拝啓 あみ様(作詞のおすすめ)3

【これはシンガーソングライターの卵である「あみ」さんに、作詞のアドバイスをしたものです。ちなみに、私は別にプロの作詞家ではありません。】

今回は「思い」について。
歌には、主張(メッセージ)とか、伝えたい「思い」があります。
その伝え方、描き方にはいろんなやり方があるわけですが、大きく分けると2つになるでしょう。それは「ストレートに主張や思いを語る」やりかたと、「物語、ドラマに託して語る」やり方です。
昔は、「物語」のやり方しかありませんでした。つまり、歌そのものがメタファー(比喩)であったわけです。演歌なんかで描かれる「捨てられた女の哀しみ」なんかが典型ですね。「歌は論文じゃない」から当たり前と言えば当たり前なんですが、それが、1960年代頃にアメリカで生まれたフォークソングで「若者のむき出しのメッセージ」が語られるようになり、それはプロテストソング(政治的抗議の歌)と呼ばれました。その中心は「反戦歌」であり、ボブ・ディランの「風に吹かれて」がその代表です。大人たちは「こんなの歌じゃない」と言いましたが、若者たちには熱狂的に受け入れられて、新しい「歌のスタイル」として確立しました。

男はどれほどの道筋を歩いていかなければならないのか 人ととして認めてもらうまでに
白い鳩はいくつの海を渡らなければいけないのか 砂浜で眠るまでに
砲弾はどれほど飛ばし合わなくてはいけないのか 永遠になくなるまでに
友よ、その答えは風に吹かれているのだ そう、答えは風に吹かれている

                  ボブ・ディラン「風に吹かれて」

「ストレート」というわりに、今見ると、メタファーがいっぱい使われてますよね。
その影響を受けて、日本でも、フォークソングブームが起こりました。岡林信康という人が「フォークの神様」と呼ばれました。その中でも一番ストレートなメッセージソング。

私たちの望むものは生きる苦しみではなく 私たちの望むものは生きる喜びなのだ
私たちの望むものは社会のための私ではなく 私たちの望むものは私たちのための社会なのだ
私たちの望むものは与えられることではなく 私たちの望むものは奪いとることなのだ
私たちの望むものはあなたを殺すことではなく 私たちの望むものはあなたと生きることなのだ
今ある不幸せにとどまってはならない まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ

                   岡林信康「私たちの望むものは」

これはもう完全に「革命」のメッセージそのものですよね。
その後、フォークソングはいろんな変遷をたどるわけですが、1970年代に入って、拓郎・陽水の時代を迎えます。吉田拓郎と井上陽水ですね。吉田拓郎はどちらかと言えば「ストレート型」で、井上陽水は「メタファー型」でした。まあ、そんなにきちんと分けられるわけではないんですけど。

吉田拓郎のストレート型の代表曲。

これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか
信じるものがあったとしても信じないそぶり
悲しい涙を流している人はきれいなものでしょうネ
涙をこらえて笑っている人はきれいなものでしょうネ

たたかい続ける人の心を誰もがわかっているなら
たたかい続ける人の心はあんなには 燃えないだろう
傷つけあうのがこわかった昔は遠い過去のこと
人には人を傷つける力があったんだろう

長い長い坂を登って後ろを見てごらん 誰もいないだろう
長い長い坂をおりて後ろを見てごらん
皆が上で 手を振るサ

古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
古い船をいま 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も 新しい船のように 新しい海へ出る
古い水夫は知っているのサ 新しい海のこわさを

                   吉田拓郎「イメージの詩」

これは拓郎の最初期の曲ですが、モロにボブ・ディランの影響が出ています。
陽水は、これに比べると、かなりアート系、文学的なアプローチで、想像力がない人にはちょっとわかりにくい。

都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない 
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
つめたい雨が今日は心に浸みる 君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろう?

テレビでは我が国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ

                        井上陽水「傘がない」

この歌は当時かなり話題になりました。「若者の自殺」より「デートに行くための傘」が問題なのか?と。60年代の学園紛争が終わり、いわゆる「政治の季節」が終わり、若者が個人の世界に閉じこもりだしたことを象徴する歌だと言われました。
でも、よく読めば、「若者の自殺」が気になってるんですよね。気にならなかったら書かないでしょ? ただ、そういう思いは心の中にそっと置いておきたいのであって、大声で叫んだら、何か違うものになっちゃうから叫びたくない。それだけなんですよね。まあ、想像力のない人は、こういう歌がわからない。

次の歌はもっと文学的で難解です。

窓の外ではリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り
きっと 誰かがふざけて リンゴ売りのまねを しているだけなんだろう
僕のTVは寒さで 画期的な色になり
とても醜いあの娘を グッと魅力的な 娘にしてすぐ消えた
今年の寒さは記録的なもの こごえてしまうよ 毎日吹雪吹雪氷の世界

誰か指切りしようよ 僕と指切りしようよ
軽い嘘でもいいから 今日は一日 はりつめた気持でいたい
小指が僕にからんで 動きがとれなくなれば みんな笑ってくれるし
僕もそんなに 悪い気はしないはずだよ
流れてゆくのは 時間だけなのか 涙だけなのか 毎日吹雪吹雪氷の世界

人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな
だけど出来ない理由は やっぱり ただ自分が 恐いだけなんだな
そのやさしさを秘かに 胸にいだいてる人は
いつか ノーベル賞でももらうつもりでガンバッてるんじゃないのか
ふるえているのは 寒さのせいだろ 恐いんじゃないネ 毎日吹雪吹雪氷の世界

                       井上陽水「氷の世界」

今読むと、陽水は確かに詩人ですね。ひょっとしたらノーベル賞を取るかもしれない。
でも、十代の頃の私は、陽水の魅力に気づきつつも、何か気取っているようで好きになれませんでした。だから、完全に拓郎派でした。
当時、一番好きだった拓郎の歌。

悲しいだろう みんな同じさ おんなじ夜をむかえてる
風の中を一人歩けば 枯葉が肩でささやくよ
どうしてだろう このむなしさは 誰かに逢えば静まるかい?
こうして空を見上げていると 生きてることさえむなしいよ
これが自由というものかしら? 自由になると淋しいのかい?
やっと一人になれたからって 涙が出たんじゃ困るのさ
やっぱり僕は人にもまれて みんなの中で生きるのさ

人の心は暖かいのさ 明日はもう一度 触れたいな
一人言です 気にとめないで 時にはこんなに思うけど
明日になるといつもの様に 心を閉ざしている僕さ

             吉田拓郎「どうしてこんなに悲しいんだろう」

実はね、「悲しみ」とか「さみしさ」「孤独」を考える時は、今でもこの歌が頭に浮かびます。

ちなみに、これらの歌が作られた時、
「イメージの歌」拓郎23歳
「傘がない」陽水24歳
「氷の世界」陽水25歳
「どうしてこんなに悲しいんだろう」拓郎25歳

なんか「日本フォーク史」の授業みたいになりましたが、次は荒井由実(ユーミン)。

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