房総半島の海っぺりで野宿することを当日決めることになる。これが悲劇の始まりだった。

氣志團万博はまだまだ暑い時期に行われていたため、夜もそこまで冷えないと踏んでいた。しかし、甘く見ていた私は想像以上に寒くなったため、ほとんど眠ることができなかった。その寒さは体がガクガク震えるほどで、結果、強烈な腹部の痛みに襲われた。もちろん、野宿のためトイレはなく、氣志團万博の警備員さんに頼んでトイレを借りること3回。大変迷惑をかけた思い出がある。その後も顔色が悪いまま、朝を迎え、太陽の日差しが差し込む。後にも先にもこれほどまでに太陽に感謝したことはなかった。

その後、開門の時間になり、500m走(それぐらい遠かった)が始まる。
一斉に全員が走り出し、会場まで全力ダッシュする。
息も絶え絶えで、何とか私は最前列を死守したのだった。

この際、最前列に陣取ったファンの方に声をかけてもらい、お互い連絡を取り合うようにもなる。当時はTwitterがファン同士のコミュニケーションツールとして主流で、フォローし合ううちに実際に会ってみたりを繰り返していた。そうこうするうちに、気の合う人が増えてきて、またその人の知り合いを紹介してもらってと芋づる式につながっていく交流が盛んに行われた。もちろん年齢層も幅広く、その交流できた経験は今思えばかなり貴重だったと感じる。

九州〜名古屋 車大移動編

気の合う同士ができることで、ますますこの活動が楽しくなっていったのを覚えている。

2014年9月27日(土)に熊本・野外劇場ASPECTAにて花火と音楽のイベント「WONDER ASO 2014」が開催され、そこにチームしゃちほこも出演した。が、翌日名古屋で行われるイベントにもチームしゃちほこが出演することになっていた。まさに、ヲタク殺しのスケジュールである。

なぜかというと、翌日のイベントは整理券がないと中に入れないために、朝から並ぶ必要があるからである。

我々はどうしようか考えた。

その結果、熊本〜名古屋間約889kmを車で移動することに決めたのだった。
今、調べると普通にノンストップで11時間かかる笑

今でも覚えているのだが、熊本のイベントはライブ後に花火が打ち上げられるので、これを見ていると翌朝に間に合わないため、打ち上げられる花火を楽しむメンバーを横目に車を走らせた光景が浮かび上がる。

車は広島出身の方のもので、その車に計4名が乗り、交代しながら深夜もとにかく足を進めた。

この無謀とも言える大移動が本当に忘れられない。
途中のサービスエリアでシャワーを浴びたり、一緒に御飯を食べたり、道中での会話も楽しく、広島出身の人が好む°C-ute(ハロプロ)の映像を観たりと盛り沢山。
誰一人として文句も言わず、人間として尊敬でき楽しい3人。今思えばマジ感謝でしかない。
縁はなくなってしまったが、いつか会える気もしないでもないとふと思うのだった。

結局、翌日の早朝に名古屋に到着し、無事整理券も確保し、2日間たっぷり楽しんだのだった。その後、広島の方が車で1人名古屋から広島に帰ったことは、今でも申し訳ないと思う笑

中国大連 海外遠征編

大移動といえば、中国の大連まで遠征した記憶が印象的である。

2015年3月21日・22日に中国・大連にて行われた【第2回大連ジャパンブランド】にチームしゃちほこが出演、特設ステージにてフリーライブ形式で1日2公演、合計4公演のパフォーマンスを行った。

会場は確か日本で言うところの大きめのイオンモールみたいな感じで、現地の家族連れやカップルなどが多数だったと思う。

初日には盛り上がりすぎて2公演目が警備上の安全面の理由により急遽中止となったものの、3公演目を控え目な応援に敢えてして、4公演目にヲタクが全力応援した結果、とんでもなく盛り上がったのを覚えている。現地の中国人も度肝を抜かれる騒ぎっぷりである。

1日目の後には、過去史上最大規模のヲタクたちの大食事会が行われた。
驚きなのは、チームしゃちほこ側と一緒にではなく、ヲタク自主開催のヲタクたちのためだけの交流会なところである。

海外のホテルの食事会場を丸々貸し切って、普段は交流のない人同士がライブの感想を言い合い仲良くなる大食事会。当時学生だった私は、特に気にしていなかったが、社会人として働きながら、イベントの計画から会場との連携など相当苦労して作り上げてくれたに違いないということ。凄まじい段取り力と行動力があったこと、そして素晴らしい思い出を作ってくれたことに感謝しなければならない。

2日目の後には、気の知れた同士がホテルの一室に集まり、缶ビールとつまみを持ち寄り、深夜まで飲み明かした思い出がある。

足掛かり → 没頭 ⇄ 執着 → 飽き

急にタイトルが辛辣な気もするが、何かにハマる流れを振り返ると、足掛かり → 没頭 ⇄ 執着 → 飽きという気がする。

ちょっとでも興味があれば、手を出してみる。
まずこの行動から始まる。

その後、少しでも面白いと思うかどうか。
この自分の気持ちに正直になることが何より大切だと思う。

そして、没頭し執着しというフェーズを行き来することになる。

しかし、残念なことに自分も変わっているからなのか、どうしても飽きはやってくる。
この飽きが体の中で支配的になってくると、「楽しめなかったな」という気持ちが出てきて、飽きを加速させてしまう。

時間を空ける、活動方法に変化を加えるなど、いつものやり方を変える工夫をこちらも取る。そのような試行錯誤をしながら、だんだんと終末を迎えることになる。

一つのことを長くやり続けることがいかに難しいか実感する。

最近の悩みとしては、広く浅く手を出すことはできるが、深く狭くは難しいということ。楽しむ(味わう)ことにも技術が必要ということである。自分なりのその方法を見つけていくことが人生をより良くするのかもしれない。

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