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ジャン・グルニエ著『孤島』という宝の本。〜カミュの序文より

 この本は、これまで私が生きてきた中で間違いなく、影響され、大事にし、思い出深い一冊だ。元はフランス語の本であり、原題は、"Les îles"。(島々、というような意味。)

本との出会い(沢木耕太郎『天涯』より)

 最初にこの本を知ったのは、大学を卒業するとき先輩がくれた、沢木耕太郎の『天涯』という本の中の、いくつかの引用からだった。

 ときに引用というのは全く違う印象を与えるものだなと思う。その前後関係が省略されるがために、引用されたところだけを読むと、全く違う意味に捉えてしまうことがある。しかし、それは引用の宿命だ。だから気になった引用はなるべく原典を読むようにしているが、それ以上にその引用の言葉と意味が美しく心に刺さったので、この本を買おうと思った。

 なぜ旅をするのか、とあなたがたは人からたずねられる。
 旅は、常にみなぎる十分な力の欠乏を感じる人々にとって、日常生活で眠ってしまった感情を呼び覚ますに必要な刺戟(しげき)になることがあるだろう。そんなとき、一ヶ月のうちに、一年のうちに、一ダースあまりのめずらしい感覚を体得するために、人は旅をする。私がここでいうめずらしい感覚とは、あなたがたのなかに、あの内的な歌ーその歌がなければ感じられるもののすべてがつまらないーをかきたてることができるようなものをさすのである。 ー『孤島』(『天涯』に引用された)
猫は旅を好まない。ただ自由を好む。 (同上)

 この本は、手に入れようと思ったら、絶版で、なかなか見つからなかった。ようやく見つけた古本屋が青山の裏通りにあって、買いに出かけると、美術本などのマイナーな本が倉庫のようにたくさん積まれているなか、年齢不詳の女性がひっそりいて「グルニエの本を・・・こんな古い珍しい本をわざわざ買いに来る人がいるなんて」と喜んでくれた。そしてその人とかれこれ3時間くらいその本について、語り合ったのを覚えている。そういえば、あんなに長く話していたのにお客さんはその間、一人も来なかった。時が止まったような至福で不思議な時間だった。

文庫本として出版される

 そして、その黄ばんだ表紙の絶版になった本はもちろん今でも持っている。今は友人に預けてあり手元にないが、先日ふと検索すると、去年2019年に、まさかの文庫本として発売されているのを発見したので、早速購入してみた。

アマゾンの書評とフランス語訳

 アマゾンの書評ではイマイチで、訳がこなれていないだの解釈が難しいだの散々である。あげく英語版と比較している人も・・・間違っている。フランス語の原著と比較すべきだと思う。

 私は、このジャン・グルニエの書いた本を訳した人は2人読んだだけだが、間違いなく、訳者の井上究一郎という人は、グルニエを理解しているし訳は奥深く適切なものだと思う。日本語も難解ではなく、私にはすんなりと入ってきた。

 言葉の単なる意味的な(あるいは辞書的な)理解ではなく、フランス語の性質がそうであるように、その響き、厳格な意味の上にある言葉の持つイメージというものが直接こころに触れたとき、その深い意味が理解できるのではないか。

アルベール・カミュの序文

 著者ジャン・グルニエは、アルベール・カミュの師であった。

 カミュによる序文を読んだとき、私がこの『孤島』に対して感じたある種の秘密の楽しみのような、こころの救済を求める場所のような、そういった同じ感情を感じた。(もちろん、そう感じる背景はカミュとは全く違うものだ。)

この小さな書物を道でひらいてから、最初の数行を読んだところでそれをふたたび閉じて、胸にしっかりおしつけ、見る人のいないところでむさぼり読むために、自分の部屋まで一気に走ったあの夕べにかえりたいと思う。   ーカミュによる序文

 そしてカミュにとっては間違いなく彼の人生に影響を与えた本であり、師でもあった。その霊的なインスピレーションはカミュの心にしっかりと刻まれ同化することになる。

『孤島』を発見したころ、自分でもものを書きたいと望んでいた、と私は思う。しかし、ほんとうにそうしようと決心したのは、この本を読んだあとでしかなかった。他の本もそうした決意に貢献した。だが役目が済むと、それらの本を私は忘れてしまった。ところが、この本は、読んでから二十年以上が経ったいまも、ずっと私の内部に生きることをやめていない。こんにちでもまだ、『孤島』のなかや、この同じ著者の他の本に見出される章句を、まるで私のもののように書いたり言ったりすることがある。こまったことだとは思わない。  ーカミュによる序文

かつての私にとってのこの本

 カミュと同じように私もかつて、この本の多くの美しい一節をなんどもなんども読み、心に同化させた。それが唯一の救済であるかのように。この著者の別の本にも同じ秘密を見つけだした。

 この本のことはほとんど人には話さなかった。批判も、賛同もされたくなかった。それは、私にとって超個人的な領域にだけ存在する事柄であり、カミュがその本を胸に抱いて自分の部屋に走ったことと似ているように思える。

今、文庫本を手にして

 そしていつしか本を開かなくなって長らく経ち、文庫本を購入して気軽に開いてみた。改めて開くと、そこにはかつて親しんだ文章が並んでいる。

 軽い驚きではあるが、それは、今の私にフィットするというよりも、古い記憶、古い価値観、様々な古い過去と結びついており、また違ったふうに受け止めていることに気が付いた。

 そして当時気がつかなかった、また別の意味や別の文章に目がいくのだった。私は何を読んでいたのだろうか。


(続く)

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