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「ジェンダーな内容に新しさを感じる古典~『とりかえばや物語』~」

『とりかえばや物語』 田辺聖子 著 (文春文庫)
                            2019/08/28読了

NHKの大河ドラマですでに始まっている『光る君へ』は紫式部とその生涯を描き、とても興味があるので期待して観ております。
本人の詳しい人物像、いつ頃生まれたのか、本名は何なのかなどはもとより私生活についてもほとんどわかっていないからほぼフィクションではありますが、だからこそどういう展開になるのか予想つかないところが気になって観てしまいそうですよね。
 
私自身、古典がニガテで『源氏物語』なども読んでいないのですが(マンガの『あさきゆめみし』も未だ途中で読破できないでいます)、以前YA紹介で取り上げた『紫式部の娘。賢子はとまらない』でほんの少し当時の宮中のことを描かれてあり、何も知らない私のような古典しろうとでもわかりやすい展開になっています。

今回ご紹介する本は一般書扱いのものです。こちらも古いものですから原作者はわかっていませんが、この本は田辺聖子さんによる現代語訳でとても読みやすいですし、まさかの設定と展開で読む者を飽きさせない内容だと思います。

時は平安のころ。
春風は貴族の娘でありながら家の中にとどまらず、幼い頃から男勝りの性格の上にその行動も活発でした。
いつかは男性のように、宮中でバリバリ仕事をしたいという野望を持っています。(当時それはありえないことではありましたが…)
 
逆に、兄の秋月はおとなしくて見目麗しく、部屋に引きこもっては女の子の遊びを好み、姿も十二単を着こなすというほどです。このような正反対の兄妹の様子に父親である権大納言の悩みはつきませんでした。
 
「いっそ、この二人を取り替えられたらいいのになあ…」
 
この父親の心からのつぶやきが、この物語のタイトルにもなっているのですが、その願いは虚しく事は次第に兄妹の望む方向へ向かっていき、本人たちも
「もし自分が男だったらなあ」
「もし私が女だったら、どんなにか楽だったでしょうに…」
 と苦悩しながらも、思いは強く見た目をごまかしてまでもやりたいと思っていたことを成し遂げてはゆくのでした。
 
しかしながら、やはり周囲を騙したままそうそう全てうまくいくことはないだろうと、次第にいつバレるかヒヤヒヤしながら読者はこの話の行く先が気になっていくのです。
 
 
驚くのは、男として生きることを決めた春風が当時男性しか許されなかった宮中での仕事をするようになり有力者に仕事ぶりを気に入られ、その娘(これも美しい女性)の婿として迎えられることになってしまったという件。
夫婦関係はもちろん破綻どころか、そもそもそのような関係が成立するわけもなく、それでも春風は妻に対して優しい態度は取るのです。
それが女性の喜びを覚えることがない妻には物足りなく、とうとう春風の友人のイケメンに言い寄られ浮気をしてしまい、女性としての初体験をしてしまうのでした。
おまけに、その男性の子を身ごもってしまうのです。
 
一方秋月は、宮中の姫様のお世話をすることになり、常に姫様といっしょにいるうちに、姫様に対して初めて覚える感情にうろたえてしまいます。
そう、初めて男として女性を愛しいと思ったのでした。
 
その後も、春風は偽りの自分に悩みながら、妻を身ごもらせてしまった友人が自分の秘密を知ってしまい、脅されるようにこちらも力づくで初体験を奪われ、これまた身ごもってしまうというなんとも複雑な関係となるのです。
もう現実だったらドタバタ喜劇にもグダグダの泥沼にもなりそうで、いったいどこに落ち着くのやらと先行き不安しかありません。
いったいどういう結末に向かうのか、ぜひ読んでいただきたい。
 
 
とにかくスキャンダラスな貴族の世界。
 
平安時代から、このような物語が存在することに驚きもしましたが、これまでにも昔に限らず現代にかけていくつか男女が入れ替わるという内容の物語が、ちょくちょく出てきていますね。
 
思うに、日本人は美しい人達が男女入れ替わるとどうなるのかな?という想像をして楽しむのが好きな民族なのでしょうか。
 
歌舞伎や宝塚など、その最たるものなのでは。(他国にあまりない文化なのかな?いえいえ、私が他国のことを知らないだけ?)
 
それにしても内容がジェンダー的なものなので、今の感覚に近いことにも興味が湧きますね。
案外古代の人たちのほうが、性に開放的でおおらかだったのかなと思われます。
(『源氏物語』にしても、その内容はかなりスキャンダラスなものですし。抑圧な貴族生活だからこそ、物語でこのような問題的な物語がもてはやされたのでしょうか…?)
 
しかし結局役所の仕事や一夫多妻・通い婚の制度など、やはり男性中心の世の中ではありましたから、この物語という中でその鬱憤を晴らすがごとく、自由な発想で描かれたフィクションがフィクションとしてウケたのだろうと思われます。もしかしたらこの物語も女性が書いたものかもしれませんね。
 
訳をされた田辺聖子さんの言葉がとても的を射ており、決して男性に屈していない女性の強さをこの物語の中で読み込んでおられます。

「すでに女主人公は、人生の栄光や、自負を知ってしまったのだ。そういう人間に、ひとりの男に支配され、その動きに一喜一憂するだけの、ちっぽけな女の人生への不満がわきおこってくるのは当然である。原典はそこをくりかえし、しっかり書きこんでいる。見ようによればフェミニズム小説ともいえる。しかも相手の男は、女すがたにもどらせて手もとにおいたからもう大丈夫、とばかり、もうひとりの愛人の話まで、くどくどとうちあけてしまう。〈ばかか、この男〉と、女主人公は軽蔑しつつ、内心はどうせすてる男だから、いい顔をしていてやろうと思うあたりの、すごみのある女心。」

「本の話」(文春ウェブメディア)より引用    https://books.bunshun.jp/articles/-/1560




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